第5話 源次郎と条件

 夜見と源次郎、そこにプラスして菟道の席が置かれた教室内。未だグラウンドや校内から聞こえる怒号に似た勧誘の声、そして奇声。部活動勧誘では無く、只の乱獲ではないか? と、現場の光景が気になる源次郎であるが、こちらはこちらで大きな課題が目の前に存在していた。

 さっきまでの威勢、虚勢というか語り口は何処に行ったのか。オロオロキョドキョドパチクリパチクリ、と挙動不審が全開に出ていた。呆れ通り越して心配する程である。割と真面目に。


 アイコンタクトで夜見の体調を心配するが、返って来たのはサムズアップ。ぎこちない表情を添えて。元気そうで何よりだ。


 最初に話を切り出したのは菟道先生である。


「さて、聡明な坂下なら分かると思うが空き教室の無断使用。認可されていない部活動行為。旧校舎への無断立ち入り。私以外が発見したならば体育委員か、バスケ部への強制加入だろうな」


「罰、なんですか…?」


 他にやりたい部活があって、それをやらせないって罰なのだろうか。それは罰なのか? と首を傾げていると。


「ああ、お前らは知らなだろうがその二つはウチの学校でも最恐と呼び声が高い活動でな。卒業後にその二つのどちらかに所属していたと言ったらどんなブラック企業でも即採用らしい。まぁ、そんな企業には就職させないが」


「精神的に強くならざる負えないのか…どんな事やるんですか?」


「それは課外秘密だ」


 何故そんな悪戯っ子のような表情を見せるのか。深淵を覗く時、深淵も見てるよ的なアレでこれ以上突っ込むのはやめようと思った源次郎である。英断だ。

 それにしても、


「私以外がって言ってましたけど、菟道先生の場合は他の処罰が…?」


 その二つに強制所属させられる以上の処罰とは一体何なのか。想像に苦しい。

 言葉を受けた菟道は「ふむ」と一瞬考え、教室を見渡す。机の上に置いてあったPCの画面を見て


「伊武咲…あぁ、卒業した先輩達が残したコレは何処まで解明できた?」


 何処か知っているような口振りで問い掛けてきた。

 解明、その言葉通りなら菟道はコレについて知っているのだろう。真相までは知っているかは謎であるが。

 源次郎はどう答えるか、夜見の方を見て相談しようとするが…未だ人見知り発動中である。机の下に視線を向け、指を弄って忙しいアピールを行なっている。アテには出来ない。


 源次郎は考えるが、特に隠す理由もなく、むしろ隠した結果現状が悪化さえしそうな気がする。

 素直に話す。


「解明、とまでは行かないですが手掛かりまでは」


「手掛かり、か?」


「はい。まず、俺達はこのファイルの暗証番号はミステリーであると考えました。ミステリーであるならある程度の法則で目星が立ちます。体験入学の時に先輩方が話していた『懐中時計が好き』との言葉と、夜見が見つけた原稿用紙に入っている透かし。旧校舎五階の掛け時計を調べれば何かがあるかも知れない、と」


 そもそもコレがミステリー等では無く、ただ単純に先輩方が私用に使っていたものかも知れない。そんな線もあるのだが、それは一切考えない。源次郎ーーーそして夜見、二人の縋りみたいなものだ。

 だがその考えはあながち間違っていないようで、菟道の反応は感心するようなものだった。


「そうか…いや、な? お前達は忘れてるかも知れないが元ミステリー部の顧問だったんだが、卒業してもコレについてヒントすらくれなくてな」


「顧問…?」


 驚きの新事実と信用されていないのか、いるのか。疑問が残るハブられ具合にびっくりドッキリしながら源次郎は記憶を辿る。

 中学三年の夏、ミステリー部に所属すると胸を高鳴らせていたあの頃。未来の自分は空き教室を占領し、自分達はミステリー研究会だと偽って駄弁っているとは到底思っていない純粋だった頃。


 必死に記憶を隅から隅までひっくり返してみるが菟道が居た覚えは無い。かと言ってこんな場所まで来て嘘を吐くとは思えないし…一応夜見にも聞いてみる。


「夜見は覚えてるか?」


「…人の六割は水分だと言う。つまり、我々人類は水なのだよ。水であると言う事はつまり地球でもあるって事は論理的に証明されているのだよ。私はガイア。君もガイア。人類皆地球なのだ」


