第三話 龍狩り(りゅうがり) 3/3




 鶏頭が気を失っていたのはほんの少しだったようで、まだ鐘の音の余韻が境内に花の香のように残っていた。騒がしい声や物音に眼を開けると、氷雨神社で見かけた一同が境内をぞろぞろと横切り、南の神門から出ていくところだった。

 南の方向をまっすぐ向き、吊り橋を渡ってきたときのように一列になって去っていく。あのカマイタチもやってきた。なぜか二人になっている。一人はこの騒動の中でいなくなってしまったようだ。ふたりとも赤い長靴を片っぽしか履いていなかった。


 半身を起こした鶏頭は、すぐそこに半透明のトカゲがいることに気づいた。

 双頭の、紫水晶のような色の。これは。

「そう、それ龍だよ。鶏頭が鐘をついてしばらくして、鐘の中から落ちてきた。どういう具合なのか、小さくなってしまったね」

 トカゲの反対側に三角座りした中将がいた。鶏頭は顔を両手でこすった。

「布都御魂は」

「鐘を聞いて、飛んで行ったよ」

「どこへ」

 中将は南の方向を指さした。

 雲海も靄もどこにもない光景が広がっていた。緑の夏山と、光に満ちた町と、青い空と。カラスの群れが二宮のある山へ消えていく。しんがりが一羽離れている。

「先刻鐘をついたのは、そうすれば布都御魂が帰ると分かっていたからか」

「常ならぬ空間になっていたから、鐘をつけば元に戻ると思って」

 中将に答えながら、龍が小さくなってしまったのも、鐘の音力に魔力を飛ばされたせいなのか、と考える。それとも古い龍というのは徐々に小さくなり、トカゲやヤモリへと紛れて消えていくのか。

 ちいさく双頭のトカゲが鳴いて、鶏頭の膝に飛び乗ってきた。

 そういえば、漏刻博士の姿もない。

「漏刻博士がいなかったか」

「一瞬な。おかげで助かったが、そもそもは漏刻博士が橋を架けて布都御魂を召喚したせいじゃないか、この騒ぎは」

「確かに」

 双頭のトカゲがもう一声鳴く。

 鶏頭は少し考えて、いつも持ち歩いていたカマイタチの薬瓶を取り出し、トカゲの前足の五本指に握らせた。瓶はトカゲの体長の三分の一ほどもある。鶏頭は説明した。

「この瓶の中には薬が入っている。君に使った薬だ。この瓶は影にも隠せるからね。さあ、あの二人組についていって」

 トカゲは紫水晶の四つの瞳でしばらく鶏頭を見つめていたが、言われるままに、鶏頭から受け取った薬瓶を影にしまうと、もうすぐ南の神門から石段を下りようとしていたカマイタチの二人組を追いかけた。うしろにおさまり、一緒に歩き始める。

「あの龍は、カマイタチになるのか」

「とりあえずは。ここにいるよりいいだろう」

「あのカマイタチたちも龍の血を狙っていたんじゃないのか」

「大丈夫だよ。もう龍じゃないし、血が金になんてならないのは分かっただろうし、第一ほら、気づいてないよ」

 カマイタチは他者に無関心なのだ。

 鶏頭と中将はふたりの禿かむろと双頭のトカゲのカマイタチ三人組を見送った。

「それにしてもひどい有様だな」

 境内から客が去った後、怪我の鶏頭を気遣って中将が声をかける。

 しかし応えがない鶏頭に、中将は慌てて近づいた。

「大丈夫か」

「大丈夫だけど…これ」

 鶏頭は先刻までトカゲが乗っていた自分の膝あたりを指さした。

 そこに、トカゲの形に光る、金の塊が残っていた。




「それでその後、龍はどうなったんだ」

「鐘の中で消えてしまったともっぱらの噂だぞ」

「一宮の鐘はさすがの霊力との評判だとか」

「一宮の鐘楼守が龍を退治したという噂もあるぞ」

「中将は見ていたらしいじゃないか、本当はどうなんだ」

 漏刻博士の館の中にある影堂の影たちに、中将は質問攻めにされていた。

 今日は影堂に光を入れて、たまった影を蒸散する日だった。

 漏刻博士を訪ねてやってきた中将は、会見を済ませたあと、影堂に光を回すために反射鏡を設置する手伝いをしていた。

 もうすぐ蒸散するせいか、影たちはいつもに増して饒舌だ。

「それにしても布都御魂がおいでになるとは」

「布都御魂が直々にやってくるとは漏刻博士も思わなかったらしいぞ」

「それに、鶏頭が不定時の鐘をついたから、あの日は時が混乱して」

「鐘なんて誰でも打ってるじゃないか」

「あの時の鐘は龍入りだったからな」

「二宮はまだ混乱しているらしいが」

「去り際に布都御魂がひと暴れしたせいで、二宮もこの館も損傷がなかなか」

「まあでもこれくらいで済んでなによりだ」

「それに欲深いやつがあぶり出されたわけで」

「欲深いのは悪いことではない」

「それに館も二宮も建て直せばよいしな」

「そうそう、すぐに立ち直る」

「我らのように」

 さすがにどこにでもいる影だ、と中将は感心しながら、鏡を設置し終え、堂の階から外に出た。

 影堂の管理をしている祈祷師はしばらく前から人形が務めていた。影の話術や演技に一切関知しないようにだ。鏡の設置が終わると、仕掛けを作動させて堂の大屋根を開き、南中している太陽光を堂の中へ招いた。

 直接光と反射光が織られ、光が満ち、影が消滅する。

 影堂全体が白金に光った時、中将の懐に入れているずっしりと重いトカゲの金塊も一瞬発光した。


 今日、中将は龍の残した金の塊を持って、漏刻博士に相談をしにきたのだった。

 漏刻博士によるとやはり純度の高い金塊に違いないということだった。

 鶏頭は「そんなものをもらっても困るから漏刻博士に渡してきてくれ」と今日の使いになったわけだが、こちらは中将の予想通り突き返されてしまった。

「布都御魂に捧げても神の怒りを買うだけだろうし、わたしがもらうのは龍の思いに反するだろう」とは漏刻博士の言葉。

 つまりは鶏頭が持っているのが一番穏当ということになったので、中将は子どもの使いのように行きと同じ風体のまま帰り道をたどるのだった。

 金塊を残したのは、龍の最後の力なのか、それともあのトカゲは影堂の影のようにまた龍に戻るのか。

 中将には先のことは分からなかったが、早く八坂神社に帰って、鶏頭にトカゲの金塊を渡すのが楽しみだった。

 人形の祈祷師が祝詞を上げ始めたので、中将は帰ることにした。




















参考文献

『新訂 官職要解』和田英松著 講談社学術文庫

『有職故実 上・下(全二巻)』石村貞吉著 講談社学術文庫

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

漏刻博士の都のこと 兒玉弓 @mokuseido

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