4章 輝く羽根の行方はさっぱりわからない
4-1 塀の外
「よいしょっと」
黄昏時。
高い……高い塀の上から、ひらりと碧い大輪の華が音もなく地上に舞い降りる。
「ふふふん。大成功!」
二階の高さはあろうかという高い壁の上から飛び降り、ブレのない見事な着地をピタリと決める。
碧いドレスを着た女性は、何事もなかったかのように、すくっと立ち上がる。
優雅にくるりと一回転して、ドレスが汚れていないかチェックする。
その仕草や容姿の端々には、まだ幼さが見え隠れしている。
暗くなり始めた闇色の中。
少女の綺麗に結い上げられた黄金色の金髪がキラキラと輝きを放った。
「なにが大成功なのかな?」
「ひゃうっっっっ!」
突然、木陰から声がかかり、碧いドレスの少女は文字通り、ぴょんと飛び上がって驚く。
「お、おっ、お兄さま! な、な、なぜここにいらっしゃるのですか! まだお仕事のお時間ですよね?」
「それは、こっちのセリフだ。わたしのイトコ殿は、なぜ、ここにいらっしゃるのかな? お仕事はどうされましたか?」
暗くなった木々の間から、長身の若者が音もなく姿を現す。
若者のしなやかでなめらかな動きにあわせ、黄金に輝く金髪がふわりと揺れた。
綺麗な碧色の瞳が少女を見つめている。
幼さが残る少女の顔が、みるまにぎこちなくひきつっていく。
「ねえ? 質問に答えてくれないかな? なにが大成功なのかな?」
闇が影となって若者の表情はよくわからないが、淡々とした口調が若者の心情を雄弁に語っている。
「いえ……その……。上手に、着地できた……かしら?」
「前々から言っているだろう? 地上に降りたければ、階段をつかいなさい。窓や塀から飛び降りるのは、行儀がよろしくない」
「ごめんなさい。でも、お兄さま。階段を使うと、みなに見つかってしまいますわ。わたくしは、こっそりナイショで『秘密のおでかけ』がしたいのです!」
少女に悪びれた様子は全くない。
びっくりするくらい堂々とした宣言に、後見人の若者は長い、長い溜息をこぼす。
どうして、こんな子に育ってしまったのだ……と嘆いても今更である。
「部屋に戻りなさい……」
「いやですわ。せっかく、がんばっておめかしして、こうして誰にも見つからずにお外にでることもできたのに……」
「わたしが見つけたが?」
若者が少女の言葉を遮るが、少女はふるふると首を振る。
「残念ですが、お兄さまは、そのカウントにはいりませんわ!」
「なぜだ!」
「お兄さまはちーとだからです。ズルはふぇあではありません! のーかんです! これはせーふです!」
またどこで仕入れてきたのか、わけのわからないことを言いだした少女を、若者は呆れ顔で眺める。
「お兄さま、このままおとなしくお部屋に戻るなんて、あんまりではありませんか? 今日は、ザルダーズの月に一度のオークションの日ですよ! 呑気に書類に判子を押している場合ではありません!」
「オークションなど……なんて破廉恥な。あそこは、金の亡者が徘徊する非常に危険で野蛮な場所だぞ。世間を知らぬ未成年が……イトコ殿のような高貴な身分のかたが出入りする場所ではない。汚れてしまう」
「そうでしょうか? 仮面でお姿はよくわかりませんでしたが、前々回の月では、かなり高貴な御方も参加されていましてよ?」
「見間違いだろう」
即座に否定した若者に、少女は拳を握りしめて猛然と反論する。
「いえ。間違いありません! わたくし、その殿方と競り合いましたもの。その殿方も、お兄さまと同じ黄金の……」
「う……っ。もういい。わかった。わかった。それ以上は話さなくてもいいから」
慌てて少女の言葉を遮り、若者は一歩、二歩と、少女に近寄っていく。
少女は力強い瞳で睨み返しながらも、一歩、二歩と後退していく。
若者が近寄れば、そのぶん、少女は離れていく。
ふたりの間の距離は縮まらない。
「わ、わたくし、なにがなんでも、オークションに参加しますわよ。今日は、わたくしも出品しておりますの!」
「な、なにいっつ?」
若者の声が驚きに裏返り、歩みがぴたりと止まる。
「オークションの出品者だと!」
なんてことをしてくれたんだ……と言いながら、若者は額に手をやる。
「お兄さま! わたくしが出品した品物が、いくらで落札されるのか……。わたくしには見届ける義務があります!」
「そ、そんな義務はどこにもない。あったとしても、そういうのは、エージェントの仕事だ!」
「いえ。お兄さま! これはプライベートなことですの。わたくしの私的所有物の出品に公費を……他者の力を使用するわけにはまいりません! 公私混同はよくない、とお兄さまもおっしゃっているではないですか!」
キリリとした表情で、少女は力強く宣言する。
格好いいことをカッコイイ表情で言っているが、騙されてはいけない。ようは、ひとりで遊びにでかけたいだけ。窮屈な屋敷を抜け出し、少女は思いっきり羽を伸ばしたいのだろう。
「それに……」
「それに?」
「意地悪をするお兄さまは、だいっきらいです!」
「…………」
だいっきらい!
