第66話 思い出
マグノリアはエッラたちに断って、リュクスとヒュドラムと共に書庫へと向かった。
ほんの少し埃っぽくて薄暗く広い部屋は、ここから遠のいてそれ程経ってはいなったが、マグノリアにはとても懐かしく思えた。
小さな低いテーブルと長椅子は以前と変わりなく、そのテーブルの上にはマグノリアの忘れ物、ティーポットと花差し、そして赤い毛糸で編んだひざ掛けが畳んで置かれていた。
思い出のひざ掛けを手に取ってみる。竜が言うように
お嬢様育ちで編み物などしたことがなかったマグノリアが、養母マリアに一から教えてもらって編んだものだ。目の弱くなったマリアが腕を伸ばしメガネをずらしながら、網目を数える様子が思い出された。
「うふふ…」
懐かしくなって、
「む、妖精か。まだ残っておったのじゃな…」
竜の声を聞くと、光は慌てたようにマグノリアの髪の中に隠れた。
しかしすぐに、彼女の後ろにぴったりとくっついたリュクスの手によって掴まれた。
【
「ちょっと、リュクス、乱暴なことしないであげて」
「この羽虫は主を連れ去ろうとしていたのだろう」
「そうかもしれないけど…」
ヒュドラムは二人の様子を見ながら何か考えていたようだが、マグノリアに向かって言った。
「まだ妖精の術が残っているやもしれんな、繋いでみるか」
マグノリアは頷いて、今しがた入ってきた扉の前に行き、魔法を発動しながら開けた。
「ほう!これはなかなか良い魔法じゃな」
竜が感嘆の声をあげる。
扉の向こうは、レンガ造りで天井の
リュクスの腕を掴んで引っ張っていくと、マグノリアは少し立て付けの悪い窓を開けた。
「リュクス、お願い。離してあげてよ」
「…わかった」
リュクスの手から解放された光は、部屋の中をクルクルと飛び回った。
【マグノリア、もう一人で泣いたりしちょらん?寂しかこつないかい?】
【…ええ!もう大丈夫よ。今までありがとうね…】
マグノリアがくしゃりと笑うと、光は窓の外へ出て行った。
妖精はきっと、孤独で寂しくて、どうしようもない子供を連れて行くのだろう、マグノリアは湖の方に向かう光を見送りながら思った。もしあの頃誘われていたら、迷わず付いて行ったに違いない。彼らにどんな下心があったとしても、あの時の自分が彼らに救われたのは確かなのだ。
「リュクス、ありがとう」
振り返って後ろに寄り添う男を見上げた。
「…うむ」
「さあ、皆の所に帰りましょう。これでもう、その扉がここと繋がることはありませんよね?」
「ふむ、そうじゃな。ふふ、しかし…」
ヒュドラムはリュクスの方を見た。
「お主の新しい『主』は少々お人好しじゃな。これではお主の心の休まる暇もなかろうて」
「…そこも主のいい所だ」
「ふはは、そうか。我も気に入った、何か困った時は我も力になってやろうかの」
「いや、そんな必要はない」
マグノリア本人が何か言う前に、リュクスが即座に否定した。
「いいや、お主には関係あるまい。我はこの娘に何かしてやりたくなったのじゃ」
「だめだ。主、気を付けろ。この竜は好色なのだ。前の主、キュルス王の妃にもちょっかいをかけていた」
「む、ちょっかいなどかけておらぬぞ。そもそも、あれはどちらかというと悪女だったろうが。いくら美女でもあれはないわ。我はこのお人好しの娘がいいのだ」
「…ほう?いい度胸だ。その巨体でまた一つ湖をこさえたいのか」
「はっ、次に墓穴を掘るのはお主の方じゃ。丁寧に埋めてやるゆえ、安心して沈め」
びりびりと二人の周りの空気が震えはじめる。
「ちょっ、ちょっと待って!せめて竜の里に戻ってから喧嘩して!街の塔が壊れちゃう」
「…主」
「…いや、今気にするところはそこではないぞ?」
二人は気がそがれたようで、大人しく書庫の方へと戻って行く。
パタリと扉を閉めて、もう一度開けるとそこは竜の館に続く廊下であった。
「うむ、これで妖精騒ぎも終わりじゃな」
「大変ご迷惑をおかけしました…」
「何、我も久しぶりに妖精を拝めた。奴らは滅多に姿を見せぬゆえ」
「私も初めて妖精を見たが、あれは生き物というよりは思念体のようだったな」
「そうじゃな、あれを素手で鷲掴みにするお主も大概だが…精神に
彼らがそんなに危険な存在だったとは知らなかったけれど、この先二度と会うこともないのだろう。そう思うと少し残念な気がした。
この日、トライコスの地で、虹湖がその名の通り虹色に光って街中で大騒ぎになった、と養父ラスや友人から聞くのは、もう少し後、マグノリアが里帰りした時だ。
竜の里では、猟に出た者たちが持ち帰った鹿肉でちょっとした宴が開かれた。リュクスは、獲物の位置を教えるといつの間にか行方をくらましていたそうだ。
妖精の話を聞いたアントンは「私も見たかったです…」とがっくりと膝をついていた。地竜は相変わらずエッラの機嫌を取り王子に煙たがられ、炎竜はなぜかギネヴィア卿の横に座っていた。
こうして一行は、風竜ヴィントが戻るまで、束の間の休暇を楽しんだのだった。
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