春の日の花と輝く

五天ルーシー

序章

思い起こされるのはいつも同じ記憶。


あるじと共に過ごした、刹那ともいえる日々。


私は主のために生き、戦い、そして勝利した。


わが主は人々から慕われ、敬われ、愛された。


それでも時折、彼は浮かぬ顔をしていた。


私は問うた。まだ主には足りぬ物があるのだろうか、と。


主は眉を下げて笑った。


「僕は満ち足りているよ。国も平和で、皆も幸せそうだ」


ではなぜ、私をそんな瞳で見つめるのか…。


だがある日、ふとしたことから主の本意を知ってしまった。


彼は私を憎んでいた…好いてはいなかったのだ。


「僕は君が羨ましい…妬ましいんだ」


思い当たることはある。主の最愛の女性が愛を請うのは私だからだ。


しかし私がそれに応え得るはずもない。私は主の命にしか従わないのだ。


「けれど僕は…それ以上に君のことが…フフ、人の心とはままならないものだね」


心、か。


私には心というものがない。


主は私に心を与えたとは言わなかった。


だから私はいつも空っぽだ。


この空虚を埋めるすべも教えてはくれなかった…。


「君は昔からそういうことには疎かったからね。いつか…いつか、わかる時が来るといいね、そんな『心』を教えてくれる人が現れたら…」


私には心がない。


主の周りに集う者たちが順にいなくなり、とうとう主の最愛もこの世を去って、彼が悲しみむせぶ姿を見ても、私には何の感情も起こりはしなかった。


そんな私とは反対に、主は徐々に疲弊し憔悴していくようだった。


誰かを失う、それが主の心をどのように蝕んだのか、私にはわからない。


主との別離さえ私の胸の内にさざ波の一つも起こすことはなかった。そこにあるのは、変わらぬ孤独と一人歩むだけの道。


あれからどれほどの時が経ったのだろう。


私は相変わらず、渇きにも似た空虚を抱えている。


食事で腹を満たし、冷水を喉に流し込んでもこの渇きが癒えることはない。


水底に沈んだあの日から、私は何かに飢えている。


この呪いのようなかつえを満たす方法を私は知らない。




今、春を待ち侘びた萌芽のようにこの城が蠢きだすのを感じる。


ようやく昏い水底から外の世界へと出る時がやって来たのだ。


私に会いに来るのはいったいどんな人物だろうか。


男だろうか、女だろうか。若いのか、年老いているのか…私の渇きを少しなりとも癒してくれるのだろうか。


私に微笑み、私の名を呼んでくれるだろうか、強い瞳で強い声で。


たとえその邂逅が瞬きほどの時間でも構わない。


それだけで私は永遠の孤独を越えて行けるだろう。

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