第4話 天地を結ぶ道


 居祈は儀式の間、神前に向かって端座し、両手を膝の上に乗せて静かに瞑想した。珠名たまな祝詞のりとを背に聴きながら、にわかに気分が悪くなり始め、腹が痛み出した。その痛みは次第に強烈なものとなっていき、堪えきれる限界を超えた時、魂を引き抜かれるような感覚と共に視界が暗転した。


 高い空に月が出ていた。まるで漆紙うるしがみから切り出された円のように、くっきりとした輪郭。放たれる光は神々しくいつもの月よりも綺麗に見えた。


 腹の痛みは鎮まり、月を楽しむ余裕があった。風流心が疼いて、居祈はほうと感嘆の息をもらした。


 が、おもむろに何かがおかしいことに気付く。違和感の根源を辿るのは容易だった。


 こんなに月の美しい夜には他の星々も燦然さんぜんと輝くだろうに、他の星はひとつも見当たらない。何故だろう。ただひたすらの漆黒に、遠く満月が浮かぶのみである。


 明らかにおかしなことは他にもある。そして、こちらの方が決定的だった。


 上空は夜であるのに地上は昼。夜空の下で茫洋に広がる枯野が陽光に揺れている。まるで空と海とが水平線で分かれるように、ここでは夜と昼とが地平線で分かれているのだ。


 居祈はあっけにとられながら今度は自らに目を向けた。儀式と同じ白装束に身を包み、記憶にない袋を肩に担いでいる。なんだか大国主命おおくにぬしのみこと因幡いなばの白兎を助けた優しい神〕の、失敗したコスプレのようにも見えるが、この袋はなんだろうと肩から下ろしてみると、何やらずっしり重かった。なんだか嫌な予感がして中身は見ないでおく。


 目の前に道が一本。足元の土はきめ細かくなめらかで、気を付けなければ踏み外しそうな細道。その百メートルほど先を大岩が立ち塞いでいる。その光景は現世に伝わるを思わせ、居祈はたちまちぞっとした。


 ここは黄泉比良坂よもつひらさか? おれは死んだのか?


 黄泉比良坂は言わずと知れた地上と冥界をつなぐ道。緩やかな坂を上った先に千人でやっと動かせる程の大岩があり、黄泉の世界へ通じる穴を塞いでいると現世に伝わる。


 これまで周りのことばかりに心奪われていたが、己の死を暗示する道を示され、涙よりも先に底知れぬ恐怖が居祈の体を凌駕した。


 まだ十六になったばかりだ。やりたいことがたくさんあった。一週間後には高校の入学式。制服を着るのをとても楽しみにしていたのに。


 絶望する己をよそに生の本能が忙しなく働く。記憶の中の書庫を開け、これまでに読んだ神話や伝承話をかたっぱしから脳裏に思い浮かべた。


 生まれついたのが神社であり、生まれつき妖が見えた居祈にとって、神話はいつでも身近にあった。おのずから興味を持ち、倉の古書を読みふけった。倉を埋め尽くしていた書物は、居祈が十二になる年には読みつくし、何か聞かれればすぐさま答えを一節そらんじることができた。


 神話の中で黄泉比良坂は暗く長いトンネルと伝わっているが、目前のこの道は夜と昼との境にあり、暗いトンネルとは呼べない。だからこれは黄泉比良坂ではない。


 そう思いたいが、伝承が時を経て形を変えて伝わった可能性を捨てきれない。


 居祈が思案していると、枯野のさざめきに混じって何者かのささやき声が聞こえてきた。

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