 壊れている。


 支離滅裂な事を小声で呟いている夜見は放って置くとして、


「いや、そんな急に元顧問ですって言われても…菟道先生が? 帰宅部顧問の間違いじゃ無いですか?」


「言うねぇ。こう、心にグサっと来たよ。グサっと。まぁ、でも帰宅部ってのがあるのだとしたら私はいの一番に顧問になりたいとは思ってるけどな。無いからミステリー部の顧問だった訳で。ほら、覚えてないか? 教室の端で永遠と先輩方の始末書を書いていたんだが」


「ミステリー部を見学に来たのに端の方で作業している教員に目は向けないですよ…って、顧問ってのは理解したんですけど教えて貰ってない? 顧問なのにですか?」


 始末書が何かは気になるが、恐らく藪蛇だろう。聞きたいのはそこじゃ無い。


 ミステリー部の元顧問である点については真相は定かでは無いが、そこの正確性は問題では無い。問題は顧問であるのに部員が残した謎解きを把握していないって点である。

 そこも、まぁ、謎解きだから部員だけで共有して、学校を去らない担任にも解かせるって意味合いだろうが、そうだとしても、可能性としては『顧問に伝えられない』何か理由があるのかも知れない。


 色々と気になりはするが解いてみないことには何も分からないって点だけは変わらない。


 源次郎の言葉を受け、全く心外だ。と、言わんばかりの不服そうな表情を見せる。


「あぁ。面倒事は全て押し付ける癖に、内緒事は平気でするからな。何でもかんでも話せって訳でも無いが、同じ教室に居るのに何をしているのかすら教えて貰えなかったんだ。流石の私でも傷付いたな」


「因みにどんな事してたんですか?」


 例えば参考文献的な何かを持って作業していたのならそれを探して足掛かりに出来るし、会話の内容を少しでも覚えていたら源次郎達の推理に信憑性が出る。

 それらを期待しての質問だったのだが、


「いや、さっぱり。何だか小難しい単語ばっかりでなぁ。あぁー、懐中時計だっけか? それは殆んど同じで迷い犬は正反対。空船を運ぶ死体は回りくど過ぎる。だっけか? 意味が分からん。認知睡眠シャッフル法でもやってんのかって思うだろ?」


 懐中時計は殆んど同じ。迷い犬は正反対。空船を運ぶ死体は回りくど過ぎる。

 恐らくそれらはミステリー小説のタイトルだ。つまり、


「『懐中時計』は脱出不可能な館での順番殺人。『迷い犬』は死んだ筈の主人の匂いを追って様々な怪奇現象の場所に現れる犬。『空船を運ぶ死体』は死人が入った棺桶が連続して盗まれる。現場には人が入った痕跡は無い。って知る人ぞ知るミステリーの名作達だね」


 濃厚なミステリー臭で意識が戻ったのか源次郎の方を強く凝視しながら言った。


「…何か俺の顔についてる?」


「目と鼻と口がついてるね」


 ミステリーの気配で会話に参加した夜見であるが、それでも人見知りは健在な様で一向に源次郎から視線は逸らさない。それは人見知りなのか? と思ってしまうがそんなもんなのだろう。ミステリーの前では些細な問題だ。


「菟道先生の記憶が確かなら滅茶苦茶大きいヒントだな。…空船を運ぶ死体は回りくどい? 確かあの小説ってーーー」


 と、ミステリー研究会(未設立)の一員として脳みそをフル回転させようとした時、菟道が口を開いた。


「話を戻すぞ。二人の現状は空き教室を無断で使用した事と何点かの違反行為があった。それについて私は目を瞑ろうって話だ」


「え、あ、ありがとうございます」


 唐突な目を瞑る宣言である。

 だが、と言葉を繋いだ。


「その対価としてこのファイルを開けて貰いたい。色々と迷惑を掛けられた身であるが、それでも初めて顧問になった部員達だからな。悪い思い出より良い思い出が勝つ。そんなアイツらが残した物を私は知りたいんだ」


