第7話取引
それまでの大騒ぎが嘘であったかの様に、森永探偵事務所の空気は重苦しい雰囲気に支配されてしまった。
「チビちゃんが誘拐されたにゃ!」
メイが悲痛な叫び声を上げる。
「………」
突然の出来事に言葉を失うチャリパイとアルカイナのメンバー。あの昼間の銃撃からも分かるように、目的の為には何をするか解らないMI6の事である……朧の娘の安否が心配なところだ。
「どうして私の娘がこんな目に!」
不条理な仕打ちに怒りを露わにする朧。しかし、その怒りをどこにぶつけて良いのか解らぬまま、朧はすがる様な眼差しでシチロー達の事を見つめていた。
「また、庶民に逆戻りね…」
暫くの沈黙を挟んで、そう呟いたのは、てぃーだだった。
「チビちゃんの命には代えられないわね…」
続いてそう呟いたのは、アルカイナのゆみ。その言葉に、セイやメイ、シン、そしてサトが頷く。
「しょうがねぇな…まったく…」
羽毛田が髪の無い頭をボリボリと掻きながら、そんな事を呟いた。とてもテロリストとは思えない人道的な台詞である。その羽毛田の言葉を受け、シチローが結論をまとめた。
「では、全員一致で明日の25日は取引に応じます!」
「異議なし」
全員が声を揃えて賛同する。
「やっぱり、すんなりとはいかなかったか…」
「まあ、この特上寿司のお勘定はシチロー持ちだからいいんだけどね」
「あっ!!それがあった!」
大トロを頬張りながら言う子豚の言葉に大声を上げるシチロー、そして提案した。
「ねぇ~、こういう事態なんだからここは仲良く『割り勘』という訳には……」
「異議あり!」
これには、全員が声を揃えて反対した。
「シチロー君、男が一度言い出した事を簡単に翻してはイカンな……」
腕を組んだ涼風が、さらりと冷たく言い放った。
「ってか、言い出したのコブちゃんだし!
「うるさいわよシチロー!さっき、フェラーリ買うとか言ってたくせに!」
「なにを!そう言えばこの間の五千円もオイラの奢りだっただろ~がっ!」
「古い話を蒸し返さないのっ!先週の話でしょ、それ!」
あの数十億の話からは大幅にスケールダウンして、五千円の事で揉め始めるシチローと子豚。
「ええい、こうなったら妬け酒だあ!ビールおかわりぃ~!」
「あたしもビールおかわりぃ~」
「ワインおかわりぃ~!」
和やかな打ち上げパーティーから一転して妬け酒大会に様変わりしてしまったチャリパイとアルカイナ。おかわりのビールとワインをお盆に載せ、忙しくキッチンとリビングを行き来するお茶汲み係のメイであった。
「忙しいですにゃ♪」
♢♢♢
そして翌日、約束の25日がやって来た。
「あ~そういや、今日クリスマスだったっけ…」
赤や緑のクリスマスイルミネーションで装飾された街並みを歩きながら、シチローがぽつりと呟いた。
「あ~あ~…本当なら今頃はとびっきり豪華なクリスマスパーティーが出来る筈だったのになぁ~」
彼等が歩く新宿の街角では、皮肉にもジョン・レノンとオノ・ヨーコの歌うあの有名なクリスマスソングが流れていた。
「…それにしても…………………………………………………頭痛い……」
あれから、朝方まで続いた『大妬け酒大会』のおかげで全員が酷い二日酔いで頭を抱えていた。唯一元気だったのは、底無し酒豪のひろき位なものだろうか。
「それにしてもドボンの野郎!汚いマネしやがって!」
チャリパイとアルカイナが手強いと知るや、いち早く作戦を変更したMI6。
やり方は卑劣だが、見事にこの楽譜争奪戦のイニシアチブを穫ったと言える。
「おいシチロー…これ、お前らのメンバーに配っとけ!」
そう言って、ふいに羽毛田がシチローに何やら紙袋に入った塊を手渡して来た。
「何、これ…?」
シチローは、ずっしりと重い紙袋の中身を覗き込むと、怪訝そうな顔を羽毛田に向けた……
袋の中には『ベレッタ』が5丁…勿論オモチャでは無い。
「マジで?」
「ああ…用心に越した事は無い。仮にも相手はあのイギリス諜報部MI6だからな!」
