EP7 オペレーション・ディザスター

 悠邪ゆうやは雪の上に降り立った。

 見上げればその先にはゴシック様式の巨大な城が聳え立っている。悠邪はその城の城門に歩み寄った。

 門を潜れば、美しい雪化粧を施した中庭が目の前に広がる。

 更に歩を進め、白の玄関扉に近付こうとした。

 その時だ。


「止まれ!」


 どこからともなく現れた男が、悠邪に突撃銃を向けて怒鳴った。

 悠邪はどうでもよさ気に歩を止め、ゆったりと辺りを見回す。

 八人の男が悠邪を取り囲み、銃口を向けていた。


「貴様、クロスの刺客だな」

「BA‐001、海神みなかみ悠邪」


 悠邪が名乗ると、八人全員が一瞬身を震わせた。

 001。クロスのトップエージェントの称号とも言っていいナンバーだ。男たちはその意味を充分に理解していた。


「この国の王女、火渡ひわたりさやかとその兄、火渡氷哉ひょうやは俺がクロスへ持って帰った」

「何だと!?」

「貴様ァァァッ!!」


 悠邪の言葉に、三人の男が動いた。一人は悠邪に殴り掛からんと疾駆し、もう二人は引き金を引く。

 だが、悠邪に動じる様子はない。

 アサルトライフルからの連弾は全て悠邪の眼前で突如として動きを止めて地に落ちる。殴り掛かった男は身体を有り得ない形に歪めて倒れた。男は完全に絶命している。

 悠邪が彼の能力を行使した芸当である事自体は理解できた。だが、この場の全員が能力者であったが、悠邪がどう能力を使ったのかはまるで分からなかった。

 それほどまでに、男たちと悠邪の力の差は歴然としていた。

 分かっていた事ではあった。だが、圧倒的な力量差を実感したのか、銃口が火を噴く気配は完全に途絶えた。


「クロノブレイカーズ司令、沢渡さわたりしゅんからのメッセージだ。あいつはオラクルと言えとほざいていたがな。『運命の翼は我が手に舞い降りた。天使は全ての運命を正す為に羽ばたくだろう』」


 悠邪は城に背を向ける。


「あいつは、この世界の『歴史』を守るそうだ」


 そう言い残し、姿を消した。


     ※     ※     ※


「ジャミングはどうやら切ってもらえたようだな」

「あ、そういえば……」


 言われてみれば、どことなく身体が軽くなったような気がする。

 床を軽く蹴ってみれば、その場に浮く事も可能だった。


「どうやら、信用してもらえたという事か」


 あいは言いながら、部屋のドアノブに手を掛け氷哉を振り返る。今、彼らはトライユニヴァース王国軍の所有する、軍用飛空艇の中にいた。氷哉と哀には二人部屋が宛がわれ、英人ひでと一騎かずき美衣名みいなまもるの四人は医務室で診療を受けている。衛に至ってはまで気を失ったままだ。


