第18話 それぞれの進み方⑦
「ただいま」
そうは言ってみたものの、家に誰かが居るはずもなく、自分の声はむなしくも壁に吸われて消えていく。
子供たちと別れ、家に帰ってきた。実家の安心感と共に、あの騒がしく聞こえていた子供たちの声がない事に寂しさを覚える。
俺は、取り敢えず何か食べるものでもと思い、そろそろ使い慣れてきた左手のステッキを頼りに、キッチンまで歩いていく。
簡単に野菜でも炒めて食べようと思い、数種類の野菜を選んでまな板に載せる。
そこで愕然とする。
この先、どうすればいいのかわからないのだ。
ステッキを持った左手は塞がっており、右手は肘から先がない。
「ええっと」
俺は混乱しかけている頭を整理しつつ、一旦杖を置いて、包丁を持つ。
だが、また混乱の兆しが見えてしまう。
どうやって野菜を抑えて切ればいいというのだろうか。
仕方なくぶつ切りにしようと包丁を振り下ろす。固定されていない野菜は、叩ききらないとうまく切れなかった。
だんだんといら立ちが募ってしまい、乱暴に切ってしまったが、自分が食べるのだ、まあいいだろう。
そして次は炒める工程である。魔法で火を付け、自家製のフライパンに野菜を載せる。そして、菜箸で焦げないように慎重に混ぜる。
菜箸で具を移動させようとすると、フライパンも一緒に動いてしまう事にまたいら立ちが募った。
なんとかようやく野菜炒めが完成し、慣れない左手を震わせながら皿によそったところでまたも問題に直面する。今度は食卓にもっていくのが大変だ。
せっかく慣れてきたステッキを使う訳にはいかないが、皿の上に盛られた野菜炒めをこぼすことなく、うまく動かない左脚を引きずって食卓までもっていかなくてはならない。
キッチンでこのまま食すという手段もある。
だが、一年後に帰ってくる子供達に、そんな姿を見せられるわけがない。
だから、今から慣れるのだ、と自分に言い聞かせて左脚を引きずりながら、手の上の皿が傾かないように注意して一歩一歩進みだした。
途方もなく時間をかけて、ようやく食卓に到着する。テーブルに置く際に、少し中身をこぼしてしまった。
だが、まあいい。これはまだこの体になってから一歩目なのだ。
そして実際に食べてみる。フォークを逆手に持ち、まるでマナーを知らない人間みたいに顔を皿にもっていって食べる。利き腕じゃないのでフォークが上手く使えないのだ。
二口、三口食べた時に、心が折れそうになった。
なんてこった。これが毎日続くのか。それは俺にとって絶望だった。
これで、こんな体でまだ強くなるなんて子供達に大見得をきったのだ。本当に笑えない。
すさんだ気持ちになった俺は、食べる事をやめ、食卓を見回してみる。
そうすると、子供たちとの会話がまるで今起こっている事のように思い出された。
そして、自然に目から涙があふれてくる。
何が一緒に旅をする、だ。何が子供に恥じない働きをする、だ。
こんな体になってしまっては、子供たちの足を引っ張る。ただ介護されるだけの存在じゃないか。
だが、まだ手が無いわけじゃない。
暗い海の底に落ちていくような感覚の中、藁をも掴む気持ちであることを考えていた。
「俺の研究の集大成を、形にする時がきたな」
思わずつぶやきとなったそれは、俺が人間を辞める決心の言葉でもあった。
〇〇〇
少し離れたところにある屋内農園には、さまざまな希少な植物が植えられている。
俺はそれらをちらちらと確認しながら、目的の場所、地下室の扉まで行きついた。
子供たちが入らないように施錠されたその地下室の扉を開け、杖を頼りに中に進む。
すると、ボロボロのローブを着た一体のスケルトンが俺を出迎えてくれた。
スケルトンとは、魔力生成を行う微生物を骸骨に寄生させる。この状態だと、単に骨を代謝しながら魔力を生産するだけの存在だ。
そこに、使役する術者のDNA、一般的には頭髪を与えて、魔力と思念を流し込む。
これでインプリティングが完了だ。こちらの脳波を感知して動く存在へと変化するのだ。
エサは主にカルシウムだ。だから動物や魔物の骨を与えてもいいし、なんなら岩からでも摂取してくれる。
摂取方法は独特で、触れているだけでいい。一日に5~6時間は食料となる物体に寄り添ってじっとしていないと、本体の骨が消費されていってしまう。
実質睡眠時間と同じだけ、休憩時間があるようなものだが、それでも労働者としては最高だ。
だから、このスケルトンに作物の世話や物品の維持管理をほとんど任せている。
この地下実験室のサンプルの管理もだ。
「ただいま。いつも悪いな」
ただ微生物が骨に寄生しているだけの存在だが、俺は愛着を持って接している。