 ああ、そうなのか。と源次郎は理解した。

 菟道が何故見逃す発言をしたのか。源次郎達が居る事に対して深く言及はせず、ファイルの事を聞いたのか。


 未だ源次郎達は彼女がどの様な人間なのか把握出来ていないが一つだけ分かった事がある。それは菟道も理由は違えどミステリーに興味がある事だ。

 で、あるなら話は早い。源次郎は胸を叩く。


「任せて下さい。…と、大口は吐けないですけど俺達が出来る事を尽くして解明して見せます。折角のミステリー仲間ですもん」


「ミステリー仲間って…まぁ、何を考えてるのかは分からんが任せた。期限は…そうだな」


 そう言って菟道は携帯を取り出し、カレンダーのアプリを立ち上げた。そこには予定がびっしりと入っている。画面を一度スワイプさせ、一つの日にちをタップした。


「五月二十六日。そこで一年生の宿泊学習を行う。その日に答えを教えて貰おう。約二ヶ月。行けるな?」


 今の日付が四月の二日。

 現状だけの判断では手掛かりは見付け、そこから答えを導き出せるか? そんな段階だろう。源次郎も、そして夜見も別に探偵でも何でも無い、只の高校生であるがミステリーに理解が深い事を加味して、


「恐らく大丈夫です」


「恐らく、ではダメだな。その日まで。まぁ、分かったのなら前倒しても構わんが解明できなかった場合は私は良心を殺して教頭に報告する。そしたら今日みたいな活動どころかミステリーに関わる事すら禁止されかねないぞ」


 詳しい話は一教師では判断出来ないけどな。と言葉を溢す。


 源次郎は顔を引き攣らせる。

 源次郎の言葉の「恐らく」は日本人的な謙遜を含めた言葉では無い。そもそも何事にも絶対は無いのだ。勉学に優れている源次郎であるが、それは優れているだけである。数学者の様な論理的な考えや思考を持ち合わせている訳でも無い、変に安請け合いをして当日出来ませんでしたでは駄目なのだ。


 考える。今揃っている情報だけで答えを導き出せるのか。菟道が言った小説のタイトルは本当は別の意図があるのでは無いか。実は見落としているモノがあるのでは無いか。


 堂々巡りかの様に思考が繰り返される。確証は持てない。


 答えを導き出せるか分からない以上は断言出来ない。只、菟道の言葉に「大丈夫です」と一言安請け合いして仕舞えばこの場は切り抜けられるがその選択は源次郎は選べない。

 ほぼ反射的に、喋り始めに「あ」を付けてしまうような半ば癖のような返答が今になって、源次郎の優柔不断さ。そして失敗が許されないこの場においての勝負に出れない弱さが、言葉の中に滲んでいた。そう思えてくる。


 菟道の視線を受け、口は空くが言葉が出ない喉元で止まるむず痒さに苛まれる。

 机の下。足の上で思わず固く握ってしまっていた拳に誰かの手が触れた。視線を向ける。夜見だ。


 すぅ、と何か気合を入れるように深呼吸し、真剣な表情を菟道に向ける。


「ええ、任せて下さい。私達はミステリー研究会ですから」


 二人しかいない部員。だが、しっかりと一人では無い、とそんな心強い言葉が夜見の口から出る。

 驚くような視線を夜見に見せた菟道であるが少し表情が和らぐ。


「そうか。ミステリー研究会か。なら任せた」


 そう言って菟道は立ち上がる。二歩、三歩と歩いた所で何か思い出したのか立ち止まった。


「あー、独り言なんだが教師達が新旧校舎の巡回に回るらしいんだよなぁ。五階の使われていない空き教室も立ち入るらしいなぁ」


「あ、ありがとうございます」


「ん? 私の独り言聞こえてたか? 特に意味は無いから気にしないでくれ」


 悪戯っ子のような笑みを浮かべながら歩みを進める。立て付けの悪い、廊下にまで響くようなガラガラとした開閉を響かせ教室から出て行った。

 ツカツカと廊下を渡る音を聞きながら二人は同じタイミングで息を溢す。


「いやぁ…心臓止まるかと思った。でも助かった。あのままだと多分俺、出来ませんとか言ってたと思うわ」


「ふっふっふ、私はミステリー研究会の長だからねぇ。存続危機とあれば一肌脱ぐって訳だよ。って、いや、出来ませんは答えちゃ駄目だと思うがね?」


「菟道先生に正面から見詰められると息が詰まるって言うか…入学前の面接以上だった。自分の言葉一つでこの場所が無くなるかもって思うとさ」


「無くなるって… 元々は完全な無断使用だから誰のものでも無いのだけどね。そこの意味では適当な安請け合いで納得させて、失敗しました。でも他の所でこっそり活動します! でも全然」


