第一章
第1話 南の地にて
「すまない、マグノリア。この話はなかったことにして欲しい」
「え?」
「いや、君自身には何の不満もないんだ。むしろ君は素晴らしい女性だよ。ただ…その、君の叔父上のことを教えてくれる人がいてね…」
ああ、マグノリアはすぐに理解した。
「僕には都に行って身を立てるという夢があるんだ。身の回りをキレイにしておくに越したことはないだろう?」
「…そう」
「それに、ほら、僕たちはそれほど親しい間柄でもなかったろ?幸いなことに」
「…わかったわ。それじゃ、エミリオさん。都に行っても元気でね。さよなら」
「えっ、あ、うん。君も元気で…」
マグノリアは美しい黒髪をひるがえすと、農場へと続く道を小走りに下って行った。丘の上に佇む男を振り返ることもない。
(バカみたい…)
エミリオはこの地方の領主の三男で、三ヶ月ほど前にマグノリアの養父を通じて彼との縁談が持ち込まれた。それゆえ、エミリオが言うように、二人の間に深い関係などない。時折、並んで町を歩き、食事を共にしたくらいだ。マグノリアにも特にエミリオに対する強い思慕などはなかった。ハンサムだし紳士的でいい人だな、とは思い始めてはいたけれど。
少し心が痛むのは、叔父のことを言われたからだ。母の弟セインは魔法騎士団に属していたが、十年ほど前、罪を犯した。
―優しくて素敵な叔父様!あの叔父様が犯罪者なんて…。
一気に走ってきて乱れた息を整える。最後に一つ大きな息を吐いた。
「…今日中に、ヒソップの収穫を済ませなくちゃ」
―その後は、ディルの種子を乾かして、胃腸薬の調合に…夕飯はラスさんと…。
養父ラスの顔を思い浮かべて、マグノリアは胸のあたりに持って来た手をギュッと握った。
(
養母マリアが生きていたらまた違ったのだろう。きっと一緒にエミリオへの愚痴を言ってくれて、明るい食卓になっただろうに。残念なことに、マリアは一年前に帰らぬ人となっていた。
気を取り直してヒソップ畑へ入ると、すでに同僚のエリとアンが収穫を始めていた。辺りには清涼な香りが立ち込めている。
「遅いよ、ノリア!」
「そうよ、あんたの魔法のおかげでこんなに茂っちまったんだからね。きりきり働いとくれ!」
「ふふっ、ごめんなさい」
鎌を手にすると、アンの憎まれ口に小さく笑って応えた。
黙々と三人で刈り取りをしたヒソップは、工房へ持ち帰って数十本ずつ束にして乾燥させる。
マグノリアは薬品工房で働いているが、設立資金はマグノリアの実父の遺産が主だ。それほどの額ではなかったので、企画書を出して領府から借り入れもした。肥沃な土壌と穏やかな気候、そしてマグノリアの促成魔法のおかげで、薬草の生育も旺盛だ。経営も順調で、女性たちを何人か雇う余裕もあった。
「…ねえ、あんたエミリオ様とはどうなってるの。よくない噂を聞いたもんだからさ」
「よくない噂って?」
二人の子を持つアンは街で色んな情報を集めて来る。そんな情報源の噂話にエリも興味津々だ。
「いやね、都から休養に来てるっていう女性がエミリオ様を気に入っちまったって話さ。そのまま都に連れてっちまうって」
「えっ?そんなの、ノリアはどうするのよ」
二人が揃って、マグノリアを見る。
「うん、ホントみたいよ」
束を結ぶ手を止めずに、マグノリアは苦笑いで返した。
二人は驚きつつも、口々に慰めの言葉をくれる。マグノリアはそんなに傷ついていないから、と言いながら、都から来た人が叔父のことを知っていたのだと納得した。
マグノリアの母の実家は名門の貴族だった。代々騎士の家系で、祖父は副団長まで務めた人だ。今はもう誰も残ってはいない。
―今でも時々夢に見る。古めかしいお屋敷に、孫に甘い祖父母と優しい叔父様。そして美しく儚げなお母様。だけど十年前の事件の後、次々と失意の内に亡くなってしまった。今、あのお屋敷はどうなっているのだろう。
「そう言えばさ、第二王子殿下と『光の
「あ、アタシも聞いたわ!何年か前に湖に現れたっていう『白の塔』でしょ?」
アンとエリの会話がマグノリアを現実に引き戻す。
「え、そうなの?『白の塔』っていうくらいだから、光魔法で攻略できそうなのにね」
南の僻地に住んでいるマグノリアだって、この白いダンジョンの話は知っている。北の大きな湖上に突如現れた白い塔。このダンジョンは未だ
時折、辺境にはこんなふうにダンジョンが現れる。そこは洞窟だったり、海底神殿だったりするのだが、たいていは土魔法や水魔法など四元魔法に支配されていて、同属性か反対属性の騎士たちによって攻略される。それらからは貴重な宝物や、希少な魔法がもたらされるのだ。
だから、四元魔法の使い手は尊重される。特に攻撃魔法を持っていれば魔法騎士として身を立てることも可能だ。エミリオも強い地魔法を使えるので、騎士を目指していた。
一方で、マグノリアが使うような促成魔法や治癒魔法というのはあまり評価されなかった。治癒魔法は地や水の下位魔法だと思われているのだ。同じ治癒でも「光の御子」のように光魔法でも使えれば話は別だ。
「何人か死者が出たって話だよ。お二人は無事だったらしいけどさ」
「ご結婚を控えてるのに大変なことね」
辺境の小さな街に住む彼女たちには、どこか他人事だ。それも道理、このまま、温厚で慈悲深いと評判の王太子が王位を継いでも、野心家の第二王子が「光の御子」を王妃に、と名乗りを上げても彼女たちの暮らしは大して変わりはしないだろう。
ただ、マグノリアのように秘密を抱える人物の場合はそうとも言い切れないのだった。
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