「信用ついでに、部屋も個室を用意してもらうか?」


 その研ぎ澄まされた抜き身の刃のような美貌に、微笑みを湛えて、哀はそんな冗談を口にした。いや、それは果たして冗談なのだろうか。

 どちらにせよ、初めて見る哀の表情。一瞬、それに見惚れてしまった氷哉は、言葉の意味を理解した途端に我に返り、顔を真っ赤に染め上げる。


「ふふっ、君は本当に面白いな。今更そこに思い至ったとは」


 男女が二人きりで同じ部屋で就寝を共にする、というのは傍から見ればつまりだろう。なぜこの段階に至るまで気が付かなかったのかと氷哉は内心で頭を抱えた。


「いや、済まない。ちょっとからかってみたら余りに予想通りの反応だったからつい、な」


 今日の哀はよく笑い、よく喋る。何故なのか気になる氷哉だったが、その理由は哀の次の言葉で明らかになる。


「今更部屋割りに文句は言わないさ。それに、が、君は何か異論でも?」


 哀はドアを開けた。


     ※     ※     ※


 オペレーションルームの自動ドアが電子音と共に開く。


「やあ。お勤めご苦労様、悠邪」


 笑顔で出迎えた瞬には目もくれず、悠邪は皮肉だけを返す。


「能力者をプロモーションに使えるのはアンタだけだな」


 しかしそんな皮肉も瞬には効かず、彼はただ笑みを返して前に向き直る。

 彼が目にしているのは強化ガラスの更に向こう。眼下に映るトレーニングルームの光景だった。

 悠邪も瞬の隣に立ち、その光景を見下ろす。

 そこにいたのは、一人の少女だった。


「で、調子はどうなんだ?」


 悠邪の問いに、瞬は顎に手を当てて少々思案する。


「そうだな。実際に戦ってみるかい?」

「自信アリ、って所か」


 瞬は答えずに僅かな笑みを見せ、通信を入れる。


「それじゃあこれから模擬戦を始めようか。準備はいいかい、さやか」


     ※     ※     ※


「あ、おにいちゃん!」


 開いたドアからやってくる人物に、さやかは目を輝かせる。

 彼は何も言わず、トレーニングルームに足を踏み入れるだけだった。


「模擬戦の相手、おにいちゃんなんだね」


 さやかは笑顔で『おにいちゃん』に歩み寄る。


「二人とも、加減してくれないと困るよ?」


 部屋に響く瞬の声。『おにいちゃん』は鬱陶しそうに返す。


「アンタがいるならしなくていいだろ」


 しかし瞬に皮肉は効かない。分かってはいるが、どうしても皮肉を返してしまうのが彼の性分らしい。


「それじゃあ、いつでも始めて構わないよ」


 瞬の言葉に、さやかは喜々として構える。


「いくよ、悠邪おにいちゃん!」


 それを受けて、悠邪はさやかと同じ構えを取った。


(おにいちゃん、か)


「それはないだろ、ご先祖様」


     ※     ※     ※


 これは、信頼の証と受け取っていいのだろうか。

 横に顔を向ければ、調子近距離に哀の寝顔を認めて思わず顔を背けてしまう。

 まあ、つまり二人は同じベッドで寝ているのだ。しかも氷哉の腕を哀が抱き止めて離そうとしないので、身動き一つ取れない。

 心地良さそうにしている哀とは裏腹に、氷哉は恥ずかしくて仕方なかった。既にこんな状況よりもっと恥ずかしい行為を終えているのだが、二人とも初めての割に激しかったので、この甘ったるい状況が返って恥ずかしいのだ。