目に見えない鋭い矢が放たれ、若者の心臓をぶすりと射抜く。
「う、ううううっ……」
若者の胸に鋭い痛みが走り、目の前が急に真っ暗になる。
立っているのがとても辛い。
金髪の若者は、崩れ落ちてしまいそうになるのを懸命に堪える。
あまりの激痛と衝撃に、比喩ではなく、本当に心臓を射抜かれたのではないかと、若者は錯覚する。
この言葉は最大のダメージを若者に与え、少女に絶対的な勝利をもたらした。
いや、最初から若者は、少女にだけは勝てない。
全敗だ。
そういう決まりだ。
不変の法則に逆らうなど、愚の骨頂である。
若者はフルフルと首を左右に振ると、少女との距離を一気に詰め、後ろ手に隠していた毛皮の外套をふわりと広げる。
「お、お兄さま?」
純白の見事な毛皮が闇の中に広がり、少女の華奢な身体を護るように包み込む。
「よかった。ぴったりだ。よく似合っている」
自身をまるっと包み込んだ見事な一角雪豹の毛皮に、少女は驚きとまどう。
大好きなお兄さまの香りに包まれる。やわらかな毛皮のふわりとした感触に、少女の緊張した表情がふと緩む。
「外套も羽織らずに、未成年がそのような無防備な格好で出歩くものではない」
「はい……次の外出のときは、ちゃんと外套も用意しておきます」
己の信念を曲げようとしない少女の返事。
周囲が闇に染まっていく中、強い光を宿した蒼い双眸が、若者の心を貫き、絡めとり、離そうとしない。
いつ見ても少女の瞳は美しい。
最初に出会ったその瞬間から、若者は少女の凛とした強さに惹かれ、鮮やかな蒼い双眸に心を奪われていた。
逆らうことなどできるはずもなく、妥協案を若者は提案する。
「いいか? エスコートなしの外出は禁止だぞ?」
若者は優雅な仕草で右手を差し出す。
ゆっくりとした動作で、少女は若者の手のひらの上に自分の手を重ねる。
「では、お兄さまのエスコートがあれば、わたくしは外出してもよろしいのですか?」
幼さの残る甘え声でねだられては、もう頷くしかない。
少女は嬉しそうにはにかむ。
暗がりの中、少女だけが輝いている。
少女とこうしていられるだけで、若者の心は満たされる。光のない場所でも輝くこの小さな存在を愛おしいと思う。
「お兄さま、参りましょう! 急ぎましょう! もうすぐでオークションがはじまりますわ!」
少女がきゅっと、若者の手を握りしめる。
若者の険しい表情がふわりと緩み、微笑が浮かんだ。
今夜のオークションのことを色々と想像しているのだろう。
少女の頬が上気し、潤んだ瞳がキラキラと輝いている。
嬉しさのあまり今にもダンスを踊り始めそうな少女をなだめながら、若者は巧みなエスコートで、待たせていた馬車へと導く。
二頭立ての美しい馬車だ。
若者の合図とともに、御者は馬車を出立させる。
ふたりを乗せた美しい馬車は、オークション会場に向けてなめらかに走り出した。
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