4-2 異なる世界への道
二頭の黒馬に引かれた四人乗りの馬車は、異なる世界へ通じる道を軽やかに進む。
最初、少女は移動魔法で会場に行きたいと馬車に乗るのを拒んだ。が、若者は強引に少女を黙らせ、馬車の中へ押し込む。少しばかり言い争いをした後、若者は御者に行き先を命じた。
オークションの参加証を所持しているふたりを乗せた二頭引きの馬車は、迷うことなく世界の境界を越え、ザルダーズのオークションハウスに向かう。
黒い車体には控えめだが細やかな彫刻と装飾が施され、金箔で彩られている。ドア部分には草花や鳥の装飾画が描かれていたが、車体の色と馴染むように彩度を抑えたもので、豪華な馬車と表現するほど仰々しいものではない。
しかし、乗り心地は抜群で、ビロード張りの座椅子には馬車の振動は全く伝わってこない。
対面式の座席なのだが、ふたりは肩を寄せ合って進行方向に並んで座っている。
少女は若者の手を握ったまま、くるくると変化していく窓の景色を楽しそうに眺めていた。
今日は おでかけ
お兄さまと おでかけ
オークション オークション
たのしい たのしい オークション
おでかけ おでかけ たのしいな
ラララ――ラ
そのうち即興で少女が歌をうたいはじめる。
澄んだとても美しい声と、幼い歌詞がアンバランスなのだが、不思議と馴染んでいる。喜びに満ちた少女の歌声に、世界が明るくなる。
馬たちがヒヒンと楽しそうに嘶き、御者が「静かに!」と注意する押し殺した声が聞こえた。
「イトコ殿は……とてもごきげんだな」
たのしいオークションの歌を繰り返し歌っていた少女に、若者は穏やかな眼差しを注ぐ。
ずっと握られたままになっている手を己の口元にまで持っていき、軽く口づける。
少女は頬を赤らめ、さらに若者にすりよる。
「ふふふ。だって、お兄さまとおでかけですよ! お仕事での外出ではなくて、ふたりで仲良くおでかけですよ。わたくしはごきげんです!」
瞳をキラキラさせながら、少女は若者を見上げる。
確かに、このところ仕事抜きで少女と行動を共にすることがなかったような気がする。うっかりしていた。
「お兄さまは、わたくしとのおでかけが楽しくはないのですか?」
「楽しいに決まっているではないか」
甘えてくる少女に、若者は頬ずりで応える。もう一度、少女の手の甲に口づけを落とす。
おでかけどうこうではない。少女の側にいられるだけで、若者は楽しい……いや、幸福感に満たされる。会議室だろうが、執務室だろうが、少女がそこにいるのなら、若者はそれだけで満足だった。
馬車の目指す場所がオークション会場でなければ、もっと楽しいのに……と若者は思う。
(……カジノでないだけマシか)
少女がオークション会場に出入りしていることが長老たちに知られたら、また嫌味を言われるだろう。
その言い訳を若者は今から必死に考える。
自分が悪く言われるのは平気なのだが、長老たちの間では「そんなにフラフラと飛び回るのなら、羽根を切り落として、籠の中に閉じ込めてしまえばいい」という意見がではじめた。
守護者の変更を言い出した者もいる。
(それだけはなんとしても阻止しなければ……)
馬車が揺れ、少女との距離がさらに縮まる。
これ以上は無理というぐらいにふたりは身体をぴたりと寄せ合い、互いの温もりと香りを確かめあう。
「お兄さま……」
少女は口元をほころばせ、うっとりと目を細める。
美しく結い上げられた少女の髪を乱さないように気をつけながら、若者は少女の求めにひとつ、ひとつ応えていく。
「わたしの……イトコ殿」
若者の口から熱い溜息が零れ落ちる。
本音を言うと、少女を外に出すのは大反対だ。
身体の自由を奪うのは論外だが、長老たちが言うように、屋敷の奥の奥……さらに奥まった場所に美しい部屋を用意する。
その部屋に閉じ込め、誰の目にも触れさせず、柔らかな真綿に包むように、ひとつの傷もつけずに、大事に大事に少女を育てたいとは思っていた。
少女はそうされるべき尊い存在で、若者のすべてだ。
自分が盾となり、剣となり、少女に危害を加えようとする者や、この世のありとあらゆる災厄をひとつ残らず排除し、少女を護りたい。
だが、自由にあこがれる少女にとって、塀の内側の屋敷は狭すぎるようだ。
少しでも油断すると、少女は若者の庇護からするりと抜け出しては、ふらふらと飛び立ってしまう。
最初は塀の側にある花畑、近くの湖畔、少しだけ離れた森、その先の平原、はるか遠くに見える山……ついには、世界の果ての海辺まで……。
困ったことに、若者の大切な想い人は、異なる世界にまでその活動範囲を広げてしまった。
少女に悟られないよう、常に複数名の配下の者たちを護衛というか、見張りというか、監視につけているのだが、その複数の目をすり抜けるまでに、少女は成長してしまったのだ。
今までは少女が無断外出しても、若者の配下の者たちが、常にはりつき、気づかれないように護衛していた。
が、異なる世界となると、いかに優秀な配下といえど、陰ながらこっそりと……ということができなくなる。
特に、すべての世界と繋がっている場所にあるザルダーズのオークションハウスは厄介だった。
オークションハウスの中には、ザルダーズの職員と招待された者しか入ることができない。
巷では『鉄壁のハウス』と云われており、そのセキュリティ、情報管理、職員の身元調査など、ありとあらゆることが徹底されている。
出品者、落札者のプライバシーは守られ、ザルダーズ側から外部に漏れることは一切ない。
配下たちに命じて、ザルダーズについて調べさせたのだが、世間一般に知られている情報しか手に入らなかった。
職員に接触することもできず、内部に潜り込むこともできない。
信じられないことに、「少女が先々月にひきつづき先月もザルダーズのオークションに参加したようだ」……ということしかわからず、会場内で何が起こったのか、若者は把握できないでいた。
なので、幸運にもというべきか、少女がオークションに参加していることはまだ長老たちに知られていない。
「ところで、イトコ殿はなにをザルダーズのオークションに出品したのかな?」
少女の機嫌がとてもよかったので、さりげなく探りをいれてみる。
歌をうたい終えてご機嫌な今なら、色々なことをぺらぺらとしゃべってくれそうだ。
「ふふふ。それは……ひみつです! お兄さまはご存じないかもしれませんが、ザルダーズのオークションに参加する者にはシュヒギムというものがあるのですよ!」
「守秘義務か……」
「はい! オークションハウス外での不要なおしゃべりはキンキなのです! 他人のこともですが、自分のことも喋ってはいけないのです。お兄さまにも秘密です。それが自身の身と落札した品を守ることになるって、教えていただきました」
(そうなんだ。それなんだよっ!)
若者のこめかみがひくひくと動く。
そういう閉鎖的で秘密主義な部分が、イトコ殿の好奇心をくすぐったのだ!
そして、先月のイトコ殿の行動調査や、ザルダーズ職員の身辺調査も配下の者たちは失敗したのである。
(困ったな……)
無邪気で残酷な少女は、安心しきった表情で若者に寄りかかり、すべてを預ける。
若者を心から信じているからできる行為だ。
その絶大な信頼には誠実で応えたい。
だが、少女に不利益をもたらすありとあらゆる存在から、少女を隔離してしまいたいという気持ちもある。
矛盾した二つの行動選択肢。それが若者を苦々しい気持ちにさせていた。
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