 しかし哀は何故これほどまで急激に、しかしストレートに好意を示すようになったのだろうか。氷哉には見当も付かない。


「ん……」


 と、氷哉の緊張が伝わったのだろうか。哀が目を覚ました。


「氷哉……。なんだ、寝れないのか?」

「う、うん」

「そうか……」


 哀は氷哉が頷くのを見るや、身を起こして氷哉の上に馬乗りになった。


「それなら、二回戦と行こうか? 私は何度でも構わないが」


 微笑む哀。それを見た氷哉は顔を真っ赤にしてしまう。


「あ、哀さん!」


 何を恥ずかしい事を平気で、という非難の声に、哀は顔を顰めた。

 しかしそれは非難に対してではなく、


「哀と呼んで欲しいと言った」


 先ほどしている時、哀は自分を呼び捨てで呼んで欲しいと頼んでいた。にも関わらず、氷哉は今、彼女を何と呼んだだろうか。

 非難を非難で返された氷哉は一旦押し黙り、


「哀」


 瞬間、哀に勢いよく抱き着かれた。


「なんだ、氷哉」


 氷哉は一瞬躊躇ったが、哀を抱き締め返す。

 暖かい。

 母が死んでから、さやかが未来へ連れて行かれてから、記憶を操作されていた三年間でも感じることはなかった、人の温もり。

 もう二度と、これを失いたくはない。失う訳にはいかない。


「君は絶対、僕が守るよ」

「ああ。お前は私が守る。絶対だ」


 二人は唇を重ね、再び眠りに就いた。


     ※     ※     ※


 モニタールームを出た瞬は、オフィスへ戻り誰も通すなと秘書に命じた。

 窓際に歩み寄り、眼下に広がる街並みを見下ろす。眠る事を知らない、常に光に照らされる大都会。その影にひっそりと身を隠す貧民街。


   ――腐っている。


 瞬は踵を返し、内線を使って命じた。


「時は満ちた。オペレーション・ディザスターを発動する。エージェント各員をブリーフィングルームに集合させろ」


     ※     ※     ※


 緊急の招集指令が掛かり、光哉は悪態を吐きながらも制服に着替えて自室を出た。

 同じく部屋を出た祐美たちと合流し、ブリーフィングルームへ向かう。

 ブリーフィングルーム前の角を曲がった所で、悠邪たちトップエージェントに出会う。


美坂みさか光哉こうやのチームだな。今回のオペレーションに対して、心構えはしっかりできているな?」


 高圧的な態度に光哉は眉を顰めるが、粛々と返す。


「ああ。オペレーション・ディザスター。その為の準備は整えてきた。火渡氷哉たちには極秘で、な」


 光哉の返答に、悠邪は頷いた。


「いい顔だな。今回はお前らが主役だ。しっかり頼むぜ」


 それだけを告げ、光哉たちに背を向ける。脇に控えていた矜介きょうすけ風香ふうかを連れ、ブリーフィングルームへ入って行く。

 光哉たちも頷き合い、後に続いた。

 エージェントが揃い、全員が着席するとタイミングを見計らったかのように瞬が入室する。


「全員揃っているようだな。ではこれより、オペレーション・ディザスター発動前の最後のブリーフィングを始める」


 光哉はデスクの資料ファイルを開いた。


 ――氷哉、さよならだ。


     ※     ※     ※


「さやか。起動させろ」

「うん」


 さやかは頷き、目を閉じる。


「大丈夫だ。訓練通りやればいい」


 『おにいちゃん』に声を掛けられ、さやかは緊張を和らげる。


「うん、そうだよね。『おにいちゃん』」


 昔からそうだった。『おにいちゃん』の声が。『おにいちゃん』の言葉が、いつも私に安らぎを、安心をくれる。『おにいちゃん』といれば、私はなんでもできる――!

 さやかの身体が光り輝く。

 さやかの力が、世界に広がる。



「では、始めようか。これよりオペレーション・ディザスター――世界浄化作戦を開始する」


     ※     ※     ※


 一人の若者が、寂れたゴミ溜めのような路地裏を駆けていた。

 彼は逃げていた。逃げている、と判断できるのはもちろん、血相を変えて彼の後を追う柄の悪い男たちがいるからだ。そして彼の腕の中には、彼が追われる理由そのものがある。薬と――食料。この辺りではどんな金銀財宝よりも価値のある代物だ。そして彼は、その価値に見合うものを到底手に入れる事のできない人種だった。

 詰まる所、彼は盗みを働いたのだ。だから彼は追われる身となり、こうして命を懸けて逃げているのだ。

 しかし、彼にとってはこれは日常茶飯事だった。彼はこの街で、この世界で、まともなやり方では命を繋ぐ術も何も持たない下等な人間に過ぎない。

 彼は物陰に潜み、追っ手をやり過ごす。彼は手の中の食料の一部を口に放り込み、なんとか腹を満たす。

 周囲が静かになる。どうやら追っ手は撒いたようだった。空腹が満たされた事もあり、若者は息を吐く。


「呑気にタダ飯とはいいご身分だなぁ?」


 ハッと若者が顔を上げると、そこには追っ手の男たちがいた。


「チッ!」


 舌打ちしつつ逃げ出そうとする。が、背後から肩を掴まれ、それは叶わなかった。抵抗しようともがけば、羽交い締めにされてしまう。


「離……ッ!!」


 言葉は顔面に放たれた拳の衝撃で途切れた。続けざまに腹部や顔に拳を、蹴りを入れられ、若者は痛みに呻く。

 彼を取り囲む男の数は五人。絶望的な状況だった。

 この場は耐え忍ぶしかない。苦痛に顔を歪めながら、若い男は歯を食いしばる。

 食料は差し出してもいい。最悪、他に手に入れる方法がない訳ではない。だがこの薬は守る。守り通す。この薬だけは、病に倒れた母の元へなんとしても届けなければ。こいつだけはやっとの思いで手に入れたものだ。ほかに手に入れるチャンスは二度とない可能性の方が高い。


