第4話 食わない理由
(ブロマンス路線で書き直しました。ミステリ路線のエピソード『第9話 奇妙な頼み』はこちら)
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森の中で
ここは豺狼の根城なのだろうか。山小屋というよりあばら家で、上背の割に身軽な豺狼が歩いても、床板がみしりと軋んだ。古木の扉。対面に洗い場。その上に格子窓が一つ。床の上に目立った家具は何もない。一人で住むにはやや広く、一家で住むには狭すぎる。豺狼ひとりが雨風をしのぎ、床で寝起きし、食事のあと血に濡れた手や顔を洗えればいい。この家はそういう造りをしていた。
豺狼が薬の瓶を水で洗うのを見ながら、居祈は自分の出自をどこまで明かしてよいものか迷った。
相手が鬼なら、嘘、偽り、裏切りは常に考慮に入れておくべきだろう。だからと言って守りに徹するばかりでは、相手から何も得られない。せっかく神懸かり的な幸運で命が助かり、話のできる鬼とも巡り合ったのだ。なんとか協力を得て、なるべく早く鬼界を出たい。
名前は苗字だけで足りる。
身の上を偽ればあとで繕うのが難しい。
(よし、言うことは決まった)
洗い場で水音が止まる。銀色の立派な尾がふわりと向きを変える。洗い場の縁に寄りかかり、豺狼が腕を組んで見れば、居祈が何か言いたそうに拳を膝の上で握っている。豺狼は、言いたいことがあるなら聞くぞと言うように、耳をぴくりと動かした。
「おれは
「へえ、キヌガミの。半神半人ねえ。だからか」
豺狼はぶつぶつ言ってにたりと笑い、口の端で牙が怪しく光った。それから目をつむり、うんうんと一人で勝手に頷いている。何を頷くことがあるのかよく分からずに、居祈は仕方なく豺狼が納得し終わるのを待った。
目を開けた豺狼は、居祈を疎かにしていたことに気付いて「悪い」と言い、洗い場の横にひょいと腰掛け、訳を話した。
「仙岳で大蛇と戦うお前を見た。無面のくせに、鬼神のような身のこなしを見せるから驚いた。『あいつはただの鬼じゃない、じゃあ何者なのか』と不思議に思っていたが、お前、元々鬼じゃなかったんだな。香草で包んだ血肉みたいないい匂いも、半神半人なら納得だ」
「いい匂いって……」
「美味そうだっていう意味だよ」 わからないのか? と言いたげな顔。
「いや、それはわかりますけど、そうじゃなくて」
「じゃあなんだよ」 豺狼が理解に苦しみ眉を寄せる。
豺狼は居祈を助け、食うつもりもない。しかし、食い物として見ていないわけじゃない。じゃあなぜ食わない。理由如何によっては、簡単に心変わりして、ぱっくりいかれる恐れがある。理由を聞かなければならない。
「おれが美味そうだって言うのなら、豺狼がおれを食わない理由って何ですか?」
「知りたいか?」
居祈は深く頷いた。
豺狼は腰掛けていた場所からひょいと飛び降り、居祈の方へ歩みながら言った。
「お前は大蛇に一矢報いた。だからだよ。あの蛇はかつて俺の仲間を滅ぼした。そいつに傷を負わせたお前を、俺が食うわけないだろ?」
豺狼は居祈の前まで来てしゃがむ。片方の膝頭を床につき、居祈にまっすぐに向かう姿は、敬意を表して跪いているようにも見える。鬼とは思えないほど澄んだ瞳と目が合った。
これは――、一族の末裔としておれに感謝しているってことか。
それなら今後も食われる心配はなさそうだ。
居祈は安堵した。このまま豺狼に全ての事情を打ち明けてもいい。むしろそうした方がいいようにさえ思う。天界への行き方について何か知っているかもしれないし、ちゃんと事情を説明すれば、ひょっとすると味方についてくれるかもしれない。
居祈は鬼界についてほとんど何も知らない。
鬼界の案内役が、喉から手が出るほど欲しかった。
「豺狼」
居祈は膝を揃えて居住まいを直した。
ここは誠意をもって頼み込むしかない。
息を吸い、天界の「て――」と口にしたところで、豺狼の声が勝った。
「キヌガミ、俺に手を貸せ。お前は戦力になる」
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