第2話 塔から来た男
「だめです、殿下!どうかお二人はお下がりください!」
「しかし、アントン…」
「待って、まだみんなが…!」
「彼らの命はお二人を守るためにあるのです。ここは退くべきです!『清き流れ、激しく渦巻く乙女の緑髪よ…』」
アントンは無理やり二人を押しのけると、杖を振りかざし詠唱を始めた。
『…ウォーターウォール!』
立ち上がった水の壁の向こうでは三人の兵が重装騎士の一団と戦っているが、防御に徹するばかりで明らかに劣勢だ。だが臆することなく敵の足を止めようと立ち向かっていく。
「さあ、早く!」
エイラード王国第二王子ゼルスタンは観念して、婚約者エッラの手を引いた。エッラは泣きながら二人の男に付いて行く。
「クソっ、まさかエッラの光魔法が効かないとは…あのリヴィング・アーマーどもはアンデッドではないのか?!」
命からがら逃げのびて、小舟を岸に着けると王子が悪態をついた。片手で綺麗な金髪
をぐしゃぐしゃとかき回す。
「…どうやらその様ですね。火炎魔法も効きませんでしたし」
魔導士アントンが淡々と応じる。この男は若いながらも王国一・二を争う魔力量と技能を持っている。将来は魔導士団長の地位も約束されているだろう。
「父上に何と報告すればよいのだ!一階層も攻略できないのだぞ。意気揚々と出てきたのにこのざまとは」
「…ごめんなさい」
「エッラ嬢のせいではありませんよ。そもそもアンデッドでないリヴィング・アーマーなど聞いたこともないですし…あなたの魔法が効かないのなら、我々にはどうすることもできません。正直お手上げです」
恋人を気遣わない王子を睨みながらアントンが慰める。それを受けて、ゼルスタンはバツが悪そうに立ち上がった。
「さあ、帰ろう。お叱りは俺が受けるから。お前は何も気にしなくていい」
そう言って手を差し出した王子の水色の瞳には、いつものように優しさが戻っている。こくりと頷くと彼女はその手を取った。
しかしエッラが立ち上がったその時、辺りが凄まじい冷気に包まれた。ゆらゆらと揺れていた小舟は、今や氷に閉じ込められている。ゼルスタンは慌ててエッラを抱え上げ、舟から降ろした。見れば広い湖面は、夏だというのにすべて厚い氷に覆われていた。
何が起こったのかもわからぬまま、三人が「塔」を見遣ると、背の高い男が一人出て来るところだった。もしや兵が逃げおおせたのかと期待したが、それは黒い服に身を包んだ見知らぬ男だった。
黒く長い髪の黒装の男。ゆったりとした長衣は見るからに上質そうで、古の英雄譚の挿絵にでもありそうな風雅なデザインだ。
身に着けた革製の装飾品も全て同色で、柔らかそうな
ひどく美麗な顔をして、凍った湖のような銀色の瞳は無機質で何の感情も映していない。ただその身から溢れる魔力は、魔導士であるアントン以外の二人にも感じられるほどだった。
エッラは恐ろしさに身をすくめている。そんな彼女を庇うように、男たちが前に出た。
「なっ、貴様、何者だ!」
黒装束の男は、自分が問いかけられたのか、といった
「…ほう、『光』の使い手か。珍しいな」
男と目が合ったエッラはビクリと体を震わせた。ゼルスタンが前に出て男の視線を遮る。
「何者かと聞いている。俺はエイラード王国第二王子ゼルスタン・リンク・エイラードだ。もし我らに
「…今、この地を統治している王族か…まあ、お
「人探し?どこの誰だ」
「…わからん。会えばわかるが」
「なんだ、それは…いや、待てよ、ではわが城に来ないか」
「「ゼル?!」」
驚く仲間をよそに、抜け目のない王子は考えた。ダンジョンの攻略には失敗したが、塔から出てきたこの謎の男を連れ帰れば、その過失を補って余りあるだろう。
一方、幼馴染でもあり護衛でもあるアントンはさすがに警戒した。この湖を凍らせたのがこの男なら、ただの人間とは思えない。そもそもあの「塔」から出てきたのだ。ダンジョンに人がいるなど、過去の文献でも読んだ覚えはない。
「しかし、このような得体の知れぬ者を連れ帰っては、王族の方々に害がないとも限りません」
「いや、だが話は通じるようだぞ。それに人探しならば、やみくもに探し回るよりも、王都に腰を落ち着けて探した方が良いに決まっているではないか」
無関心で立っていた男であったが、ゼルスタンのその言葉に興味を引かれたようだ。
「そうか?確かに人が集まるところの方が探しやすいか」
「うむ!ぜひそうするがいい」
「…わかりました。ひとまずお名前を伺っても?」
アントンは諦めまじりの溜息をはいた。
「リュクスだ」
「家名はないのか」
「…ない。
「そうか、よろしくな、リュクス殿。こちらは『光の御子』エッラと魔導士アントンだ」
「うむ。世話になる」
ゼルスタンは、父と兄への取りあえずの面目が保てそうなことに安堵した。アントンは王子に振り回されるのに辟易しているが、この謎の男の魔法にも興味があった。エッラは、男が使う魔法が自分たちのものとは著しく異質な予感がして、密かに震えていた。
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