第5話 禍つ面
(そういうことか……)
居祈はあてが外れて脱力した。
戦力の確保。確かにそれも助ける理由になるだろう。むしろ、敵にかすり傷を負わせたくらいで感謝されたと思う方が甘かった。だが、そうなると、命を助けてもらった借りだけが残る。
退路がないと分かっていて、居祈は聞くだけ聞いてみた。
「もし断ったら?」
「俺の腹ん中に直行だ」
豺狼は親指を立て、ぐいっと自分の腹に向けた。
(やっぱり) 居祈はため息をついた。
最初から逃げ場などない。だが、引き受ける前に一つ確かめておかなければ。
「手を貸すとして、大蛇を討ち取ったあとは? 用が済んだら豺狼はおれを食うの?」
用済みになった人質は殺される。居祈の場合も大差はない。
豺狼は聞かれて初めて気が付いて、俯き加減に顎をさすり、ちらりと居祈を見やる。
「そうだな。お前が食ってもいいって言うのなら?」
「言うわけがない」
間髪入れずに拒否した居祈を見て、豺狼は目をきょとんとさせた。
ぱちくりと目を瞬いて破顔する。
「ぷっはは! わかった、わかった。大蛇討伐を手伝ってくれたら、用が済んでもお前の命を保証してやるよ。それなら手を貸してくれるのか?」
「まあ、できるだけのことは」
「よし、決まりだ」
豺狼は極めて明るい。一族の復讐を成し遂げようというのに、どす黒い感情とは無縁だ。居祈の視線が、つと魔犬の面に向く。漆黒の魔犬は目を吊り上げ、鼻に皺をよせ、牙を剝き出しにしている。禍々しい妖気が暗い藍色の筆で描かれており、この面のこの顔こそが復讐者には相応しい。
「これが気になるのか?」
居祈の視線に気付いて豺狼が、前髪を押し上げていた面を指さす。
居祈はうん、と鼻腔で頷いた。鬼界で関わった鬼は、大抵面を付けていた。竹林の屍も、崖の先端で会った鬼女も、そして豺狼も。
「面には精霊や動物の神格が宿るというだろ? 俺みたいな術師は、その性質を利用して面に術をかけるんだ」
「へえ、豺狼は術師なのか。今も何か術をかけているの?」
「ああ。かけてる」
「どんな?」
居祈は興味本位で聞いた。あとになって聞かなければよかったと、思うとは知らずに。
「怒り、憎しみ、恨み、辛み。そういう禍々しい怨念をこいつに吸わせているのさ」
豺狼は言って、出会ってから初めて悲しそうな目をした。
「こいつがなければ俺は今頃、見るも恐ろしい復讐の鬼に変わり、向こう見ずに相手に仕掛けて身を滅ぼしているはず。お前だってこいつがなきゃ、今ここに生きちゃいないだろう」
豺狼は自嘲気味に笑う。笑みの中に悲しみが見え隠れする。居祈は返す言葉を探して口ごもり、結局、何も言えなかった。ただなんとなく、豺狼が鬼らしくない理由が分かった気がした。
彼の鬼としての一面は、術によってあの魔犬の面に集約されているのだ。だから豺狼自身は無垢に振る舞っていられる。術が施されている限りは。
豺狼はぴくりと耳を動かし、格子窓の外を鋭く睨んだ――ように見えた。その表情は一瞬で消え失せ、居祈は見間違いだったかと目をこする。
「腹が減ったな」
豺狼が唐突に言うのを聞いて、居祈は思わず身を引いた。
「そんなにビビるな。さっき約束したばかりだろ。お前の命は保証する」
信用ねぇなあ俺、と豺狼は文句を言いながら立ち上がり、無駄なく鍛え上げられた体を解し始める。
「お前は腹が減ってないのか?」
声をかけられて、居祈は豺狼の長躯を見上げる。
「おれは腹が減らないんです。臓腑がないから」
ろくに食べてないのに未だに空腹を感じないから、もうこれは確定でいいだろう。
「はあ? それでよく死なないな。半神半神ってのは、得てしてそういうものなのか?」
「いや。知ってる限りでは、おれだけ」
「臓腑がないのに生きてるなんて、お前、鬼界の鬼よりも奇怪だな」
豺狼はケラケラと笑った。
「それを言わないで。鬼に奇怪だと言われたら、ますます自分が妖怪変化にしか思えなくなってくるから」
居祈は弱い笑みを浮かべて頬をかいた。
「それじゃ、俺はちょっくら外へ行ってくるぁ」
豺狼は黒衣の襟をぐっと引き締め、ゆらりと古木の扉に足を向ける。ガラリと扉を開けた豺狼は、外へ出る前に居祈を一度振り返り、眼光鋭く釘を刺した。
「俺のいない間に逃げんじゃねぇぞ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます