EP2 わずかな覚醒

「これが君の初任務の内容だ。質問はあるかな?」

「えっと、ありません!」

「では、期待しているよ。BA-005・結城ゆうきまもる

「はい! 行って来ます、瞬司令!」


 勢いよく敬礼した後、衛は部屋を出て行った。


「さて、二人の女神は、どんな天使を連れて戻ってくるのかな」


     ※     ※     ※


 僅かだが、覚醒しかけの能力を感じる。

 それも、ものすごく近くにだ。

 この学校の中……、この教室の中……。まさか。

 あいは何かを感じて隣の席を見た。

 そこにいたのは、素朴な印象の少年だった。長過ぎず、短過ぎない清涼感のある頭髪、あどけなさを残しつつも大人への成長を始めている顔立ち。どこからどう見ても普通の十五歳の少年である。

 哀は視線を元に戻した。


     ※     ※     ※


 今、僕を見たのか?


氷哉ひょうや、どうかしたか?」

「いや、別に」


 氷哉は視線を隣に向けたまま答えた。

 英人ひでとはその視線の先を追う。


「……物好きな野郎だよなぁ、お前」


 と、英人は急にニヤけた表情を作る。


「なんだよ、気色悪い」

「惚れただろ」

「ちが――」


 その時、丁度チャイムが鳴り、下校になった。

 氷哉と英人は一緒に昇降口まで降りた。

 そして昇降口から出た時、氷哉が英人に向かって、


「違う」

「あ? 何言って……。あ、ああ、もしかしてさっきの事かよ! いきなり過ぎて分かるかよ!」


 英人は腹を抱えて大笑いした。


「ちょっとお兄ちゃん! そんな所で爆笑しないでよ、恥ずかしいわね」

「いや、な、これが笑わずにいられるかっての!」

「どうせまたアニキの天然ボケだろ? さっさと帰ろうぜ」


 昇降口から出て来た一騎かずき美衣名みいなと共に、氷哉と英人は校門を潜る。


「……?」


 校門を潜った瞬間、氷哉は何かを感じて横を見た。

 朝、初めて会った顔がこちらをじっと見つめていた。


「転校生じゃん。なんか用か?」


 英人が訊ねると、哀は氷哉に近寄り、手を取った。


「え?」

「これ」


 哀は空いている手で、ポケットから一枚の紙切れを取り出す。それを、掴んだ氷哉の手の中に押し込んでくる。


「また、後で」


 哀はそれだけを告げると、踵を返して行ってしまった。

 氷哉は手の中の紙を開いてみる。

 書いてあったのは、哀の名前と電話番号にメールアドレス。それと、今夜八時に二人きりで会える場所を電話かメールしてください、という一文だけだった。

 横合いから覗き込んできた英人が、頭を抱えて喚き出す。


「おいおい、なんで俺じゃなくて氷哉なんだ!? 今日の恋愛運最高じゃなかったのかよ!?」

「あまり印象が良くないような事を言ってたのはどこの誰だ」


 全く、と嘆息して、氷哉は再度文面を見つめる。

 時宮哀。表情に乏しく、言葉も少なく、何を考えているのかまるで分からない少女だ。文面からも同様の印象を受ける。どうにも、彼女の意思や感情といった要素を感じられない。