「他の場所って…いや、まぁ場所に囚われないけどさ」


 そもそも活動しているのか? と疑問になる。と言うか活動していない。お喋りして、たまにミステリーチックな言い回しをしたりするだけである。

 曖昧な活動内容を改めて考えると息が詰まる思いをしたのは何だったんだ? と思ってしまうが、意外と源次郎自身、無断使用だとかどーのこーの言っていたが大事に思っていたのだと突き付けられてしまう。夜見とのミステリー雑談…とまでは行かないが空気感は心地良かったのだ。


 この場所を大事にしているのだと思っていた夜見がその発言をしたのだ。気も楽になる。


「だからと言って他所の部活や、また空き教室になるってのも気に食わないからね。ミステリー研究会として意地を見せるのだよ源次郎君!」


「俺!?」


「長とは、上に立つものとは下の者と行動を共にするのでは無く、指示を飛ばし踏ん反り返っているものなのだよ」


「形だけだろうが…」


「兎に角、諸々はスマホのメッセージで会話出来るし、菟道先生の言葉もあるからね。本日はこれで解散だよ」


 嘘だよ、と憎たらしく笑う夜見に若干の苛立ちを覚えるが長なら長らしく色んな面倒事を押し付けてやろうと考えたが…さっきまでの彼女を思い出し優しさを取り戻す。いざって時は行動力はあるがそれ以外は人見知りである。ハムスターかの様にビックリ死とかしてしまいそうな気がする。ハムスターにそんな死因があるかは定かでは無いが。


 夜見の言葉通り、そして菟道の独り言然り。


 ここに長居する意味は皆無である。折角一人の教師から見逃して貰ったのにそれを水に流してしまうのは勿体無い。セコセコと帰り支度をしていると源次郎が「あっ」と声を漏らす。


「何だね源次郎君。授業中寝てしまって、夢から覚めたと同時に声を漏らしてしまったかの様な感じは」


「例えが正確かはさて置いて。いや、図書委員になるって話しただろ? それ菟道先生に伝えないとさ」


「あー、一大事だね。ミステリー研究会の存亡の前に私の体が壊れるのが先になってしまうよ。本当に。本のボディーガードであるからね図書委員。そして私の」


「学校の敷地内か? と思う程の内容だからな。謳い文句はほぼ注意勧告だったぞあれ」


 『意思の無い者は立ち去れ。力の無い者は近寄るな。心を鍛え、体を鍛え、誠実にあれ。その者こそが図書委員だ』が紹介文である。

 最後の図書委員の部分が無かったら何か分からないだろう。と言うか絶対に分からない。何かの武術とかの言葉と言われた方がまだ理解し易い。

 そして源次郎が居ない中、夜見が図書委員になったらと考えると…筋骨隆々のマッチョになるか保険通いの二択だろう。他のクラス同士が被るかとか、他に委員会の人が居るだろとか思うが安心感だろう。知らない人だらけより知っている人が居た方が良いに決まっている。


 期限が何時までか分からないが早い方が良いに決まっている。教師達の巡回が始まるとも言っていたのだ。今から走って行けば間に合う筈だ。


 夜見の聖母かの様な表情と見送りを受けた源次郎は走る。走る。走る。さながら競走馬の様に。親友を身代わりにして妹の結婚式に向かったメロスの様に。

 フォームは綺麗で重心はブレない。

 階段を駆け降りる様はまるで崖を下るガゼルの様に。山羊の様に。山風の様に。


 旧校舎を脱兎の如く走り抜ける様はまるで怪異である。妖怪か何かか!? とまだ校内に残っていた生徒の噂になっていたのを知るのはそう遠く無い未来であった。

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