第2章

第1話 五十日目


 珠名が外での仕事を終えて葦翠神社に戻ってきたとき、境内には澪がいて参道を箒で掃いていた。澪は、石段を上がってくる珠名に気付くと箒を動かす手を止め駆け寄った。珠名の顔色は優れない。

「珠名様、お帰りなさい。珠名様、お顔が土気色です。大丈夫ですか?」

 珠名は、そうね、とだけ答えた。

 あの儀式を行った日からずっと、居祈が目を覚まさない。かわいがって育てた甥が昏睡状態なのでは、気分が優れるはずもなかった。

「そういえば、珠名様、今日は氏子さんの五十日祭ではありませんでしたか? 随分早いお戻りですね」

「喪主の方が仏の四十九日と五十日祭を混同されていてね。明日、改めて行うことになったのよ」

 珠名は今朝、一件法要に呼ばれていて、祝詞を奏上するために里の氏子の家を訪れた。しかし故人の息子はお経と祝詞の違いもよく解らぬようで、念のため亡くなってからの日数を数えてもらうと、案の定、四十九日しか経っていなかった。


「四十九日って仏教の儀礼ですよね。『人は死ぬと七日に一度裁きを受け、七回目に来世の行き先が決まる』っていう。七日が七回なので七七日なななぬかともいうと里のお寺の和尚さんから聞いたことがあります」


「ええ。日本では神道と仏教が融合して発展してきたのだけれど、死生観はそれぞれ独自の思想に基づいているわね。神道においては死は穢れ。人は亡くなり死の穢れを受ける。穢れは忌むべきものだけれど、一方で、祓えたり落とせたりするものでもある。人が亡くなり霊体となった日を一日目と数え、五十日目に穢れが晴れて忌明けが訪れる。その忌明けの日に儀式を行い、先祖の霊を家の守護神として祖霊舎にお迎えする。それが五十日祭。氏子さんにもそのようにお伝えしたら、終始頷きながら聞いておられて、明日改めて行いたいというご意向を示されたの。澪、今、何時かしら。葦原先生はもうお見えに?」

「十時を過ぎたばかりです。葦原先生は先程お見えになって、まだ社務所にいらっしゃると思いますけど」

「そう。間に合ってよかったわ。ご挨拶してくるわね」

「あ、それなら私もご一緒します」


 社務所の中頃にあり、裏庭に面した居祈の部屋まで来て障子戸を開けると、床の間の前に敷いた布団に黒髪で白い顔をした少年が眠っていた。傍には巫女が一人と、中年で白髪の医者の姿があった。

 居祈は境内けいだいの外に出ると魑魅魍魎に狙われがちであったから、眠っていて抵抗できない居祈を外部の病院には入れられなかった。その代わり、遠縁だが事情を心得ている葦原に毎日診察に来てもらっている。

 障子戸が開いたのに気付いて巫女が振り返った。左目の下に艶ぼくろ。双子の姉の葉である。

「珠名様、お早いお戻りですね」

「ただいま。法要は明日になったのよ」

 珠名はそそくさと葦原の前に座り、両手の指をついて頭を下げた。

「葦原先生、お忙しいのに毎日来ていただいて、本当にありがとうございます」

「いいえ。私もあの時あの場にいたのにも関わらずお役に立たてませんでしたから、これもせめてもの償いです」

「償いだなんてそんな」

「それに、居祈君は娘と同い年ですから、どうにも他人事とは思えないのですよ」

 里に高校は少なく、葦原の娘と居祈は同じ高校に進学するはずだった。今はもう五月に近く、葦原の娘の方は新しい友達や学校生活に馴染んできた頃だろう。珠名は未だ制服に袖を通すこともなく布団でぴくりとも動かない居祈を見て、じわりと涙が込み上げてくるのを抑えきれなかった。

「これはずっと聞けずにいたのですが」

 と、葦原が遠慮がちに口を開く。

「あの日の儀式、あれはどのようなものだったのでしょうか」

 珠名は言いにくそうに下唇を噛む。

「あ、いや、これはその、ただ、親戚の中で私だけが呼ばれた理由が、どうも気になっていたものですから」

「私のせいです」

 珠名は罪人のように重く口を開いた。

「衣神家を知る葦原先生なら、他のお医者様よりもこういうお話は慣れていらっしゃると思います。聞いてくださいますか?」



※この先ただいま改稿中。話が繋がらない部分があります。

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