第3話 儀式は無事には終わらない


 巫女に言われた通り、左足から踏み出してみたものの、場の空気に呑まれて足がすくむ。慎重にそろそろと歩みを進める姿は、傍から見れば、己の定めを悟り、それを受け入れた者に相応しいように見えたかもしれない。


 祭壇の正中せいちゅう(中央からの延長線上)に紫紺しこんの座布団が据えてある。正中は神の通り道。人は避けて通るのが本来の習わし。そこへ座り、神の道を塞ぐというのは、神社で育った居祈いおりにとっては殊更ハードルが高い。たったの二、三メートルが遠かった。


 御簾のむこうでは神職が端座たんざし、紙垂しでを振り仰いでいる。唐衣に袴を穿き、結った髪に釵子に心葉をつけた正装姿の珠名たまなである。儀式はもう始まっているのだ。


 参列者は、珠名の後ろに一、二、三列。よく見ると人に紛れて見知った妖の姿もある。どうやらこの祭祀に関心があるのは人だけではないらしい。皆一様に叩頭こうとうし、祈っている。


 居祈が正中に至り、半足を引いて踵を返し、神前に向かう。このとき双子の巫女が互いに視線を交わし、以心伝心した。二人同時に居祈の間違いに気付いたのだった。


 ――神に祀られる者、祭壇正中にありて、祭祀を経て神となりなん。


 儀式の書にそう書いてある。居祈は前後を違えて座ってしまったのだ。


 しかし、作法を間違えたからといって誰が咎められよう。極度の緊張の上、儀式の存在はつい数時間前まで彼には秘密にされていた。儀式の所作を伝える役目は巫女姉妹が担ったが、居祈は朝が弱く起床が遅れた。結果として居祈は、着付けの間に一連の所作をたった一度耳で聞かされただけで、本番を迎えることになってしまった。おまけにその時はまだ、本物の儀式だとは考えもしなかったのである。


 真っ白な足袋が、紫紺の座布団の前で揃う。居祈は祭壇に一礼し、絹織物に新綿にいわたを詰めた座布団の上に粛々と膝を折った。


 居祈の間違いに気付いても、双子の巫女には何もできなかった。作法を間違えることは無論神に対して無礼であるが、儀式に割り込むなどもってのほかだ。神の怒りを買えば、どんな災悪がもたらされるか分からない。


 不吉が煙のように漂い始め、珠名は敏感にその臭いを感じ取った。


 儀式は無事には終わらない。


 悪い予感がして、珠名は瞳を固く閉じ、その奥に一層力を込めた。不吉の穢れを払うべく一心に紙垂しでを振る。麗しいと称されるその声で、心を込め、真摯に祝詞のりとを読み上げた。


 しかし、その甲斐も空しく、災悪は防げなかった。居祈は儀式の途中で倒れ、その後、四十九日昏睡状態に陥った。

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