一人暮らし妹恋し

しぐれのりゅうじ

眩しい過去の光

 切れている電球に取り替えて、春樹はカチッと電気を点けるボタンを押した。すると、暗くなった部屋の中に春樹が見たいと願った景色が映し出された。

 それは春樹が、実家の宮木家から一人暮らしのために出る日の、玄関を出た所で両親と妹に別れを惜しんでいる記憶の光景。


「ハル、たまには帰ってきて顔を見せてね」

「ああ、休みが取れたら必ず行くよ」

「仕事を一生懸命になるのもいいが、心と体も大切にな」

「大丈夫、わかってる……」


 両親は涙を浮かべながら独り立ちする息子に声をかける。それに反応する春樹もまた瞳が潤んでいた。


「……」

 ただ家族の中で唯一、三人から少し離れて玄関の中にいる妹の冬花は、青色のパジャマ姿でいつも通り美しい顔を崩さず、冷めた視線で傍観している。


「フユも何か言ってあげなさい。しばらくお兄ちゃんと会えないのよ」

「だとしてもいつかは帰ってくるでしょ。永遠の別れじゃあるまいし」


 そう母親が冬花にそう促すも聞き入れなかった。


「はははっ、そんな事を言って本当はフユも寂しいんだろう? 恥ずかしがらないでこっちに――」

「ぶっ飛ばすよお父さん。そんなわけないでしょ」

「そ、そうか……」


 不機嫌さを隠さず食い気味に否定され父親はたじろぐ。


「いいんだよ二人共。無理強いは良くない。それに、見送ってくれるだけで嬉しいんだ。ありがとなフユ」

「ふんっ……」


 春樹がにこやかにそう言うと、冬花はぷいっと顔を背けてしまう。


「全くフユは相変わらずね」


 母親は諦めたようにため息を付いた。


「けどクールなところとかブレないところとか、良いんだよなぁ」

「ハル、お前はフユのことなら何でも肯定するよな」

「当然だろ? 兄なんだし」


 父親は息子のシスコンぶりに苦笑する。その向こうで聞いている冬花は苦虫を噛み潰したような表情をしていた。


「そろそろ行くよ。それじゃ……いってきます」

「「いってらっしゃいハル」」


 春樹は後ろ髪を引かれる思いをしながら、手を振る両親と手を後ろに回している妹に背中を向けて歩き出した。


「……」


 少しして後ろを向くともうドアは閉まっていて、もう引き返す選択肢がなくなったことを実感する。


「……フユ?」


 家を思い出にしまっておきたくしばらく眺めていると、ドアから冬花が出てきて長い髪を揺らして春樹に駆け寄ってきた。


「兄さん、これ」

「これって……」


 手渡されたのは電球だった。春樹は、思わぬプレゼントに再び涙が出てくる。


「切れた電球よ。昨日、電球交換したんだけど、まだ捨ててなかったからあげる。ゴミだけど一応あたしの気持ちを込めていたから。いらなきゃ捨てといて」

「そんな事をするわけない! 一生大事にするよ」


 春樹にはそれがゴミかどうかは関係ない。冬花から貰ったというだけで最高のプレゼントだった。


「じゃそういうことだから。……いってらっしゃい、兄さん」

「ああ、いってきます!」


 新しい門出の最後にあった妹の見送りは、不安な一歩を踏む大きな勇気になった。



                 *


 バチっと突然電球が消えて、真っ暗な部屋に戻ってしまった。心地の良い感覚が残っている。


「やっぱりもう限界なのか?」


 何度か付けようとするも、一瞬光るものの過去の光景は見えなかった。


「まじかぁ」


 春樹は力が抜けたように床に座り込み、天井の照明に目を向けた。

 先程彼の心をおだやかにしたのは、冬花が渡した電球の不思議な力によるもの。取り付けてボタンを押すと、光ではなく春樹の見たい過去の思い出が実際に部屋の中で再生される。基本的には、電源をオフにしない限り映像は途切れないが、最近は勝手に切れてしまうことが増えていた。


「俺の癒やしが……」


 春樹は暗闇の中でも的確に仕事の鞄を見据える。社会人となってから三ヶ月ほど経ち、常に持ち歩く鞄は見慣れたものの、社会人生活には慣れておらず体力的にも精神的にも疲弊していた。覚えることが多く、全てを吸収しようと一生懸命に向き合っていることが、さらに心身にダメージを与えている。そして、入社してから長く続いているその状態を回復するのが電球の力となっている。

 彼が電球の力を知ったのは二ヶ月前からで、休日にやることがなくてふと点くのか試したことがきっかけだ。それによって気持が楽になりそれから毎週の楽しみとして日々を過ごしていた。


