第二話 鶏頭(けいとう)1/3






 その三人組のカマイタチが公園に現れた夕暮れ、鶏頭けいとうはジャングルジムのてっぺんで足を投げて座っていた。

 真夏の苛烈な太陽の力がようやくゆるまった頃で、染み出るように西の空が茜色に、東の空も銀色になりつつあった。

 公園は川べりに整えられた林の中にあり、点々と配置された遊具や芝生広場には蝉の声が水圧高めのスプリンクラーのように注がれ続けていた。いつもは聞こえる川のせせらぎも、今は全く聞こえないほどの強固なスクリーンとなっていた。

 つい先ほどまでいた子どもや大人が潮が引くようにひとりもいなくなったせいもあり、蝉の声は鶏頭ひとりに注がれている形だ。

 蝉の圧にぼんやりしていたせいか、カマイタチが視界のすみにひっかかるまで気配に気づかなかった。カマイタチは三人縦一列になって、速足でまっすぐこちらに向かってくる。

 三人組のカマイタチは大抵がそうであるようにそっくり同じ格好をしていた。小さな童女ほどの背丈で、真っ黒い禿かむろ髪は肩までで切りそろえられ、銀鼠の着物に褐色の帯、赤い長靴を履いている。これも切りそろえられた長い前髪が眼を隠しているので表情は分からないが、白いしもぶくれの頬と引き結ばれた口はきっちり前方を向いている。踏み出す足が左右きっちりそろっている。

 などと観察をしている間にも、カマイタチはこちらに近づいてくる。そっと逃げた方がいいのだろうか。いやこのジャングルジムのてっぺんは多分死角になっている。しばらく息をひそめていればそのまま通り過ぎるだろう。

 鶏頭が石になろうと決めたまさにその時、さらに東の空からカラスが、そして西の公園入口からは見知った人間が、こちらへ一直線に向かってきた。

 飛来してきたカラスは遠目にも羽が四枚あり、漏刻博士が鶏頭に向けて飛ばしたものだと分かる。暮れの六時の鐘まであと三十分という伝言役のカラスだ。四枚羽のカラスの飛行速度は燕並みに速いと聞くが、なるほど最初見つけたときにはゴマ粒のようだったシルエットがみるみる大きくなってきた。当方用件は分かっているしすぐに鐘をつきに行くから、今どうか鳴かないでくれ、と願う。

 人間の方は、あれは八坂神社の長男のとおるだ。西の公園入口は生垣の切れ間なのだが、そこからひょいと現れ、大きな歩幅で迷いなく歩いてくる。猫背気味なのは子どものころから変わらない。こちらは当方への用事に心当たりはないので、偶然この公園を横切っているのだろう。

 これから鶏頭が鐘をつきに行くのもその八坂神社で、融が生まれる前から鶏頭は鐘をついており、融のことも子どもの頃から見知っている。八坂神社の宮司の子どもたちの中でも融はいちばんやんちゃだった。例えば、鐘楼の釣鐘の中によじのぼって入っていることも時々あり、鶏頭は鐘の中をまずのぞき込み無人なのを確かめてから、捨て鐘三回と時の鐘をついていた。

 どうやらかくれんぼの時のお気に入りの場所だったらしいが、半分以上はこちらの驚く顔を見たかっただけだろうとも思う。八坂神社の釣鐘は直径二メートルを超える巨大なもので、中に子どもを入れたまま、気づかずそのまま撞木しゅもくでついたら、中の子どもがどうなってしまうのか、考えるだに恐ろしい。融は叱られても涼しい顔をしていたが。

 融は今では大人になり、無論鐘の中に隠れることはもうないが、鶏頭は今でもまず鐘の中をのぞく癖が抜けない。

 その融はすぐにこちらに気づいたようで、歩みを止めないまま右手を高く上げて振ってきた。人懐こい笑みを浮かべていることは逆光でも分かる。

 それに反応したのは、三人組のカマイタチの方だ。

 急に進路の角度を変えた。融の進路に交わる角度の行進となる。速度が双方速まる。もうすぐそこだ。

 融はカマイタチに気づいていない。

「融、とまれ」

 鶏頭が声を上げ、融が眼を見開いたとき、カマイタチが融を襲った。




 三人組のカマイタチは、一人目が相手を転がし、二人目は切り、三人目が薬を塗る。

 その早業はまさしく颯の如し。

 鶏頭が慌ててジャングルジムから飛び降りた時にはカマイタチは既に仕事を終え、また速足で行進し始めていた。一番後ろのひとりが、歩きながらつと振り返り、ジャングルジムから飛び降りてきた鶏頭を見つめてきた。前髪が長くて表情が分からないが青白い唇が微笑みの弓になっている。

 しかしその時四枚羽のカラスが三人目と鶏頭の間を横切り鋭く鳴いた。そのまま鶏頭が座っていたジャングルジムのてっぺんにカラスは泊まる。カラスの動きにその三人目は素早く前へと向き直り、そのまま三人で芝生広場を横切りまた林の中へと消えていった。そのまま風になったようで、姿がすぐに見えなくなった。

