【中編】CHRONO BREAKERS【完結済】

椰子カナタ

 

1st 時と運命と

EP1 未来から来た少女

 時は未来。

 当然の事だが、今よりも文明の発達した世界。

 人々は、その世界の中で平和に暮らしている。

 だが、そうやって普通に暮らす人々は、その平和の影に存在する、一つの組織を知らなかったのである――。


     ※     ※     ※


「識別コード、BA―004、時宮ときみやあい。準備はできているな?」


 はい、と長い黒髪の少女が答えた。

 歳はまだ十四・五くらいだが、どこか大人と言うか、暗い雰囲気がある。


「任務の確認だ。君はこれから単独で過去の世界に行き、過去の世界でしか生まれる事のない能力を持つ、シークレットを探し出し、我々の組織に勧誘する。これが君の初任務の内容だ。良い結果を期待している」

「はい。では行って参ります、瞬司令」


 哀はそう言うと、夜の街を一望できる他はあまりにも殺風景な部屋から出て行った。


「時宮哀……。どんなシークレットを連れて来るのか。楽しみにしているよ」


 瞬は、誰もいない部屋で呟いた。

 シークレット。時の定めを、変える事の出来る者――。


     ※     ※     ※


 私がこの組織に入ったのは、まだ七歳の時だったな。

 それから九年間、私はこの組織であらゆる教育を受けて来た。

 そして、今日。

 その成果を試す時がやってきた。

 私はこれから過去の世界へ行き、特別な力を持つ人間――シークレットを探し出し、連れて帰る。

 それが、今の私――ブレイク・エージェントとしての私の任務だ。


     ※     ※     ※


「――ちゃん! 哀ちゃんってば!」

「ん?」


 不意に後ろから声を掛けられて、哀の物思いは中断された。


「哀ちゃん!」


 振り返ると、哀と同じくらいの年齢の少女が笑顔でそこにいた。

 カチューシャを嵌めただけの、肩までスラッと伸びた髪が、幼い顔立ちとよく釣り合っていて、一見年下に見える。


「衛」


 哀は目の前の少女の名を呟くように呼んだ。結城ゆうきまもる。哀と同じ日にこの組織に入って来た。


「哀ちゃん、初任務、頑張ってね!」

「ああ」


 衛は満面の笑みで激励を送っているにも関わらず、哀は衛に向けて一瞬微笑んだだけだった。

 だが、いつもの事なのだろう。少女は気にも留めていない様子で立ち去った。


 不思議だな――。


 哀は、衛の笑顔を見た瞬間から、初任務に対しての緊張が解れていくのを感じていた。

 衛は常に笑顔を絶やさないようにしている。


 どんな時でも――。


 どんなに都会が平和になろうとも、その平和の裏には貧しい日々を送る人々が暮らす、スラム街の存在があった。

 そこで生まれ育った哀は、生き延びるための技術を我流で身に付けて行った。

 だからこそ、哀は信じられなかった。

 衛も、自分と同じ境遇で生まれ育って来た事を。

 あの地獄のような環境の中で生きて来た者が、あんなに笑っていられるものなのか?

 ……いや、考えるのはやめよう。私は私。衛は衛なのだ。

 哀はそう結論付けると、エレベーターに乗った。

 エレベーターは透明なガラス越しに見える夜空へ向かって行くように昇る。

 哀は、ガラスに背を預けて空を見上げる。

 今日の夜空には、月の光さえも姿を見せていない。


 自室に戻った哀は、私用品や軍用品を詰め込んだトランク一つを手にすると、すぐさま部屋を後にした。

 最低限、生活に必要な物以外は何もない部屋だった。


     ※     ※     ※


「行き先の時間は?」


 哀は訊ねると、目の前のモニターを見た。

 狭い、機械に埋め尽くされた部屋に哀はいた。


 AD2003.8.31


 モニターに映し出された文字を確認すると、哀はキーボードを操作し、システムの電源を切り、IDカードを抜き取った。

 この部屋の機械――に限った事ではないが、使うにはIDと指紋照合が必要になる。


「じゃあ、行こう」


 今から丁度五百年前、か。

 哀は目を閉じた。すると、哀の身体が白い光で包まれ、光の消えた時、そこに哀の姿はなかった。


     ※     ※     ※


「おいコラ! さっさと起きろよバカアニキ!」

「……ふぇ?」


 中学三年生、火渡ひわたり氷哉ひょうやは、弟の一騎かずきに布団をひったくられて目を覚ました。


「『ふぇ?』じゃねぇ! 新学期早々遅刻する気か、てめぇは!」


 怒鳴るだけ怒鳴って、一騎は部屋を出て行った。


「新学期……」


 氷哉は枕元に置かれたケータイを手に取る。二つ折りの機体を開き、時間を確認する。

 アナログ表示にしてある時計は、八時を指していた。

 新学期初日から遅刻はまずいな。覚醒し切っていない頭でそう考え、氷哉はよし、と決断する。

 寝ぼけ眼をこすりながら、氷哉は起き上がり、着替えを済ませて部屋を出た。呑気な顔をしているようには見えない、驚異的なスピードでだ。

 リビングに向かい、用意してあった朝食を摂る。


「よし」


 朝食を終えると、寝ぼけ眼はどこかに消えていた。鞄を手に家を出る。駆け出した足はしなやかに地面を蹴り、トップスピードを持続しながら通学路をノンストップで駆けて行く。

