冷たい決意は春風に乗せて

幸崎 亮

消えた異世界と脳天気な友人

 また、ひとつの世界が消えた。そのことに気がついたのは、地と炎の元素が勢いを増し、生暖かい風が有機的なにおいを運ぶ、春が訪れた日のことだった。


 この世界に居ながらにして、数多ある異世界をのぞく秘法。それは私が国立魔術大学の卒業課題として発表した、とっておきの魔法技術だ。私はこの力を引っさげ、幼少の頃から夢に見ていた、輝かしい将来へと歩みを進めるはずだったのに。



「なぜ? 私の術があれば、この世界の滅亡も阻止できるかもしれないのに」


 自室のベッドであおけになりながら、指先で描いた魔法陣をぼんやりとながめる。やがて魔法陣は黒く染まり、大いなる闇と、きらめく星々の揺蕩たゆたう空間を映し出した。この小さな欠片たちのひとつひとつが、神々によって創られた世界。


 私は光の一点を指さしながら、じっと意識を集中させる。すると星の映像が急激に拡大され、やがて世界の内部を映し出した。


 そうごんにしてけんろうなる城と、くっきょうにしてゆうかんなる騎士たちの姿。剣や槍といったものを片手に、獲物を求めて駆け回る冒険者たち。


 特に魔術を使うまでもなく、外へ出ればでも見られる、ごくありふれた光景だ。数多ある世界の大半はばかりで、まさかこれが別の世界の様子だとは、幼い頃には気づかなかった。



 いちど意識をかんさせ、元の闇の映像へ戻す。

 そして別の光に狙いを定め、再び意識を集中させた。


 次に映し出されたのは、機械化された金属の世界の様子だ。別の光を覗き込めば、見たこともない奇妙な生物たちの暮らす世界が見える。そして、ひときわ深い闇の先には、巨大な植物によって支配された、緑一面の世界が存在する。


 ひと通りの世界を見てまわり、私は深いためいきをつく。

 ああ、やはり大好きだった世界は、あとかたもなく消え去ってしまったのか。


「とても冷たくて、鋭くて。そして、熱く優しい世界……」


 その世界の名前は知らない。雪と氷柱つららに覆われた、気高い輝きを放つ透明な世界。そこにはひょうごくのごとき冷酷さの中でも強く生き抜く、美しい人物たちの姿があった。私は名も知らぬかれらの人生によってつむがれてゆく、素晴らしい物語が大好きだった。


 しかし、その世界は消え去ってしまった。世界の創造主の意志か、それとも抗いようのない災厄か。光り輝いていた美しい世界は春先のこおりずいしょうのごとく、存在したこんせきすらも残さずに消滅してしまったのだ。



 私は魔法陣から指を離し、集中させていた魔力を霧散させる。耳障りな雑音と共に、空中の微生物らの焦げた臭いが顔面へと降り注いでくる。


「春なんて、嫌いだ」


 生ぬるくよどんだ空気から顔を背け、私は作業机に放り出したままのチケットに目をる。絶対に成功できたはずの卒業試験に失敗し、将来への夢を断たれてしまった。そんな私をはげまそうと友人が映画に誘ってくれていたのを、すっかりしつねんしていた。


「明日だっけ。はぁ……。行きたくないんだけどなぁ……」


 だるさを帯びたたんそくの後、私は小さく呪文を唱える。するとチケットがほのかな光を放ち、狭い自室にさくらなみの立体映像が浮かびあがった。


 じつにチープなパンフレットだ。この作品は友人かれによると、去年のベストセラー小説が映画化されたものらしい。


 私はベッドから足を下ろし、靴も履かずに机のもとまで近づいてゆく。そして乱暴にチケットをつまみ上げ、改めてに目を通した。


「桜並木とピザ野郎? これ、絶対つまんないやつじゃん……」


 映画のタイトルを口にしたたん、私の口から息がれる。あいつはあいつなりに、私に気を遣ってくれたのかもしれない。


「仕方ない。行ってやるか」


 翌日に思いをせながら、私は早めの寝支度を終える。

 明日は特別に、あいつの好きな姿で会ってあげようか。



 ◇ ◇ ◇



 次の日の朝。私は友人との約束のため、外出の準備を整える。


 まずは簡易食糧を魔術で分解し、元素化されたエネルギーをからだに取り込む。食事なんて時間の無駄だ。食事を楽しむ時間があるのならば、少しでも研究に回したい。そうしてこれまで一心に、研究に打ち込んできたというのに。