 ひとつ息をついて、鶏頭は転倒したままあおむけになり動かない融に近寄った。

 顔を覗き込むと、融はまばたきをして、上半身を起こした。

「今の、カマイタチか」

「そう。三人組の」

「転がして、切って、薬塗るやつらか。速すぎてぜんぜん見えなかったよ」

 言いながらひょいと上げた左腕の前腕がしかしまだぱっくり切れていて、血が細く流れつづけていた。

「俺、カマイタチにやられたの初めてかも。痛くないってほんとだな。でもカマイタチの傷は血もでないんじゃなかったっけ」

「本当はそう。さっきの三人目の薬の塗り方が甘かったんだよ」

 鶏頭は慌てていつも持ち歩いている薬の瓶を取り出し、融の傷口にすばやく振りかける。出血が止まり、傷口がみるみるふさがる。

 鶏頭はかつてカマイタチの三人目をしていた。さきほどのようにそっくりの格好の三人組ではなく、一人目はイタチ、二人目はサル、三人目は鶏の姿のカマイタチだった。その頃使っていた薬の永久瓶を今でも持っている。

「ありがとう、助かった」

 融は屈託なく笑い、勢いをつけて立ち上がった。鶏頭がカマイタチだったことは、八坂神社の住人たちには知られた話だった。

 融は鶏頭の背後、ジャングルジムのカラスを見上げた。鶏頭もその視線に倣いカラスの方に振り返る。

 漏刻博士のカラスはその視線でお役目御免と思ったらしく、一声高く鳴いて飛び立った。四枚の羽で一気に高度を上げると、元来た方向へ旋回してそのまま飛んで行く。

 カラスの姿が消えるなり、静まり返っていた林の蝉たちが、それまで切れていた音量スイッチが入れられたかのようにフルの音量で鳴き始める。

「さて、では鐘をつきに行かないと」

 鳥の姿に変化しようとした鶏頭を、融が呼び止めた。

「鶏頭、俺これから仕事でK市にいくんだけど、ちょっとお願いがあって」

 なんとここに現れたのは偶然ではないらしい。

「いや鶏頭に会ったのは偶然。ここをショートカットして駅に向かうところだったから。そしたらそんなとこに鶏頭がおるから。まあこの公園に鶏頭がよくいるのは知っとるから、いたらいいなあ、とは思ってたけどね」

と、鶏頭の顔色を読んで素早く説明する。融は鈍いのか細かいのか分からないところがあった。言葉は続く。

「あのね、俺の部屋に最近変な奴が居ついてさ。留守の時に部屋の中に勝手に入って暮らしてるんだ」

 そう聞いて、鶏頭は少し顔をしかめた。鶏頭は融の真下の部屋に住んでいるのだ。無関係とはいえない。

「どんな奴なの」

「危ないやつじゃないよ、多分大丈夫」

「多分」

「鶏頭の方が強いって。だから、なんか気が向いた時でいいから天井を突いたり、部屋をノックしたりしてくれるかな。大歓迎じゃない、ってことを伝えたい」

 伝えるだけとは、生ぬるいことを言う。

「よくわからないけど」

 しぶしぶながら鶏頭が受け入れると、融は破顔し、右手にはめた腕時計の盤面を鶏頭に見せた。六時が近づいてきている。

「用事はそれだけだよ。呼び止めて悪かった。鐘をつきに行ってください」

 鶏頭はひとつ頷くと、素早くヒバリ程度の大きさの白い鳥に変化した。

 一宮の八坂神社の時の鐘はいわば時の鐘リレーの一番走者だった。八坂神社の鐘がつかれないと、その捨て鐘を聞いて順々に打ち鳴らす二宮三宮四宮五宮六宮七宮八宮の鐘はつかれない。リレーといっても順番に打ち鳴らすわけではなく、離れた宮の音に重ねてつくのだが。それらが重なり重なり響きあって作る音の結界のようなものが、もし八坂神社の時守が打ち漏らすと、一回張り巡らされないようになるわけだ。

 とはいえ現代でも朝夕一日二回張り巡らされている結界の網のたった一目くらいのほころびだろうが、鶏頭は真面目な鐘楼守だったので、この二十三年間朝晩の鐘を飛ばしたことは一度もなかった。

 二十三年間、だから鶏頭はこの町を遠く離れたことはない。

 それを知ってか、長じてよく遠方へ仕事で出かけるようになった融は、いつも鶏頭に小さなお土産を欠かさないのだった。

 融へのあいさつ代わりに一度翼を広げて、鶏頭は空へと羽ばたいた。

 一気に上昇する。眼下の融はこちらをもう見ずに、さきほどカマイタチが消えた方向の林へと大股で分け入っていく。

 公園の全体が見えるところまで上昇すると、鶏頭がいた広場以外の場所には百人ほどの人間の姿があった。

 いつもそうだった。人々の集う所に鶏頭が混じると周りが徐々に距離を置き、気づけばひとり取り残される。長い時間をかけて人間の姿を手に入れたが、元は異形だ。怪異の気配が消えないのだろう。

 どのみち、決して人間とは交じり合えないのだ、と鶏頭は悲しく思う。

 悲しく思う自分が、哀れだった。

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