「頼む、動いてくれ」


 再び立ち上がりまた別の思い出を想像しながらボタンを連打。点きそうで点かないことが何度かあった後、手応えのある光り方をした。


「来たっ」


 部屋を眩い光が包み込むと思い描いてた景色が見えてくる。


「宮木さん、付き合ってください!」

「……」


 それは近所の公園で、冬花が同じクラスの男子青井に告白されているのを春樹が少し離れた所で見ている記憶。


「何回言われても無理だから。もう止めてって言ってるよね」

「諦めきれないんだ。僕の想いをわかって欲しい」


 この日の前日、春樹は冬花の部屋の前を通った時に、偶然友人との電話の会話を聞いてしまった。公園でしつこいクラスメイトにまた告白されそうになっていると。そこで彼は万が一を考えて見守っていた。


「それにさ、嫌だって思っているなら断ればいいじゃないか。」

「いや、断ったらしつこくくるでしょ……」

「ちょーっと待ったぁぁぁ!」


 明らかに困っている様子だったので、春樹は意を決し冬花達の前に姿を現した。


「に、兄さん? どうして」

「話は後だ。それより、そこの君!」

「な、何ですか?」


 春樹は冬花を守るように前に立ち青井に対峙。そのまま一歩詰め寄り、息を大きく吸い込み口を開いた。


「君の気持はよく分かるよ!」

「「へ?」」


 前後から困惑の声が重なって聞こえる。それを意に介さず春樹は言葉を続ける。


「フユの浮世離れした佇まいとか、孤高の強さを感じさせる冷たい瞳とか、何をしても完璧にこなす超人ぶりとか、ツンツンしているけど実は優しいところとか、マジで魅力的だよな!」

「ええと、その」

「いやもっと他にも最高なところあるよな……君は何かあるかい?」

「あの……その……ご、ごめんなさい!」


 青井は春樹の勢いに気圧されて逃げてしまった。


「行ったか。フユ大丈夫だったか? 怖くなかったか?」

「うん、何もされていないし。まぁ面倒だったけど」

「流石はフユ。強いな」


 春樹は安堵の笑みを浮かべた。


「それで、どうしてここにいるのよ」

「いやその……盗み聴いたわけじゃなかったんだけど、フユの部屋の前で会話の声が聞こえちゃってさ。ごめん」

「謝らないでよ、助けてくれたんだし。だから、その、ありがと」


 冬花は少し恥ずかしそうにお礼を言う。春樹は珍しく好意的な言葉をかけてもらって、飛び上がるほど嬉しくなった。


「ほ、本当か? か、カッコよかったか?」

「いや、それよりも……少しキモかった」


 春樹が調子に乗って尋ねると、苦笑を浮かべながらそう返答されて。


「はっきり言えるのめっちゃカッコいいな!」

「……はぁ」


 それも肯定的に受け取る姿に冬花は、諦めたようなため息を点いた。



             *


 バチッと電球が消えると再び現実の部屋に引き戻される。見終わると春樹の中には心地良さだけが残っていた。


「そろそろ、これにも卒業しないとな」


 春樹は最近になって過去に依存していることを危惧していた。一歩を踏み出し成長するために、一人暮らしを開始したのに過去ばかりを見て、ずっと後ろ向きでいるからだ。

もっと頑張らないと、と心の中で呟いた。


「あの時もそうだったな……」


 春樹は目を閉じて記憶の糸を辿ってある思い出を脳内で再生する。それは十年前ほどだが、鮮明に浮かんできた。


           *



「……はぁ、はぁ、はぁ」


 春樹は夕暮れの中近所の公園で一人、サッカーの練習をしていた。地面に一度も落とさず五十回出来るまでリフティングをしたり、落ちていた空き缶を等間隔に並べて倒さないようにその間をドリブルしたり、パスの質を上げるため遠くに置いた空き缶にボールを当てたりしたり。


「駄目だ、こんなんじゃ」


 空き缶に向けてパスを出すも、横に逸れてしまい思わず地面を足で思い切り叩く。クラブで他の人との力の差を感じていた、春樹は無力感から逃げるため努力しなければならなかった。