「アニキ、俺も見ていいか?」

「ああ」


 氷哉の肩に肘を乗せ、一騎が問うて来る。氷哉は紙を一騎の方へ寄せ、中身を見せる。

 すると途端に、一騎は眉根を寄せて呟く。


「たったこんだけかよ……。気難しそうな人だったし、止めといた方がいいんじゃねぇ?」


 ほれ、と一騎は紙を氷哉の手から取り、気になっている様子の美衣名に差し出す。

 内容を確認した美衣名は、これまた一騎と同じく眉間に皺を寄せる。


「うーん……、これはちょっとコメントし辛いわよね。一目惚れされた、って言う感じでもなさそうだし……」


 一騎と美衣名の中では恐らく、初対面の相手に真意の分かり辛い手紙を送る変な人、と認識されたに違いない。

 氷哉としても全く同意見なのだが――。


     ※     ※     ※


「こちらBA-001、海神みなかみ悠邪ゆうや。シークレットを発見。名前は火渡ひわたり一騎」


 痩身痩躯の少年だった。頭髪は短めに切り揃えられており、縁のない眼鏡を着用している。眼差しは鋭利で、眼鏡と合わせて知的なイメージを想起させる。だが服装は、前をはだけたワイシャツに、インナー代わりのTシャツ、下は大きな穴の開いたダメージジーンズと、ラフな印象を受けるものだった。


 ――ああ。こちらでも確認しているよ、悠邪。


 どこからともなく、悠邪の耳に声が届く。瞬だ。


 ――君の能力との同調率を計測した。93%。非接触時からこれだけの同調率を示すとはね。流石と言うべきか。


「へぇ。そいつは覚醒後が楽しみだな。それと、時宮哀が接触した、シークレットと思われる人物の情報をくれ」


 ――火渡氷哉。君が見付けたシークレットの兄のようだね。詳しいデータを転送しておくよ。


 あいつが。

 悠邪は皮肉気に微笑む。


「楽しみじゃねぇか、ご先祖様?」


     ※     ※     ※


「はい、指示通り、あの時間に。分かりました。では、失礼します、瞬司令」


 私とあの少年が同調しているというのなら、同調率は10%にも満たないだろう。それに、同調しているのがあの少年だと言う確証もない。

 今夜、8時。

 だから、確かめなくてはならない。

 あの少年が、本当にシークレットかどうかを。


     ※     ※     ※


「珍しいよな、アニキが自分からピアノ弾くのって……」


 自室で、一騎は別室から聞こえてくるピアノの音を聞きながら呟いた。


「……っと、晩飯の買い出しに行かなきゃな」


     ※     ※     ※


「あっ、見つけたっ!」

「は?」

「お、お兄ちゃん!?」

「えへへ、やったぁ! 見つけたよっ!」


 突然、英人に抱き着いてきた少女。彼女は困惑している英人の顔を見ながら笑っている。


「……ちょっと、お兄ちゃん」

「うっ、ちょ、ちょっと、離れてくれっ!」


 英人はとにかくとばかりに少女を引き剥がす。すると彼女は笑顔で離れていく。


「な、なんなんだよアンタ……」


 出会い。

 英人の頭の中で、何かがピンと来た。


「……いや、済みませんでした。この度のご無礼、お許しください」

「へ? ご無礼って何が?」


 少女はきょとんと首を傾げた。


「いえ、なんでもありません。それにしても、なんとお美しい笑顔……。僕の心はたった今、あなたの笑顔に射抜かれてしまったようです」

「?」

「お兄ちゃん!」


 美衣名が怒鳴るも、英人は聞く耳を持たず歯の浮くような台詞を続ける。最も、その対象である少女は英人が何を言っているのかも分かっていないようだが。


「さあ、僕とあなたの行方を阻むものは何もありません。僕は佐藤英人。行きましょう、あなたの望む場所へ」

「英人君、だね! えっと、私は衛! 結城衛だよっ! 英人君はね、私が探してたシークレットなの!」

「そうですか、僕があなたの探していた……え?」


 聞きなれない言葉を耳にして、英人は思わず目を丸くした。

 そんな英人の様子が目に入っているのかいないのか、衛と名乗った少女は笑顔で言葉を継ぐ。


「さ、行こっ!」


 そして、英人の手を引いて駆け出そうとする。一体どこへ向かうつもりなのか。そう思った兄妹は全く正反対の反応を見せる。


「ちょ、お、お兄ちゃん!?」

「悪ぃ、美衣名! 先に帰っててくれっ!」

「え、ちょっと! お兄ちゃん!」


 そうして、困惑して動けない美衣名を置いて、英人と衛は笑顔でどこかへ消えてしまうのだった。


「……なん、なのよ。お兄ちゃんの、ばか」


 周囲に静けさが戻り、美衣名はそんな悪態だけをなんとか絞り出す。


「そうだよねぇ、アナタのお兄さん、バカよねー?」

「えっ?」


 振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。女性である美衣名から見てもうっとりしてしまいそうなほどの美少女である。先ほどの衛も美少女であったが、かわいらしくあどけない部類だった。こちらの彼女は、モデルのような絶世の美女である。

