第3話 目覚め
やっと人の皮を得た。随分長いこと待ったが、この世に人として生きる血肉を得ることができたのだ。
新しい
「「居祈様!? 嫌です戻らないで!!」」
聞き覚えのある声。同じ声質で音程だけがやや異なる女声。二重奏のような話し方。間違えようがない。この
たしか、目元に黒子があるのが姉巫女の葉。口許に黒子があるのが妹巫女の澪。
「ああ良かった」と澪が涙ぐみ、「またお眠りになってしまわれるのかと思って心配いたしました」と言って人差し指に涙を移す。葦翠が体を起こそうとするのを葉が背中を支えて助ける。双子の巫女は居祈にそうしていたのと同じように世話を焼いた。
二人はまだ気付いていない。
居祈の瞳が螺鈿のそれから琥珀色に変わったことに。
それが居祈でないことに。
だが、巫女の隣に鎮座する女は別だ。二人が小躍りしそうな程の喜びを示すその横で、背筋を伸ばしたまま微動だにせず、真っすぐ葦翠を見詰めている。
(この人は衣神の――)
居祈が目を覚ましたその時から、珠名にはそれが甥ではないことがわかった。人にあらざる霊力を肌で感じる。おまけに居祈がこの世にいれば必ず感じるはずのものも感じない。
しかし、ただ者ではないことが分かるだけで、正体まで見抜いたわけではなかった。相手が葦翠だと知っていたら、目を触れるのも恐縮するだろう神職が、先程から穿つような視線で葦翠を見詰めている。
珠名は葦翠と目が合い、その中身を見極めかねて口を開いた。
「居祈……じゃないわね、あなた。一体何者なの?」
珠名の言葉に双子の巫女は驚いて飛び上がったが、珠名は二人の動揺に干渉を受けることなく、真っすぐ葦翠を見続ける。
(やはりこの人は欺けない)
彼女の勘が鋭いことを葦翠はよく知っている。昔からそうなのだ。初めて会った時から。いくら居祈の皮を被っていようとも、珠名を欺けるとは
「私は葦翠。居祈に代わり、人としてこの世に降りた
葦翠という名を聞いた瞬間、双子の巫女が弾け飛ぶように布団から離れて平伏した。珠名も両膝を引き、両手の先を畳について頭を下げる。
今その布団に体を起こしているのは人如きが気安く触れていい相手ではない。葦翠の声音と雰囲気は、神に仕えし者たちにそう悟らせるのに十分だった。
「皆、顔をあげてくれないか」
葦翠は眉を下げて困ったように薄く笑った。
「たった今、言っただろ? 私は神ではなくなった。今はただの人の子。以前の居祈と同じだよ」
そう言われて、真っ先に顔を上げたのは澪だった。この巫女の遠慮のなさと状況適応能力は
「それでは、居祈様は今どこに?」
小首をかしげて不思議そうに聞く妹の横で、姉もそれが知りたかったと妹の横顔を視線で褒め称える。
「居祈とは天と地を結ぶ道の途中で出会い、鬼界へ送った」
珠名が平伏したままわずかに肩を揺らした。卵形の美しい顔貌がみるみる蒼白に変わる。珠名は視界一面に畳を映しながら、頭の中をぐるぐるとまわる葦翠の言葉を理解しようと必死に努めた。
鬼界へ……? 居祈はなぜそんなところに。
『送った』とはどういう意味? まさか、あのとき居祈が儀式の作法を誤ったせいで神の怒りを買ったというの――?
この時、葦翠には珠名の心が読めた。まだ神の力が残っていることを実感すると、人になり切れていないことが悔やまれる。だが、分かってしまうものは致し方ない。
「私はそんなことでは怒らない。作法を誤れば正しい道は開かないというだけのこと。それが天と地の狭間に於ける
そう言ってから、葦翠は目を伏せて逸らした。
「すまない。私には無事を願い見送ることしかできなかった」
本当はあのとき代わってやろうと思えばできた。
それなのに――
「あのとき私は、あの子の中に彼の姿を見てしまったのだ。あんなに柔らかな物腰であっても、やはり彼の血を色濃く引き継ぐ子孫なのだな、あの子は」
余計な手出しはできなかった。
あの時と同じ。
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