「お兄ちゃん」

「フユ……」


おずおずと後ろから声をかけてきたのはまだ幼い冬花だった。


「どうしたの? 何か俺に用?」

「えっとね、友達と遊んでね、終わったんだけどね、お兄ちゃんがサッカーしてたからね、見てたの」

「そっか。ごめんな、俺サッカー下手だし、退屈だったでしょ」

「ううん。カッコよかった! だって、すっごく頑張ってたからっ」


 冬花は無邪気な笑顔を見せる。それが、春樹の中にあった自分に対する怒りや焦燥が薄れさせていった。


「じゃあ、もうちょっとやろうかな」

「頑張って、お兄ちゃん!」


 この日を境に春樹は妹が誇れる兄になろうと、一つ一つの事に対して人一倍努力していくことになる。

そしていつからか、妹が何でも完璧にこなせる存在と知った時には、カッコいいとは思われなくとも見合う兄になろうと、さらに一生懸命になっていった。


             *



「そうだ、俺はフユの兄なんだからもっと頑張らないといけないんだ」


 春樹は目を開けると、電球で得られる心地良さとは違う、エネルギーに満ちていく感覚を得ていた。


「さてと、まずは電球を元に戻さなきゃな」


 過去のぬるま湯から少し冷えた現実に戻り立ち上がった。もう暗闇に目が慣れていて、一旦外していた普通の電球を取りに机に向かうと、スマホから着信音が鳴った。同じく机の上にあったスマホを手に取り、画面を見ると冬花の名前が表示されている。誤って切らないよう慎重に電話に出た。


「も、もしもしフユ?」

「遅くにごめん兄さん。今時間ある?」

「もちろん。フユのためだったら無くても作るよ」


 春樹は最高潮に達しそうなテンションをなんとか抑えながら会話を進めていく。


「……変わっていないのね。やっぱりあれは……」

「フユ?」

「いえ何でもないの。ええと、聴きたいことがあるんだけど。兄さんは、あの電球を使ったりした?」

「もちろん」

「なら、家を出た日に切れた電球をあたしに貰ったこと覚えている?」

「そりゃあ……あれ?」


 切れた電球のことは覚えている。だが、その出処が思い出せなかった。それに実家を出たことも。まるで、靄がかかっているかのように。


「……まさか本当に? 兄さんはあたしに関する記憶を思い出せる?」

「あれ、あれ、おかしいな。ほとんどがすごく曖昧だ。フユのことなのに」


 信じられなかった。愛する妹に関するほとんどがぼやけているのだから。


「兄さん。実はねあたしがあげた電球で記憶を見てしまうと、しばらくの間思い出せなくなるのよ。強い光を見すぎてしばらく視界がぼやけてしまうように」

「まさか……そんな」


 ありえないと心の中で否定するも、今まで電球で何を見ていたのかがわからないことに気づく。


「この街のフリーマーケットで友達と買い物している時にそれが売っていてね。安かったし冗談半分で買ったの。そしていつか兄さんに渡そうと思ってた」

「どうして? やっぱり俺のことが嫌いだったのか?」


 もしそうだとしたら春樹の心は崩れてしまうだろう。だが、聞かずにはいられなかった。


「嫌いとかじゃない! あたしは……あたしは兄さんに頑張り過ぎて欲しくなかったの!」

「……っ」

「あたし知ってたんだ。兄さんにかけた言葉とあたし自身が無理させているって。だから、愛想を尽かしてもらおうと冷たく接した。けど兄さんは、それでも好きでいてくれて守ってもくれた」


 冬花の言葉一つ一つが春樹の胸の中に入ってきてじんわりと温めていく。


「兄さんが一人暮らしするって聞いた時不安だったの。だって、無理しそうな兄さんを守ってくれる人がすぐ近くにいないでしょ? あたしのせいで壊れてしまわないか怖かった。それで、ダメ元で電球を渡したの。他に方法はあったのかもしれないけど、思いつかなかった。ごめんなさい、黙ってそんなひどいことをして」


 全ての真相を聞き終えて、春樹はいつの間にか涙を流している自分に気付いた。あまりにも自然にポツポツと。


「謝らなくていいよ。助けようとしてくれたんだし。それに、いつかは戻るんだろ? なら問題ない。ありがとなフユ」

「兄さんはあたしに甘すぎるよ……」

「当然だろ? 兄なんだし」


 涙に濡れた瞳を拭い春樹はそうはっきりと断言した。


「思い出せなくても兄さんは兄さんなんだね」

「一番大切な記憶は残っているし、心が覚えているからな。俺の愛を舐めないでもらおうか」

「ふふっなにそれ。少しキモいよ」


 その言葉には愛情が多分に含まれていた。


「そうだ、兄さん。今度の休みに遊びに行っても良い? お詫びとちゃんと生活できているかチェックも兼ねて」

「もちろん、いつでも来てくれ! けどチェックはお手柔らかに……」

「いいえ、容赦しないから」


 冬花は楽しげな口調で、それは幼い頃の彼女とやり取りをしているようだった。


「わかったよ、無理しない程度に準備しておく」

「ええ!」


 春樹に楽しみが出来た。それは、過去を見ることではなく未来に起きること。薄暗い中に一筋の青い光がすぐそばで輝いていた。

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