第67話 約束

 四日ほど経つと、風竜ヴィントが里へ帰ってきた。その表情は浮かない。


おさよ、只今戻りました」

「うむ、ご苦労。してどうじゃった」

「…はい、長の心配通り、あの木竜は安らかに眠ってはおりませなんだ」

「どういうことか」


ヴィントは見てきたことを語った。


 この山脈からはるか南西の地、人々がトーチラと呼ぶ地は自然崇拝が今も残っており、竜も信仰の対象であった。


 二百と数十年前、地竜の親である木竜は自らの寿命を悟った。そこで人間たちが神聖視している山でその生を終えることにした。


 人々は山を遠くから崇め、時折、ふもとまでやって来ては供え物や祈りを捧げた。草木も深く険しいので、信心深い人間たちは山中までは入って来なかった。いや、来ないはずだった。


「しかし、今は武装した兵士や騎士がうろついております。木が伐られ、道がひらかれましたが、かの地に根ざす民すら容易には近付けぬようで」

「…おそらくはセダルの兵だろう…」


ゼルスタンが誰に言うでもなく呟いた。


「ほう、ここから西にある王国じゃな」

「はい。あの国は野心が強く、最近は専らトーチラに勢力を拡げようとしておりました。いずれ主権も奪われようというのが、わが国の見解でしたが、もうすでに手遅れなのやもしれません。もともと部族国家で一枚岩ではありませんから」

「トーチラが彼らの手に落ちてから、少なくとも十年以上は立っているということですね。『竜の血』の事件から考えると」

「でも何が目的なのでしょう…」

「最強の軍団を作る、とか…?」


エッラの疑問に、ゼルスタンが少し考えて答えた。


「ふん、あんな死にぞこないが押しかけてきても何の脅威にもなるまい。せいぜい嫌がらせ程度だ」


あなたにはそうでしょうよ、マグノリアはまたもやリュクスを横目で見た。


「ま、まあ、確かに。命令を聞く能力も意思もない者たちの軍など誰も率いたくはないな…」

「では本当に目的は何でしょうね、アンデッドを作る実験を繰り返して…」


 マグノリアはシルトの妹ドリーのことを思い出していた。シルトという男は、身勝手で卑怯で嘘つきで…どうしても許せない人間だけど、妹のことだけは本当に助けたかったのだ。アンデッドにしたかったわけではなくて…あの男は何て言っていたっけ…。死人を生き返らせる…?


「不老不死…」

「うむ?主、『竜の血』には不老不死の効能はないぞ?」

「うん。でもシルトにそう吹き込んだ人がいるってことでしょ。誰かが不老不死に興味があるのじゃない?」

「…なるほどのう。その誰ぞが、他人に『竜の血』を飲ませて不死への方法を探っておるわけか。反吐が出そうじゃの」

「古今、そんなものを求めるのは時の権力者と決まっておりますが…そのセダルという国の王でしょうか」


風竜ヴィントの言葉に、セダル王族の内情に詳しいゼルスタンが答えた。


「セダルの王は高齢で、実権は第一王女が握っていると聞くが、むしろ彼女は父親に早く代替わりをして欲しいと思っているはずです」


第一王女カルラはまだ二十代だ。そんな若い盛りの王女が不老不死に興味を持つだろうか。高齢の王をまだ担ぎたい一派がいるのか…。


「ここで出るのは推測ばかりでらちが明かないな」

「そうですね。かの国には『竜の血』が無尽蔵にあるわけですし、本格的に対策を練らねばなりません。一度お城に帰りませんか」

「そのことだがな…」


王子と側近のやり取りを見ていたヒュドラムが口を開いた。


「一つ頼みがある」


皆が竜の長の真剣な顔を見た。


「お主ら人が無念の死を遂げてアンデッドになるように、竜もその『死』を邪魔されると穢れるのじゃ」

「そ、それは、つまり竜もアンデッドになるということですか」


アントンが驚いて聞き返した。


「そうじゃ。我らは本来、生を終えればこの世界の一部となる。それが我らの生きる意味でもあるのでな。その『』を妨げることは何人にも許されることではなかったはずなのじゃが…」

「竜のアンデッドなど、どれほどの被害が出ることか…」


ゼルスタンも言葉を失った。


「うむ、竜を倒せる人族などそうそうおらぬ。そこな戦闘狂ならできようが…」


ヒュドラムがリュクスを見る。


「冗談ではない。竜など殺せばどんな災厄を引き受けるかわからぬ。こ奴らは『神』に気に入られておるゆえ」

「そういうことだ。竜族と人族は古の昔から不可侵を暗黙の了解としていたのだがな。今やその『約束』も忘れ去られてしまった」


哀しげに気持ちを吐き出すと、マグノリアを見て言った。


「そこで、そなたに頼みたいのじゃよ。『白』の魔力を持つそなたなら、道理を外した『生』をもとの道に戻してやることが出来るからの」


道理を外れた命を戻す。おそらくドリーにかけたように「成長魔法」を使えばいいのだろう。けれども今度は山ほども大きい竜にかけなければならない。もし竜が暴れでもしていたらきっと命だって危ないだろう。


「主、嫌なら断ってもいいのだぞ?ゆかりもない愚かな人間どもが傷ついたところで、主には何の関係もないのだからな」


マグノリアは、後に立つ男の顔を見上げた。―ああ、これは私が断らないことを知っていて言っている顔だ。


「ううん、行くよ?『白の塔』に行ったら、新しい魔法が覚えられるのでしょ。連れて行って」


リュクスは眉を下げて微笑した。


「ああ、もちろんだ」

「そうか、済まぬな。もしことが成し遂げられたなら、我ら竜族はそなたへの恩を永劫えいごう忘れぬと誓おう。協力できることなら惜しまず手を貸すぞ」


こうして一行は竜の里を去る準備を始めた。

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