EP3 シークレット・エージェント
どこからか、誰かの声が聞こえる。
二人の女性の声。
一人は大人の、もう一人はまだ幼い少女の声だ。
「おにいちゃん、はやくはやくー!」
幼い少女はどうやら、自分を呼んでいるようだった。
ふと周りを見回す。白い靄に包まれていた光景が晴れていき、たくさんの動物の姿が見えてくる。動物園のようだ。
「
今度は大人の女性に呼ばれる。
氷哉は自分の意志とは無関係に二人が呼ぶ方へと進む。
ふと、氷哉は視線を感じてそちらを振り仰いだ。
「アニキ? ……なんだ、ヘビじゃん。おーい、さやか! ヘビ見て行こうぜー!」
楽し気な声が遠くなっていく。いつの間にか世界は黒く染めあがり、存在しているのは氷哉と、彼を睨み付けて微動だにしない蛇だけになっていた。
氷哉は身動きが取れず、そんな蛇の鋭い眼光から視線を外せない。蛇は氷哉に向かって近付き、大きく口を開く。それが氷哉を丸ごと呑み込めるほどに肥大化し、氷哉の意識が吸い込まれるかのように消えていく瞬間――。
※ ※ ※
「アニキ!!」
「ふぇ?」
「『ふぇ?』じゃねぇっつってんだろうがぁっ!!」
先日同様に叩き起こされ、氷哉の意識は覚醒した。
自室のベッドの上である。しかしいつの間に自分が帰宅して眠りに就いていたのか、まるで思い出せない。
「ったく、なんでここでもこんなことしなきゃならねぇんだか……。起きたんなら先行ってるぜ」
それだけ言い残して出て行く
しかし記憶が曖昧である。昨日の夜から、ずっと悪い夢を見ていたような……。
夢。
自分は何か、大切な事を忘れているような気がする。
着替えを終えて部屋を出た氷哉は、自分が何を忘れているのか、その一部に思い至る。
「ここは……」
そこは自宅とは違う、しかしぼんやりと見覚えのある廊下であった。
※ ※ ※
「改めて、自己紹介をしよう。私は対時空間特殊能力者犯罪チーム・クロノブレイカーズ最高司令官及び、時空間特殊能力者研究部総括・
氷哉、
「あー、要するに一番偉い人って事でいいっすか?」
役職名が長すぎて付いて行けなかったのだろう、英人が困ったように手を挙げて口を開く。
「ははは、面白いね君は。そうだね、大体そういう事だと思ってもらって構わないよ」
そんなともすれば礼を欠いた英人の言葉に、瞬は口元に手を当てて笑いながら頷く。
「いや、それほどでも……」
「褒めてねぇだろ……」
「お兄ちゃんのバカ……」
「はぁ……」
照れ隠しを始める英人にツッコむ一騎と美衣名、呆れるばかりの氷哉、といった具合である。
そんな締まりのない光景に、瞬の部下であろう少年が声を荒げる。
「おいお前ら! なんなんだよさっきから司令の前で失礼だろうが!!」
「よしなさい、光哉。彼らも初めての事ばかりで緊張しているんだ。大目に見てあげなさい」
すかさず瞬自身に窘められ、光哉と呼ばれた少年は口元を引きつらせて口を噤む。オールバックにした金髪を見て、ここでは金髪が流行りなのか――いや、彼のは地毛のようだ……などと見当違いの感想を抱いている氷哉を、光哉はキッと睨み付けた。
そんな彼に、横にいた少女が笑いかける。
「そうよー光哉、私たちは先輩なんだから、後輩には優しくしなきゃ! ね、司令! 私も自己紹介していい?」
「ああ、構わないよ」
「わーい! 私、
キラッ、と擬音が聞こえてきそうなポーズを決めて自己紹介した、祐美という彼女は、そのまま流れるように氷哉の腕に抱き着く。有り体に言って我儘な身体つきの少女である。そんな彼女が思い切り身体を押し付けているのだからさもありなん。……氷哉が心身ともにそういう反応をするかと言われればそうでもなかったが。
「お、おい! 祐美!!」
「なにようっさいわねー、光哉は。……あ、あいつは
「なっ……! なんだよ、それ!」
そのままぎゃあぎゃあ言い合う二人を前に、氷哉たち四人は戸惑うばかりだ。そんな様子を見かねてか、瞬が手を叩く。
「二人とも。私は君たちまで大目に見てあげようとは、言っていないよ?」
その笑顔を前に、光哉と祐美はシュンとして頭を下げるしかなかった。