「こいつは返してもらうぜ」


 男が食料と薬を若者から奪い取る。


「返……あがっ!!」


 若者の抵抗の意志までをも奪わんと、奮われた拳が彼の腹部を打つ。


 ――返せ。


 だが、彼の心は折れなかった。


「返せよぉぉぉぉっ!!」


 そんな彼にもたらされたのは奇跡か否か。

 彼の身体が光に包まれる。


     ※     ※     ※


 時を同じくして、スラム街と呼ばれる場所に、いくつもの光の柱が立ち昇った。


     ※     ※     ※


 氷哉は自身の五感が、それ以上の感覚が妹の声を聴いた感触を得て身を起こす。


「さやか……!?」

「ぐっ――!?」


 同時に隣からの呻き声。氷哉は咄嗟にそちらへ意識を傾ける。


「これ……は……っ!?」


 哀は頭を押さえて呻きながらも、氷哉に言葉を送る。


「氷哉……、ジャミングを、起動、させてくれ……!」

「ジャミングを!? どうして!?」

「いいから、早く……! 私が……、私が、私でなくなってしまいそうだ……!!」


 必死の懇願に、氷哉は追及を止めて頷き、アルの元へ急いだ。

 操舵室のアルに、ジャミングの発動を頼み、自身の能力が抑制される感覚の中、自室へと駆け戻る。

 ベッドの上の哀は、どうにか落ち着いたようで、荒い息を整えながら横になっていた。


「哀……」

「ああ、すまない、氷哉」

「でも、何が……」

「分からない。ただ何か、強力な力の干渉を受けたような、そんな感覚があったのは確かだ」


 まさか……。氷哉は先ほどの感覚を思い出す。

 さやか……?


     ※     ※     ※


「大丈夫ですか、まもるさん!?」


 英人ひでとは衛に駆け寄る。哀と同じように、自身の能力に干渉を受けた衛は、悲鳴を上げながら目を覚ました。

 ジャミングの起動で難を逃れたが、しかしようやく目が覚めた衛には、ここがどこかも分からない状況である。

 英人が状況の説明をし、哀同様の感覚を衛が伝える。衛は説明を終えると再び眠りに就いた。


「能力に干渉? 誰がそんな事するってんだよ……!」


 英人のやるせない声に返したのは一騎かずきだ。


「さやかだ……。アニキも同じ事を感じてるハズだぜ……!!」

「さやかちゃんが……!? でも、なんで……」


 美衣名の疑問に、一騎は首を振る。


「分かんねえよ。でもあいつ、誰かを呼んでやがる。たぶん、俺たちシークレットと、アニキだ」

「氷哉、か」

「ずっと、『おにいちゃん』って呼び続けてるように聞こえんだよ……!」


 一騎は、双子の弟だからだろうか。氷哉よりも鋭敏に、さやかの力を知覚していた。


「しかも、これは……。ここじゃねぇな」

「は?」

「ここじゃねぇ。この時代じゃない、別の時代からだ!」


     ※     ※     ※


 A.D.2703。

 世界は死に至る。自らの力で。


「ここより先に未来はない。あるのは時の墓場だけだ。全ての未来の可能性を、この未来へ集約させる。それがオペレーション・ディザスターだ」


 瞬は死の山の頂に立つ。この世界で唯一、吹雪の止んだそこで、瞬は世界を見下ろす。

 星が自ら生んだ力で歪み切った世界は、この末路でなければならない。でなければ、時の流れは全ての歴史を喰い尽くし、この星は存在ごと消えてなくなるだろう。


「全ての時を、歴史を保存するには、これしか方法はない」


 最果ての魔術師は、星の時を守るべく自らの力を奮う。


「火渡氷哉……」


 シークレット。星が生んだ滅びの力がブレイクなら、彼らシークレットは自浄の力だ。彼らは力の使いようによっては星の救世主足りえる。

 だが、どんな歴史の可能性の中にも、彼らが星を救えた事はない。ブレイクの力は――星のバックアップを受けて増え続ける彼らは、個体数が圧倒的に違うシークレットでは到底太刀打ちし得ない。

 だが――。

 瞬の望む未来を作り上げるのもシークレットならば、それを阻む可能性もまた、シークレット。


「全ては星の意志。君はどちらに付く、火渡氷哉」


 最果ての魔術師は待つ。歴史の最終地点で、星の意志を。

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