第65話 白い石

 草陰に埋もれるようにして置かれた丸い石は、大人が一抱えするほどの大きさで白くつるつるしている。


「…お墓、かしら?」


少し盛り上がった土の上に、どこか大切に置かれたような石は、誰かの思いがこもっている気がした。


「それは人の女子おなご墓標ぼひょうじゃよ」


いつの間にかヒュドラムが近くに立っていた。


「人間の、ですか」

「うむ。あの風竜ヴィントの母親だった女だ。ヴィントを産んでからもここにとどまり続け、ヴィントの成長を見守って、ここで生を終えた。ヴィント自らがここに彼女を葬ったのだ」


人の世界を離れて、竜の里で一生を暮らした女性の墓標。


「この方は人の国には帰りたくなかったのでしょうか…」

「さてな。孤独な者だったのかもしれぬな、竜の里に留まりたいと思うほどには」


同胞の傍にいるよりも竜と共にある方が孤独ではない…その気持ちはマグノリアにも少しわかる気がした。


「そなたもここに留まるか?歓迎するぞ」


ヒュドラムが悪戯いたずらっぽく笑った。


「ええ?いえ、結構です!」

「そうじゃな、あの男がいるからな。いやしかし、ふふ、あの男、何やら随分昔とは変わったようだな」


「昔」…キュルス王に仕える以前のリュクスのことだろうか。


「…どんな王様だったんですか、あの人」

「む?銀の魔道王か?そうよな、一言で言えば…戦闘狂じゃな」

「えっ?」


なんだか思っていたのとは違う答えが返ってきた。


「ふっ、あ奴は若くして王位に就いてな。あの頃は力の強い者が王になるという時代だったが、とにかくあの男は出鱈目でたらめに強かった…我も若かったからの、力比べをしてやろうと出向いて行って、負けた。それこそ完膚かんぷなきまでにな」


あっはっは、とヒュドラムは笑った。


「それに王妃になる娘が魔力も強く美しいと聞いて、あわよくば連れ帰ろうと思うてな」


妃になる人、マグノリアはドキリとした。そりゃ、王様になる人だもの、そんな人がいて当然だ、そう考えている間もヒュドラムの思い出話は続く。


「あの男は何でも出来たのだろうな、他人が努力してやっと出来るようなことでも、何の造作もなくやってのけたのだろう。

 他人に興味も持たず、いつもつまらなそうな顔をしていた。いや、実際つまらなかったのじゃろな。だが、戦っている時だけは、なんとなく生き生きとしていた。あくまでもなんとなく、だが」

「リュクスはどうして…命を落としたのでしょうか」


そんなに強い人がどうして。


「それは我も知らぬ。十年ほど経った頃だったか、王が代替わりしたと聞いてな。我も寝耳に水じゃった。納得できず、どんな人間が王になったのか見に行ったのよ。そうしたら、驚いたことに奴がおるではないか。新王の傍に影のようにぴったりと控えておった…そして再び戦いを挑んで我は負けた」


ヒュドラムは、今度は笑わなかった。


「じゃがな、その時あの男はちっとも楽しそうではなかった。我と戦ったことも憶えておらず、勝っても表情がピクリとも変わらぬ。もう人としての感情は失くしたのだろう、そう思ったのよ」


キュルス王の、マグノリアと同じ魔法は「人の心」を殺すのだろうか。もう二度とリュクスはもとの「自分」を取り戻すことはないのだ。マグノリアの胸がズキリと音をたてた。


「しかしだ!千年ぶりに現れた奴を見て驚いたのだ。妙に楽しそうではないか。それに妙に人間臭い」

「えっ?人間臭い、ですか」


いつも不愛想で、不遜で無表情なリュクスが楽しそう?そんなマグノリアの疑問をよそにヒュドラムはガハハとまた笑った。


「ああ、初めて出会った時よりも、だ。あんな色んな表情をする奴を見るのは、なんとも愉快じゃな」


 マグノリアはつやつやと光る石へと再び視線を戻した。さっきから薄っすら思っていることがあった。


「ヴィントさんはお母さんを埋葬された時、悲しんだんでしょうか」


孤独だったのはきっとお母さんの方ではない、残され一人で永遠の時を生きる方だ。


「…あの男と生きるのは怖いか?あれは老いもせず、そなたより先に死ぬこともないじゃろからな」


―確かに怖い。今はなぜか、多分前のご主人と同じ魔法を使うから、マグノリアに執着して一緒にいるけれど、いつか心変わりをして自分の元から去っていくかもしれない。


(ああ、私も一人残されるのが怖いんだ)


「怖い…です。自分が一人ぼっちになるのも…あの人が一人になるのも。でも…それは私にはどうすることもできません。私は普通に生きて、普通に年を取ることしかできませんから」


たとえ生きる時間が違っても、一緒にいられることには意味があるはず。


「だけど、私はあの人と生きたとしても後悔するつもりはないです。それに、私と生きた時間をあの人にも後悔して欲しくない…させたくないです」


ヒュドラムは少し驚いて、小さく笑った。


「なんじゃ、もうすでにあ奴と生きる覚悟は出来ておるのだな」

「…そうなんでしょうか」

「ふふふ、面白い娘じゃの、やはりここで暮らさんか?不自由はさせんぞ」

「えっと、そういう話でした?」

「竜は頭が悪いからな、理解が出来んのだ」


マグノリアは後ろから伸びて来た手に、腰を絡めとられた。


「リュクス!」

「油断もすきも無いな、色狂いろぐるい竜め」


リュクスはヒュドラムを威嚇しながら、ぎゅうぎゅうとマグノリアの体を抱きしめた。


「ちょ、ちょっと、苦しいのだけど!」

「ふははは、何、書庫の扉がまだ別の場所に繋がらぬか確かめてもらおうと思うてな。番犬も戻ってきたことだし、頼めるかの」

「あ、はい」


 番犬、ていうか今日のリュクスは牙をむくヤマネコみたいでちょっと可愛いわね、マグノリアはそう思いながら竜の後ろを付いて行った。

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