 彼女はその、艶やかな黒いボブカットの間から覗く美貌に、妖艶な笑みを湛えて美衣名に手を差し伸べる。


「さ、行きましょう? 佐藤美衣名ちゃん」


     ※     ※     ※


 一騎が帰って来ないが、弟は自分よりもしっかりした人間だ。心配は要らないだろう。

 氷哉は一人、家を出た。約束の時間だ。近くにある公園に向かう。小さな公園は、この時間ならば人はそういない。

 加速する。約束の時間は八時だった。

 加速する。意識が、早く、速くと脳を急かす。

 加速する。時間の感覚が薄れていく。

 加速する。果たして今は、約束の時間なのだろうか――?


「待っていた」


 氷哉は既に公園にいた。しかしこの、意識だけがこの場にあり、身体が全くついてきていないような感覚はなんなのだ。


「こんばん、わ……?」


 哀の姿も既に公園にあった。しかしそこにいるようでいない、いないようでいる。はっきりとその姿が見えるのに、ぼやけて見えるように感じてしまう。謎の感覚に氷哉の意識は支配されつつあった。


「そうか。やはり、君か」

「え――?」


 哀の独り言とも、氷哉に話しかけているとも取れる言葉が、耳元から聞こえるようにも、はるか遠くから聞こえるようにも感じる。


「君は今――!」


 そんな哀の言葉が途切れる。彼女は勢いよく振り返る。


「おいおい、そんなに警戒しなくってもいいじゃねぇかよ」


 そこにいたのは長身痩躯の少年だった。染めた金髪を雷のように逆立て、髑髏をあしらったシルバーアクセサリーを幾つも身に着けたその姿は、どこぞのストリートギャングといった風体である。前を大きくはだけたワイシャツから覗く体躯は病的なまでにやせ細っており、彼の存在に対する生理的な嫌悪感を煽り立てていた。


「BA-002・南原なんばら矜介きょうすけ……。なぜ貴様がここにいる」

「んなもん、お前さんと同じ任務だからに決まってんだろォが。そんなおっかねぇ顔してんじゃねぇよ」


 次の瞬間、いや、既にだろうか。矜介と呼ばれた少年は、氷哉の目の前にいた。


「で、こいつがお前さんの見つけたシークレットかよ? どれ、んじゃあいっちょ、この002様が腕試しの相手になってやろうじゃねェか!」


 矜介は腕を振り上げる。氷哉の目には、その腕に力の流れが集約するのが見えた。振り下ろされる拳の動きが、はっきりと見える。


「――がな」

「あァ!?」


 哀が呟くように言った言葉に反応するも、矜介の拳は止まらない。コマ送りで襲い来る拳を、氷哉は片手で受け止めるつもりでいた。


 いや、そう思った時には既に、拳はいとも容易く受け止められていた――!


「止めておいた方がいいと思うがな、と言ったんだ」


 哀の言葉がはっきりと聞こえる。


「私と彼の同調率は今、加速度的に上昇している。司令の言葉通りだな。この時間、この場所で彼の力は飛躍的に高まる。気を付けろ、002? 今の彼の力は、私と同等かそれ以上だぞ?」


 氷哉は自分の感覚が、時間の流れを完璧に認識している事に気が付いた。

 同時に、それを思うままに操る術も、矜介がそういう事をしているのだという事も。

 この、力は。

 氷哉は拳を握った。

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