第11話

 それから1時間後、俺は絃葉と病院の外の世界に繰り出していた。


「久しぶりだ」


 絃葉は外の空気を胸いっぱいに吸い込んで、感慨深そうにつぶやいた。


「無理やり連れ出してごめん」


「ううん、むしろさっき来てくれたとき、出て行ってなんてひどいこと言ってごめん。私も紡くんと話したいと思ってたから」


 彼女が感情的になったのは俺のせいなのに、優しい言葉を紡いでくれる彼女に、俺は胸がじんわりと温まった。


「時間がないからさ、ゆっくり話せるところに行こう」


「うん」


 京丹後総合病院は自然に囲まれている。俺たちは病院前のバス停からやってきたバスへ乗り、海沿いの方へと向かう。絃葉は何も言わず、ただ隣に座ってついてきてくれていた。

 15分ほどするとバスが海沿いの公園の前で停まった。昔、俺も子供のころによく遊んだ公園だ。冬なのであまり人気ひとけはなかった。絃葉と寄り添って公園の椅子に座り、海風に当たりながら彼女の吐息を感じた。


「これ、母さんが作ってくれたんや。よかったら入院中に使って欲しいと思って、持ってきた」


 俺はずっと抱えていた紙袋を、絃葉の方に差し出す。


「え、いいの? クッション? わ、もしかして、絹糸で作ったの?」


 紙袋から山吹色と橙色の糸で編まれたクッションを取り出した絃葉の瞳が、ぱっと煌めくのが分かった。


「ああ。俺が作ったのやなくて、申し訳ないけど。すごい気持ちいいと思うよ」


「ありがとう! 一生大事にする!」


 子供みたいな無邪気な笑顔を浮かべる彼女を見て、俺は勇気を出してまた彼女に会いにきてよかったとしみじみと感じた。

「糸は、大切な人の想いをつなぐって、ばあちゃんが言ってた。ばあちゃん、この間亡くなってん。報告が遅くなってしもうたけど……」


 俺の言葉を聞いた絃葉がはっと目を瞠る。


「なんとなく、予想はついていたわ。紡くん、1週間顔を出さなかったから……」


「ああ。何も伝えてなくてごめん。突然のことやって、ちょっと俺も動転しとってん」


「そうだよね。大丈夫、分かってたから。でも、そっか。亡くなっちゃったんだ……」


 絃葉がしゅんと身体を縮こませる。まるで、自分の大切な人を失ったかのような反応に、俺ははっとさせられた。会ったこともない俺のばあちゃんに対して、そこまで思ってくれることが、俺の胸を熱くする。


「でもおばあちゃんの言葉、良い言葉ね。糸が大切な人の想いをつなぐって。本当にそうだなって思う。私も、紡くんが文化祭で着物を展示してるのを見たことがきっかけで、今こうして紡くんと話せてる。糸が、つないでくれたんだよ。私たちを」


 絃葉の手が、いつのまにか膝の上で固く握りしめられていた俺の手を包み込む。無意識にこわばっていた身体が、彼女の熱で溶けていく。


「ああ、そうやな。そう思うと、嬉しいな。ずっと将来のこととか、あんまり考えられんかってん。俺、良い大学に行って、有名な企業

に就職しても、いずれは自分んとこの会社を継ぐんかなって、結局は決まった終着点にたどり着くだけやんかって思うてて。でも、大切な人の想いをつなぐ糸を編む仕事って、なんかすごい良いなって、今初めて思えたよ」


 絃葉が力強く、うんと頷く。

 不思議だ。彼女から背中を押されるとすぐに、俺は心が溶けていくみたいに前向きになれる。絃葉の優しいまなざしと言葉に、救われている自分がいた。


「絃葉、俺、さっきも言ったけど、絃葉のことが好きなんや。たとえきみが、病院でしか過ごせなくても、デートに行けなくても、顔を見るだけで幸せな気持ちになれる。だから俺は、やっぱり絃葉と最後まで一緒にいたい。いや、最後って変やな。ずっと、ずっとや。生きている間、ずっと」


 自分でもびっくりするぐらい、素直な気持ちが口から溢れ出た。まるで絡まった糸がするすると解けていくみたいだ。


「紡くん……」


 絃葉の潤んだ瞳が俺の目の前で揺れている。心臓が大きく脈打つのが止まらなかった。彼女はなんと返してくれるんだろう。病院では恋をしちゃだめだと言われたけれど、今なら——。


「歩きながら帰らない? 私の気持ち、話すから」


「え? ああ」


 そうか。話すのに夢中で忘れていたけれど、今日の外出は1時間しかないのだ。

 バスの中では落ち着いて話せない。だから歩いて帰ろうと彼女は提案してくれた。

 俺たちは椅子から立ち上がって海を背にする。またいつか彼女とここに来られたらいい、と考えながら、高鳴る鼓動はいつまでも俺の背中を押した。

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