そんな羽毛田の横顔は、シチローにはいつになく真剣そのものに見えた。改めて考えてみれば彼等はテロリスト。常に死とは隣り合わせの危険な修羅場を潜り抜けて来たに違いない。シチローは思わず羽毛田のいつになく真剣な横顔をじっと凝視した。
「羽毛田…………………お前……………………」
「なんだ…………?」
「そろそろ鼻毛切った方が良いと思うよ………………」
「・・・・・・・・・」
♢♢♢
AM11:50 〇〇埠頭…
「この辺りだよな…取引の場所って」
メモで指定された埠頭に到着したシチロー達は、MI6の居る倉庫を探す為キョロキョロと辺りを見回すが、その建物はすぐに特定出来た。
「シチロー!あの車!」
てぃーだが指差したその先には、こういった場所には何とも不釣り合いなイギリス製の高級スポーツカーが一台、そしてその車を取り囲む様に、数台の装甲車が止まっていた。
「わっ、カッコイイ外車」
「『アストンマーチン』か…恐らくジェームズの『ボンドカー』だな…」
「でも、『ボンド』じゃなくて『ドボン』だから、『ドボンカー』じゃないの?」
「カッコ悪い名前ね…それ……」
映画でおなじみのボンドカーは、水中を走ったりリモコンで動いたりと様々な驚きの仕掛けが施されているのだが、このドボンカーはどうなのだろう?
「車がここにあるという事は場所はあの倉庫だ。とにかく、中に入ろう!」
そのシチローの言葉を合図に、建物の入口を睨み付ける全員の顔に緊張が走った。
時刻は正午を差し、いよいよ取引の開始だ。
倉庫の重い扉を開きその中へ足を踏み入れると、そこにはジェームズ・ドボンを中心としたMI6の工作員達がずらりと並んで、シチロー達の到着を待っていた。
「さすが日本人は、時間に正確ネ」
余裕の表情でドボンが笑みを浮かべる。
ドボンの左右には、部下であろうスーツ姿の工作員が十人。その一番端の男の傍には、ロープで腕を縛られた人質である朧の娘が居た。
「あっ!お絵描きのおねぇちゃん!」
「チビちゃん!大丈夫よ!お姉さん達が絶対助けてあげるから!」
「アンタ達!こんな幼い子供をロープで縛る事無いでしょ!」
チビちゃんを励ます子豚とドボンに怒りをぶつけるゆみ。
「大事な人質なものでね。逃げられても困るネ」
「フン!…人質取るなんざMI6も地に落ちたもんだな。『ショーン・コネリー』はひいきの役者だったが、もうこれっきりだ!」
初代『007』のショーン・コネリーの名前を出して皮肉を言う羽毛田に対し、ドボンは口角を上げて答える。
「何とも古い話ネ。『目的の為には手段を選ばず』これが新しいMI6のやり方ネ」
「まったく……まるで、テロリストだな…………」
「おいシチロー!あんなのと一緒にすんなよ!俺達ゃ~あ~ゆう卑怯なマネだけはやらねえんだよ!」
昨日まで楽譜を横取りして逃げようとしたくせに、よく言えたものだ……
「楽譜を渡せば、チビちゃんを返すんだな!」
「勿論だ。我々も手荒なマネはしたくない」
「それじゃあ、まずチビちゃんを解放しろ!楽譜はすぐに渡す!」
「我々をナメてもらっては困るネ。楽譜を渡すのが先だ。女の子はその後に返すネ」
「そんなの信用できるかっ!チビちゃんの解放が先だっ!」
「楽譜が先ネ!」
シチローとドボンのそんな問答がいつまでも続き、なかなか交渉がまとまらない。
そんな二人に、業を煮やしたてぃーだが一言。
「じゃあ!同時に交換すればいいでしょ!」
「よし!乗った!」
シチローとドボンが同時に叫ぶ。
まったく世話が焼ける…と、顔を歪めるてぃーだの提案で一旦は話がまとまったものの、隣のシチローと向こう側のジェームズ・ドボンはまだ疑わしい表情で互いを睨み付けていた。
「ところで、そのノート、本当に本物だろうな?」
「当たり前だろっ!そっちこそ、ちゃんと同時にチビちゃんを放すんだろうな!」
「当たり前ネ!……そっちこそ……」
「いや、そっちこそ……」
