第5話 いつも狙われてきた

「おい見ろ、人間だ。人間がいるぞ」

「見間違いじゃないのか? 人間は滅多なことで、こんなところに来ないだろう。……やや、本当に人間だ。なんでこんなところに」


 声は枯野の中から聞こえてきた。なにやら背の低い者が草の間に隠れているようで、こそこそと葉の先端が揺れるけれどもその姿は垣間見えない。居祈いおりは声のする方をじっと見詰めた。


「おい、あいつこっちを見てるぞ」

「気のせいだ。人間に我々の姿が見えてたまるか」


 枯野がまたひとつ揺れ、新たな声が加わった。

「なんだお前たち、知らんのか。あれは葦翠いすい様へのだという話だぞ」

 新たな声は耳聡いのをひけらかすように言う。

「ううむ。言われてみれば妖力は並々ならぬものを感じる。だがしかし」

「供物? あれが? はっ。いくら妖力が強くとも、あの細躯さいくでは使いこなせないだろう。宝の持ち腐れとはああいうのを言うんだ。滑稽な!」

 最初に見間違いだと言った者があざける。

「ううむ。あの髪の色艶いろつやはなかなか良いが、あれでは短いな。葦翠様がお喜びになられるとは思えない。もっとこう、風に靡くようでなくては」

「いや、よく見ろあの瞳! 虹色の虹彩、まるで螺鈿らでんのようではないか。あんな瞳は見たことがない」

「おお、確かにあれは珍しい」

「ならば、我々であいつの両眼をくりぬいて葦翠様に献上し、残りは鬼界の鬼にでも食わせてしまおうか」

「横取りするか?」

「妙案だ」


 やれやれ、こんな世界へ来てまでも狙われるとは。厄介な体質だ。


 がさがさと枯野が不吉な音を立て、何かが三体素早くこちらへ向かってくる。居祈は身じろぎもせず構えた。


 体は女のように細くとも、居祈は見た目程弱くない。昔、まだ両親と一緒に暮らしていた頃、軟弱な息子を心配した父親が居祈を道場へ通わせた。初めは嫌で仕方なかったが、一歩鳥居の外に出れば良い者達ばかりでないから、案外役に立つのだった。


 最初の約束で、道場に通っている限りは倉でいくら書物を読んでいても両親に何も言われなかったし、学校のクラスメイトと付き合うよりも、道場の人達と稽古をしている方が楽しかった。一番仲のいい友人が移り気で、習う武道をころころと変えるので、それにくっついて居祈も多様な武道を習ってきた。


 草むらから突如として蛇が三匹、居祈目掛けて飛びかかる。大きく裂けた真っ赤な口が、腕やら首やらに牙を剥く。が、一瞬にして打撃音が三発。蛇たちはぬらぬらした体でぴちぴちと地面を打った。


 居祈は何事もなかったかのような涼しい顔で、改めて自分を襲ってきた相手を見下ろした。黒光りする鱗の蛇が皆、泡を吹いて気絶している。


 邪神の化身だったらどうしよう、と居祈は頭を掻いた。死んでも祟られるなんて御免だ。居祈は途方に暮れて空を見上げた。


 その時、月からひとつ星が落ちた。乳白色の柔らかな光の粒が、流れ星よりもうんとゆっくり降りてくる。それが地上に至った時、耳の奥でシャンと鈴の音が鳴り、寸刻後にぶわりと大風おおかぜが一陣吹き寄った。居祈は顔の前に両腕をかざし、その風を真っ向から受ける。薄目に見た景色はその風と共に一変した。


 空は皐月。枯野は瑞々しい葦原に変わり、清々しい風がそよいで居祈の髪を揺らした。

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