だから、顔を見ればこうして意味もなく労いの言葉をかけていた。
不思議な事に、このスケルトンはこちらの言葉を理解している様にも見える事があるのだ。現に今も、こちらの言葉に対して首を横に振り、こちらの体を心配そうに見つめている様にも思える。
花にも心があるように感じるというやつなのだろうか、それとも、俺がそういう態度を望む脳波を出していて、それを実演しているだけなのだろうか。
もしくは、稀に意思を持つ個体が生まれる事があるのだろうか、敵として出会ったスケルトンの中に、どう考えても自由意志で動いている個体が居た筈だ。
いや、考えすぎか。
俺は頭を振って中に入ろうとする。そこにスケルトンは素早くこちらの右側に回り込み、体を支えるようにしてくれる。
もし意思を持った個体だとすれば、ずいぶん気が利く性格なのだろう、などと苦笑しながら考え、先に進んだ。
薄暗い通路の先にあるのは、手術台と様々な機器。実験体の入った容器の数々。
特に目を引くのは、培養液に満たされた円柱形のガラスに、生物が丸々一体入った柱の数々だろうか。
それらのいくつかを眺めて、スケルトンに指示を出す。
「1番と2番を出してくれ、とっておきなんだ」
スケルトンは頷いて作業に移る。その姿に、俺は何故か転生前に飼っていた犬を思い出していた。
だから、気まぐれでこう口にしてみる。
「そうだ。今まで長らく名前を付けていなかったが、お前にも名前が無いと不便だな。お前をこれからリリィと呼ぶ。ずっとずっと昔、家族のように大切に思っていた存在の名前だ」
スケルトンには感情も思考する事すらもない。だから、こんなのは人形遊びと同じようなものだ。
すると、スケルトンは作業を止め、ジッとこちらを見つめるような素振りをした。
おかしいなと思って「どうした?」と声をかけると、慌てて作業を開始する。
(本当に、まるで人間みたいだな)
胸中で独り言ちながら、リリィの作業を見守る。
ボタンを押し、中の培養液を抜いてから、傍にあるレバーを回してガラスを上げていく。
中に「1」と書かれた場所には、捻じれた角が側頭部から生えた痩せぎすの老人のような存在がいた。
彼はかつて魔王と呼ばれた存在だ。その魔法はこちらの常識を超える力を持っており、勇者一行に多数の死者を出した。
さらに、勇者側の暗殺者がどこに隠れていてもすぐに発見する眼力は異常だったという。俺も決戦の時には参加したが、俺の実力では全く歯が立たなかった。
続いて「2」と書かれた場所からは金属のように黒光りした肌と、屈強な肉体を持った存在が入っていた。
彼も、かつて魔王と呼ばれた存在だ。その身体能力はすさまじく、腕に自信のある剣士の肉体が、拳の一撃で四散したという話だ。
これも一応決戦の時には参加したが、援護するのもやっとで、戦闘の邪魔にならないようにするのが大変だった。
「リリィ、1番からは目を。2番からは右腕を摘出する。そして俺に移植する。俺の移植魔法と外科手術、併せて魔力で増殖する細胞を輸血に混ぜる事で、可能なはずだ。魔物の死体での実験では半分は成功している」
そう、半分だ。実際は成功した半分も、きっと生きていたなら、拒絶反応で絶命していたのかもしれない。
つまり、摘出して移植する手順だけが成功しているのだ。普通に考えて異なる生物の腕や目を移植するなんて現実的じゃない。人間同士でだって、血液型一つ違うだけで拒絶反応の末に死んでしまうのだから。
けれど、この魔王たちの体の血液の半分は、俺の血液を輸血している。つまり混ぜているのだ。
俺の体の方にも、この魔王たちの血液を定期的に注入している。
今までそこまで強い拒絶反応は起こっていないから、可能性はある。
俺は決心して手術台に向かうが、リリィに止められた。
リリィは、俺の体に手を添えて、ジッとこちらを見ている様子だった。
まるで、これで引き返せないぞ、いいのか、と問うているようにも見える。
(なんだ? 俺の心の迷いを反映した行動なのか? だとしたら、俺は迷っているのか?)
確かに、怖い。怖くて仕方がない。でも、ここで引いてはいけない、ここで今まで以上の強さを手に入れておかなければ、きっと後悔する。
それに、そうでないのであれば、死んだまま生きるのと同じじゃないか。
だから、リリィにもその気持ちを告げる。
「リリィ。俺はやるよ。そして絶対に成功する。それに、俺とリリィならそう時間もかからんさ」
少しの笑顔を見せながら言うと、リリィは引いてくれた。
そして、これからリリィを助手に、自分で自分の体を手術するという苦行が始まった。
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