第2話 葦翠神衣神天地命召千五百依代居祈儀


 そんな冗談を言うなんて。やはり珠名ではない。 障子を開ければ、きっとそこにはあやかしが笑うか、けものたちがブレーメンの音楽隊のように積み重なっているのだろう。そういうことは以前にもあった。


 大体、神になるなんて。


 確かに、居祈いおりが血を引く衣神きぬがみ家は、古くからここ葦翠いすい神社に奉仕している。社務所は自宅を兼ねており、そこで居祈は、両親、巫女、神職と食卓を共にした。


 だからと言って、いや、だからこそ、人と神との違いは人並み以上にわきまえているつもりだ。


 俗世にも『神』と崇められる者は存在するが、神社で祀られることは極稀であるし、ましてやカリスマでもなければ特に秀でた才もなく、SNSアカウントをひとつも持たない居祈が、直ちに神になる資質もなければそれらしき兆候もない。神殿に祀られ何世代もかけて崇められれば、ひょっとするかもしれないが。


「神になるって、夜が明けたら、おれを神殿にでも祀ってくれるの?」

「ええ、それは丁重に」


 所詮これは人外の戯れ。神社の境内に入れる時点で悪しき者ではないのだから、放っておいて構わない。今夜はただでさえ眠りが浅い。これ以上相手をしていられない。


 居祈は布団をかぶり、中からくぐもった声で伝えた。

      

「それじゃあ、夜明けになるのを楽しみにしています。おやすみなさい」



   ◇



 昨日の珠名が人外だと思ったのは間違いだったのだろうか。


 朝日が昇ると早速、寝所に二人の巫女が現れ、禊をさせられ、裸を恥じる間もなく白装束を着せられた。支度をさせられている間も、神殿に向かって社殿の廊下を歩いている今も、居祈は疑心暗鬼に取り憑かれている。


 一体何の冗談だろう。おごそかな足取りで本殿に歩み進む姉妹のあとに、薄ら寒いのを我慢して居祈が続く。誕生日を祝うつもりなら、着物が白装束というのはおかしい。荘厳な正装を着せてくれても良さそうなのに。


 玉垣姉妹は葦翠いすい神社の双子の巫女である。一卵性で顔は黒子の数くらいしか見分ける術がない。姉には涙黒子が。妹は口許に。体型も背丈もよく似ていて、おまけに二人とも同じ巫女装束とくれば、後ろから見ると尚更どちらがどちらか見分けがつかない。


 神殿に通じる扉の前で、二人の巫女が完璧に揃った足並みで左右に分かれ、居祈のために扉を開ける。その手つきには淀みがなく、しなやかでいざなわれるかのようであった。


 祭壇を左手に、神の空間を白檀びゃくだんの香りが満たしている。新しい井草の匂いがかすかに溶け込んで、いい香りだ。つい昨日まで色褪せていた畳が今朝は青々と眩しい。


 畳の新調なんて誕生日のサプライズにしては大がかりなことだが、この畳が誕生日プレゼントではありませんように、と居祈は祈った。


 居祈の背中に緊張が走ったのは、巫女の化粧気のない口が開かれた時だった。


「居祈様、お入りになられます」

「「これより『葦翠神いすいしん衣神いしん天地てんち命召めいしょう千五百ちいお依代いだいの居祈いおりの』を行います」」

「居祈様、左のおみ足より進みで、真中まなかにお座りください」


 これで分かってしまった。


 居祈の名を含む儀式の名称。祭壇は左手にあり、左足は祭壇に近い足。神に近い方の足。礼儀として人は神から遠方の足より進み出る。しかし、今日に限って神に仕える巫女が、左足から入るようにと言う。その理由はただ一つ。


 これは冗談なんかじゃない。本物の儀式だなのだ。


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