「さて、改めて説明しよう。私たち対時空間特殊能力者犯罪チーム・クロノブレイカーズは、この時代――26世紀に爆発的に増加する時空間特殊能力者による犯罪に対抗する為、同じく時空間特殊能力者を保護、養成し対策に当たらせる事を目的として結成された組織だ。最終的には、昨今の特殊能力者が忌避される状況から脱し、彼らの地位を改善していくのが我々の活動理念だ。時空間特殊能力者については、それぞれエージェントから説明を受けているね?」
そう、だっただろうか。昨日の記憶がまだ判然としていない氷哉は、教えられたような気もする、としか言えなかった。
時空間特殊能力者。それはつまり読んで字の如く。
「君たちが昨晩手にした、時間の流れを操る力。それを持つ者たちの事だ。不可逆的で一定な筈のそれを制御する術を経た彼らは、25世紀初頭から姿を現し始め、現代においては新たな社会問題に発展するまでにその数を増やしてきた。彼らの持つその力は、前時代の人間たちが夢見てきた、時間を容易く操るという超常のものではあるが、それを操る人間たちが必ずしも力を持つに相応しいのかと言われれば話は別だ。ある者は強すぎる力を御しきれず、ある者はその有り余る力に溺れて人の道を外れる。非常に不安定な存在だという事さ」
25世紀。2400年代という、氷哉たちからすれば遥か未来の話だ。しかし、氷哉たちは今、ここにいる。それは他ならぬ、時空間特殊能力によるものだ。
しかし、氷哉たちは21世紀の人間だ。
「そう。……今から二十年近く前になる。ある一人の時空間特殊能力者が、この時代に現れた。男性か女性かも定かではないそうだが、ここでは便宜上彼と呼ばせてもらおう。彼は自らを21世紀から来た特殊能力者を名乗った。つまり、君たちの時代から既に、時空間特殊能力者は存在していた事を明らかにしたんだ」
「……で、そいつはどうなったんだよ」
衝撃を受ける氷哉たちの中で、一騎が疑問を口にする。氷哉もその答えには興味が出てきた。彼というのはまさか、今もこの時代にいるのだろうか。
思わず前のめりで瞬の答えを待つ氷哉たちに、しかし瞬は首を横に振った。
「分からない。彼は相当に強力な能力の使い手だったようで、その痕跡はどのデータベースにも残されていない。今こうして話している事も、私自身口頭でしか伝え聞いていないものだ。なんらかのブロックを仕掛けてあるようで、特殊能力ですら彼の行方は掴めない」
「え、じゃあ……」
「その話が本当かどうかも……ってぇ事になっちまう気もするが……。そうじゃねぇんだろ?」
英人の問いに答えたのは瞬ではなかった。
「当たり前だろうが! 司令がそんな程度の話をわざわざするもんかよ!」
「……ほんとうるせぇな、こいつ」
「はいはーい、自己紹介はとっくに終わったし、光哉はもう帰ろうねー」
尚も言い募ろうとする光哉を押して、祐美は部屋を出て行った。そして能力を使ったのだろう、一瞬で氷哉の隣に戻ってくる。
「ははは、まあ、祐美も言っていた通り、光哉はひねくれてはいるが悪い子ではないよ。気にせず仲良くしてやって欲しい」
「はあ……」
「そういや、俺たちをここに連れてきた奴らは?」
そう言えば。一騎の言葉でようやく気付いたが、哀はどうしたのだろうか。今の二人が顔見せの為に同室していたのだろうが、そうなると他の面々についてはどうなるのだろう。英人や一騎、美衣名をここに連れてきた者たちがいるのだろうが、氷哉は哀とあの矜介という少年以外を知らない。まさか、全員を哀が連れてきた訳ではあるまい。
「ああ、彼らには休暇を取ってもらっているよ。君たちを連れてくるという大役を果たしたばかりだからね。それぞれ出会った者以外とはまだ面識がないだろうが、それは追々済ませて行こう」
そして瞬は先の話題を再開する。
「さて、正直に言えば、その能力者が実在したのかどうかさえ、完全に証明するのは不可能だ。しかし、研究と調査の結果、実際に21世紀に時空間特殊能力者がいる事が確認できた」
「それが、僕たち」
「その通り。そして、それはもう一人」
瞬は一度言葉を切る。一度目を伏せて、氷哉と一騎へ真剣な眼差しを向ける。
「氷哉、一騎。君たちには、もう一人きょうだいがいただろう?」
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