第5話 過去からの訪問者

 マグノリアは忙しい毎日を送っていた。秋に差しかかるこの時期は、育ち切ったハーブの収穫や、来年に向けての種蒔きなど、やらねばならないことが山積みなのだ。


 幸い、薬や美容用品の売れ行きも好調なので、今年も臨時で何人かの女性に手伝ってもらっている。トライコスでも大きな工房となりつつあり、領主様からの覚えも良いものだった。


「ノリアー、ラベンダー乾燥できたよ!」

「はーい、じゃあ、蒸留室までお願い!」

「セージの苗持って来たわよ」

「はいはーい、じゃ、植え付けちゃいましょう!」


こんなふうにして一日が暮れてしまう。忙しくて毎日クタクタだが、女性たちには自由になるお金が手に入るからありがたいと感謝もされていた。


 今日もよく働いた。晩御飯は何かパパッと作れるものにしよう。チーズを切って…あ、贅沢してワインも開けちゃおうかしら。そんなことを考えながら家への道を急いでいた。


「ちょっとあなた、エヴァンズ男爵家のマグノリアさんよね?」


懐かしい家名で呼び止められて振り返る。声の主は、フリルがふんだんに使われたピンクのドレスに身を包んだ若い女性だった。


「えーと、どちら様ですか?」


見覚えのない女性だった。実のところマグノリアは、今はラス・ヴァイスマンの養子となっているので、マグノリア・ヴァイスマンというのが本当の名前だ。エヴァンズは亡き父の姓だった。


「わたしはレノア・フィリフィオール。フィリフィオール伯爵家の次女よ。昔あなたにお会いしたことがあるのだけど…。まあ、あの頃はあなたのお父様も羽振りがよろしかったものねえ」


にっこりと微笑んではいるが、明らかに蔑むような声色だ。


「その伯爵家のご令嬢が何の御用でしょうか」


レノアの物言いには少しムッとするが、おおむね本当のことなので異議は唱えない。だいたい貴族に逆らってもいいことなんて一つもないのだ。


「あら、ごめんあそばせ。わたし、エミリオ様ともうすぐ結婚して王都で暮らすの!」


レノアと名乗った彼女は頬を染めて嬉しそうに叫んだ。


―ああ、この女性が叔父様のことをエミリオさんに話したのね、マグノリアは即座に理解した。


「…そうですか。それはおめでとうございます」


マグノリアは笑顔を作った。


「…ありがとう。でもごめんなさいね、わたしも悪気はなかったのよ。だけどほら、あなたの叔父様が罪人だなんて後で知れたら大変でしょ?しかも騎士だったっていうのに、国に仇なすなんて、ねえ?騎士を目指しているエミリオ様の足を引っ張ることにでもなれば、困ってしまうもの」


―なぜこの人はこんなことを私にわざわざ言いに来たのだろう。放って置いてくれればいいのに。

マグノリアは唇をキュと噛んだ。


「それにあなたの魔法もね。やっぱり、ちゃんとした四元魔法じゃないと生まれて来る子供も可哀想でしょ?その点、うちは代々風魔法だから。『大気の精よ、舞い踊れ!旋風ホヮール』」


レノアがバッグから取り出した細い杖を振ると、小さな風の渦が出来上がり、マグノリアの髪を揺らして行った。


「…お話はそれだけですか?もう私には関係ないことですから」

「…あら、そうね。下働きみたいなお暮しですもの、お疲れよね。それじゃあ、御機嫌よう」


嘲笑を浮かべながらレノアは立ち竦むマグノリアの横を歩き去る。


 レノアは気分が良かった。


 実はレノアは子供の頃、何度かマグノリアに会っていた。マグノリアの父、ドン・エヴァンズは豪商で、その財力ゆえに叙爵された身分だった。しかし、ドンはその財に驕ることもなく、綺麗な商売をすることで有名だった。それで名門リーゼンバウム家も娘を嫁がせることを許したのだ。


 レノアの家はエヴァンズ男爵から多額の融資を受ける立場だったので、父伯爵からはその娘マグノリアのご機嫌を取るように言われていた。しかし彼女の周りのガードは固くなかなか近付くことはできなかった。


 レノアは、美しく高潔な両親を持ち、魔力も高く、親譲りの美貌も評判だったマグノリアに嫉妬していた。実際に、その頃のマグノリアは少年たちに人気であった。本人は全く気付いていなかったけれども。


 父親の命令でこの片田舎にやって来た時は、なぜ自分がこんなひなびたところで大人しくしていなければならないのかと世を恨んだが、落ちぶれたマグノリアを見付けてレノアは歓喜した。エミリオは優良物件だったし、今は自分の方が身分も財力も優れている。そう証明してやりたかったのだ。


               ~*~*~*~*~


 「…ただいま、タンタン」


帰宅した主人を迎え出た魔動給仕は、その元気のない姿に動揺しているのだろうか、夕食も取らずに椅子にうずくまるマグノリアの周りをうろうろと動き回る。


―明日はパルマさんのお店に商品を持って行かなくちゃ。こんな気持ちになってしまった次の日に王都へ行かなければならないなんて。


 あの女性が父のことに言及したのもいけなかった。いい子にしておいで、と言って出掛けて行って、戻って来なかった父。頭を撫でてくれた大きな手を思い出す。


 マグノリアは涙がにじんだ目頭を、膝のエプロンに押し当てた。幸せだった頃の思い出が脳裏を駆け巡る。煌びやかなパーティーやバラ咲き乱れる庭園。走りまわる子供たち。優しく見守る最愛の人たち。


 裕福な暮らしにはそれほど未練はない。けれど、二度と会えない大切な人たちを思うと胸が締め付けられた。


 たったあれだけの悪意に、こんなにも打ちのめされるなんて、自分でも思っていなかった。その夜、マグノリアは何年かぶりに一人静かに泣いたのだった。

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