「シャラァ~~ップ!お前らいい加減にせんかあああああ~~~っっ!!」
「わかりました…」
普段冷静なてぃーだが見た事も無い位にキレなければ、その問答は延々と続いていただろう。
「おねぇちゃん!」
「もう大丈夫よチビちゃん!よく頑張ったわね!」
ほとんど同時に交換されたレノンのノートとチビちゃん。
ロープに縛られたまま走り寄って来るチビちゃんを、子豚ががっしりと受け止めた。
「フッフッフ…とうとう我が手中に来たか♪」
それと同時にMI6側へと放り投げられたレノンのノートを受け止めたドボンは、こみ上げる笑いを堪えきれないといった風に、口角を上げて低い笑い声を漏らした。
「さすがに60年以上も経っているだけあって、紙に染みがあるな…まぁ、これも歴史的価値の一部という事か…」
所々に見られるノートの表紙に付けられた染みを指先でなぞりながら、満足そうに頷くドボン。しかし、そんなドボンの至福のひとときにアルカイナのメイが水を差した。
「ごめんなさいそれ、さっきお茶こぼした時の染みですにゃ♪」
「Oh~!なんて事を!……………………………クソッ!まぁいい……大事なのは中身だ!」
気を取り直してノートのページを捲ると、そこにはまさしくレノン実筆の音符が見事に書き綴ってあった。
「素晴らしい!」
譜面の読めないドボンではあったが、その昔、あのジョン・レノンがホテルの一室でこの曲を書いたというその歴史的事実が、彼の心を踊らせるのであろう。まるで少年の様に瞳を輝かせてノートのページを捲るドボン。
「ビューティフル!ワンダフル!ホシ,ミッツ!」
思いつく限りの誉め言葉で讃えながら、興奮した様子でページを捲り続けるドボンであったが、暫くすると…ふと、その手がぴたりと止まった。
「ン?…これはナンダ?……」
それはちょうど曲と曲の間の間奏の部分であろうと思われるページに、
なぜか日本語で書き綴られた文字の数々……しかもそれはどうも最近かかれたものの様だった。
「…この『拓』ってのはナンだ?」
「いやぁ~。急にいい詩が浮かんだんだが、そばに書く物が無くてな」
まったく悪びれた様子も無く、涼風が頭を掻きながら笑って答えた。
「何考えてんだあああああ~~~っ!お前はあああああ~~~っ!」
顔を真っ赤にして怒り狂うジェームズ・ドボン。しかし、それに対する涼風はいたって冷静だ。
「何、案ずる事は無い。なにしろそこに書かれているのは、日本を代表する黄昏の天才詩人『涼風 拓』の傑作だ!レノンの曲と比べてみても、なんら見劣りするものでは無い!」
「…………………」
あまりにキッパリと言い張る涼風の堂々とした態度に、ドボンも呆れてそれ以上怒る気が失せてしまった。
「…とんでもない予想外の出来事だ……まさか、他には何も書いて無いだろうな……」
そう呟き、天を仰ぎながら右手で十字を切り、祈る様な気持ちで次のページを捲り始めるドボン。お茶をこぼした染みに、音楽とは全く関係の無い日本語の詩…これ以上このノートに何か書かれていたとすれば、その価値はとても数十億の価値に見合うものでは無い。それどころか、そんな物を本国の女王陛下に見せようものなら、たちまちドボンはMI6の職を解雇されてしまう事であろう。
「なんか、元気なさそうだね…ドボン」
ドボンの異変に気が付いたひろきが、心配そうに呟いた。
「やっぱり、涼風さんのアレ、まずかったんじゃないの?」
「う~む……あれでは私の作品が良すぎて、肝心のレノンの作品が霞んでしまうのかなぁ?」
張本人の涼風は、事の重大性に全く気付いていない様である。
「あぁ…神の御慈悲を……」
額から流れ落ちる脂汗を大事なノートに落とさないように気をつけながら、緊張の面持ちで譜面の続きをチェックするドボン。やがて……レノンのノートから顔を上げたジェームズ・ドボンのその表情は……
深い絶望感に包まれていた。
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