 やがて、学校に一番近いバスターミナルが見えてくる。辿り着くと、氷哉は足を止めてケータイで時間を確認する。


「八時二十分、と」


 ここからは歩いて五分も掛からない。八時半の予鈴には充分間に合う。

 昔からのんびりしているように見られがち――実際にそういう性分であるのは間違いないのだが――な氷哉だが、時間を強く意識するとその性質は正反対のものになる。時に凄まじい身体能力を発揮し、時に天才的な思考力を見せる。才能と言えばそうなのかもしれないが、氷哉はこんな自分の性質をあまりよく思っていなかった。この時の氷哉は一種のトランス状態となり、周囲の空間の時間が遅くなったように感じる。その、現実から乖離したような感覚を、氷哉は何度体験しても好きになれないのだ。

 時間を確認した氷哉は、ケータイを仕舞い、歩き出す。


「今日の運勢は……。お、恋愛運最高!? 新たな出会いが恋に実るかも……。おいおい、新学期早々こいつぁキテんな!」


 その時、後ろから聞き覚えのある調子の良い声が近付いて来た。振り返れば、そこには幼馴染みにして同い年の少年、佐藤さとう英人ひでとの姿があった。中学生離れした長身に、やや面長だが彫が深め、スポーツマン然とした短髪が映える顔立ちで、「黙っていれば」モテる男No.1の称号を欲しいままにする親友である。


「よう、氷哉! 見ろよこれ、最高だぜ!」


 英人は、氷哉の姿を見付けるとこちらに駆けて来る。氷哉の隣に並び、満面の笑みでケータイの画面を見せ付けて来る。ケータイサイトで閲覧できる、星座占いの結果だった。勿論内容は分かっているが、他の結果も見た上でコメントする。


「恋愛運だけ、か」


 英人の星座は今日、確かに恋愛運は五つ星の最高点を叩き出していた。だがその他の金運や仕事運などは軒並み一つ星であった。

 だがそんな指摘にも、英人は笑みを崩さずに口を開く。


「はっはっはッ! 気にするな少年、人は恋をしてこそ強くなれるッ! 他が最低なのはその為の試練なのさ少年ッ!」


 そんなんだから「黙っていれば」モテるなんて言われるんだ、と氷哉が心中で溜め息を吐いていると、今度は二人の後ろから女の子の声が掛かる。


「ちょっと、お兄ちゃん、氷哉君! のんびりしてると遅刻しちゃうわよ!」


 英人の妹である佐藤美衣名みいなである。振り返った年上の男子相手に威勢よく檄を飛ばす姿は、どちらが年上か分からなくなる程である。英人の兄妹である事を示すかのように、女子ながら高めの身長と、彫が深めの顔立ちを彩るボブカットという、大人びた容姿もその一因だろう。


「しまった、ヒデに付き合ってたから、せっかく急いで来た意味がなくなった。また一騎にどやされるな……」


 氷哉は、自分と正反対の性格をした弟の姿を思い浮かべて嘆息する。言葉使いこそ柄の悪さを感じさせるが、質実剛健と言うべきか――実直で生真面目な一騎に、マイペースを貫く気質の氷哉は年がら年中怒鳴られっぱなしだ。


「んながっかりしてる暇あんなら走れ! カズの代わりに俺が怒鳴りつけてやろうか!?」

「お兄ちゃんにそんな義理も資格もありませーん! ほら、氷哉君も早く!」


 英人と美衣名に急かされ、氷哉も走り出す。三人が校門を潜り、昇降口を越えた頃、予鈴のチャイムが鳴った。

 校庭の桜の木には、何故かまだ桜の花びらが一枚、風に揺れていた。


     ※     ※     ※


「なあ氷哉」

「何?」


 ホームルーム前の空き時間。氷哉は後ろの席の英人から声を掛けられた。


「知ってっか? 今日転校生が来るんだってよ」

「それで?」

「それがよ、転校してくんのは女らしいぜ」


 氷哉はそれを聞くと、なんだそんな事か、とでも言いたいような顔をした。


「なんだよ、いつもながらノリが悪ぃよな、お前」

「余計なお世話だよ」


 その時、教室のドアが開き、担任の教師と制服を着た少女が入って来た。

 賑わっていた教室が静まり返る。

 生徒たちの注目が転校生に向かっているのを察した教師は、咳払いを入れて話し始めた。


「転校生を紹介します。時宮哀さんです」


 少女は愛想のない無表情で、淡々とした口調で名乗った。


「時宮哀です。よろしくお願いします」


 空いている席に座るように言われた少女は、氷哉の隣の席に座った。


「……なんかよ、雰囲気悪ぃよな」


 英人が、小さな声で耳打ちしてくる。多分、隣に座った少女の事だろう。

 氷哉は隣の席をちらっと見た。

 黒いロングヘアー、凛とした感じの輪郭。確認できたのはそれだけだった。

 別に、英人の言う悪い雰囲気は感じなかった。

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