第19話 遅れてやってくるのは…

 「主…」


すっかり聞き馴染んだ声に、マグノリアは殴られた衝撃でクラクラする頭を上げた。


「リュ…クス?」


その瞬間、部屋の空気が文字通り重くなった。騎士たちはその重圧に立ってもいられない。リュクスが魔力を垂れ流したのだ。


「ちょ、ちょっと待って、リュクス。私は大丈夫だから!」


マグノリアは慌てて立ち上がり、リュクスの腕を掴んだ。本当は左頬がドクドクと脈打つように痛いが、さすがに騎士に危害を加えるのは得策とは思えない。


「大丈夫ではない。唇が切れている」


男は無表情のまま彼女の口端を親指で触った。そして、未だにうずくまるシルトを一瞥した。


「…殺すか」


二人の騎士が青くなった。何とか体勢を立て直し、腰の剣に手を添えるが上手く体が動かないようだ。


「ダメだってば!多分あの人、私の叔父様をめた人よ」

「そうなのか?」

「うん。あの薬、死んだ人を生き返らせるものなんだって。叔父様がそんなの欲しがると思う?だって叔父様は私の魔法の、一番の理解者だったんだもの」

「…そうか」


リュクスはテーブルの上に置き去りにされていた小瓶を取り上げた。コルク栓を抜いて匂いを嗅ぐ。


「これは…『竜の血』だな。あまり鮮度は良くないが」

「え、『竜の血』って不老不死の薬なんでしょ?」

「今ではそう伝わっているか?『竜の血』はほとんどの人間には劇薬だ。ごくまれに適応者が出るらしいが。そうでなければ、体中から血を噴き出し、悶え苦しんで死ぬだろう」

「えっ、そんな恐ろしいものなの?」

「うむ。だが本来はもっと真っ赤なのだ。それこそ鮮血のように…」


リュクスはしばらくその赤黒い液体を眺めて、考え込んでいた。


 壁際に倒れていたシルトが、再び呻き、意識を取り戻した。


「うう、俺は一体…」

「「隊長!」」


シルトは、部下の手を借りて立ち上がった。しかし見知らぬ黒衣の男に気付くと、目を見開いて驚き、剣の柄に手をかけた。


「誰だ、貴様?!その女の仲間か!」


―仲間…、シルトの言葉を繰り返して、リュクスは手で口を押さえた。


「…リュクス、そこ喜ぶとこじゃないからね」

「そうだな、仲間ではない。私は彼女のしもべだ」

「えぇー」

「何をしているんだ、早く捕らえろ!」

「それは…」


二人の部下は、それはもう不可能だと知っている。


「まあ、いい。『竜の血』のことだ。これをお前は、死人を生き返らせる物だと言ったそうだな。だが、『竜の血』に死者を蘇生させる力などないぞ。お前たち、死人ではなく死にかけの者に使ったのではないか?あのアンデッド騒ぎもお前たちの仕業なのだろう」

「…!貴様何者だ」

「その質問は二度目だな。お前は主を傷付けた。万死に値するところだが、主も聞きたいことがあるのだろう?吐かせる方法ならいくらでもあるぞ」

「…そうね。あなたが叔父様たちをおとしいれて殺したの?」


シルトは強い眼差しから目をそらした。


「さあね…」


まともに答える気はないようだ。


「この『竜の血』はどこで手に入れたの?」

「…」

「主、吐かせるか?」


 「お、お待ちください」


金髪の騎士が割って入った。


「私はオリヴィエ・コートニーと申します。この男の処遇は我々騎士団にお任せいただけまいか」

「オリヴィエ!貴様何を。隊長である俺よりその小娘を信じるのか…」

「いえ、こちらのご婦人を信じるというよりは、あなたを信じられないということです。この捜査も取り調べも、無理がありますよ。冤罪の片棒を担ぐなんて、まっぴらですから」

「なんだと?!貴様、よくも…」

「今日一日、頭でも冷やして下さい。エミリオ、領主殿に頼んで部屋の手配をしてくれ。騎士団に知らせを出そう」

「りょ、了解しました」


 エミリオが立ち去ると、オリヴィエは冷ややかな表情で、この独善的な上司の後ろ手を拘束した。シルトは何やらわめいていたが、やがて領兵に連れられて行った。


「さて、あなた方のことですが…」


オリヴィエは明らかにリュクスの方を見て言った。


「今から改めて騎士団に捜査の依頼をするつもりです。その時にはまた出頭していただきたいのですが」

「あ、あのですね、この人こう見えて怪しい者じゃないんですよ。ちょっと物知りで魔力が強いってだけで…私たち、この街から出るつもりはないので、いつでも聴取に応じます」


相変わらず黒ずくめで怪しさ全開だけど、私の言うことは聞いてくれるだろう、たぶん。そう思ってチラリとリュクスを窺うと、何やら機嫌が良さそうだ。今のマグノリアの言葉で、褒められたとでも思っているのだろう。


「そうですか。それなら今日はいったんお帰り下さって結構ですよ」


マグノリアはお礼を言って、リュクスと共に領主館を後にした。


 門の前では養父ラスが待っていた。二人の姿を見付けて、不安げな表情を和らげた。


「マグノリア!ああ、無事でよかった」

「ラスさんこそ、ごめんね、心配かけて…」

「いや、無実なのはわかっていたからね。リュクスさん、この子を護って下さってありがとうございます」

「そうね…リュクス、助けに来てくれてありがとう」


リュクスの顔を真っ直ぐ見てお礼を言うと、銀色の瞳が少し揺らいだ。


「いや、もとはといえば私が主の傍を離れたのがいけなかったのだ。これからは一秒たりとも離れぬと誓おう」

「いえ、それはちょっとご遠慮します」

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