「あー、やめやめ。もう考えるのは、やーめたっ!」


 どうせ、もうすぐ世界は終わる。

 あの美しい世界のように、この世界も終わりを迎える。



 私は寝巻き用の長衣ローブを脱ぎ捨て、クローゼットからメイド服を引っ張り出す。何かのイベントで無理矢理に着せられて以来、ずっとほこりを被っていたものだ。簡単な魔術で汚れとかびくささをはらい、ついでにサイズを修正する。


「こんな格好の、いったい何が良いんだか」


 新たに生まれ変わった服にそでを通し、鏡の前で髪にリボンを結びつける。ついでに髪の色も、あいつの大好きな桜色に変更する。慣れないツインテールのセットを完了させて、軽くポーズを決めてみた。


「うえっ、やるんじゃなかった……」


 自身の行為に吐き気を催し、赤面した顔を水と風の元素で冷ます。春はどうしても火の元素が強く、こうしないと汗が流れてしまいがちだ。


 ◇ ◇ ◇


 ともかく準備は整った。部屋に侵入防止用の魔術結界を張り、私は窓から身を乗りだす。ここは古びた集合住宅の、とても小さな一室だ。その五階部分から飛び降りながら、しょうの魔術を発動させた。


 暖かい春風を全身に浴びながら、私は建物の隙間をうように飛行する。


 今日も青空には大穴が穿いたかのような、虚無の空間が広がっている。あの闇がもうじき、この世界のすべてを喰らい尽くしてしまう。あの無数の星々の、無数に消えた光のように。


 なるべく上空うえを見ないように注意しながら、私は映画館を目指してんでゆく。ただ下だけを見ていれば良い。もっと早くに、そうするべきだったのだ。


 ◇ ◇ ◇


 私が映画館前のれんみちに降り立つと、すぐに桜並木の向こうから、友人が駆け寄ってくるのが見えた。彼も私と同じメイド服を着ており、無邪気に笑いかけてくる。


「おっすー! きみにしては早いね! それにその格好、ぼくの大好きなやつじゃん! あっ! さては、ぼくのこと好き……」


 いきなり好き勝手に話しはじめた友人の口を、私は魔術で封鎖する。こうして黙っていれば可愛げがあるのに、いつも余計な軽口を叩いては、つまらないことで喧嘩する。


っさい。だいたいあんた、いくらメイドが好きだからって、自分まで着てくる必要あんの?」


 そう言って友人をにらみつけてやると、彼は目を白黒させながら、自分の口元を指でさした。私は軽く指を鳴らし、口封じの魔術を解除してやった。



「ぶっはー! 今の術って、死んじゃうやつじゃん!――そりゃあ、ぼくの方が可愛いし! ほら、似合ってるでしょ?」


 彼はスカートのすそつまげ、からだをくねらせながらポーズを決める。正直なところ私よりも、こいつの方が可愛いのは認めざるをえない。


「はいはい、さすが優等生くんは格が違うね。あんた、仕事は? 私なんかに構ってる暇なんてないでしょ?」


「うーん。いまさらやりたい仕事なんて無いからさ、最初から選択しなかったよ!」


 彼の呆れた回答に反応し、私の顔がいやおうなしにけいれんをおこす。しかし奴は涼しげな様子で、スッと天上を指さしてみせた。


「――もうすぐ終わっちゃうからね! 最後くらい、ぼくの好きなように過ごしたいな、って!」


「あんたにも見えてたの? あの空の、大いなる闇が」


 周囲の人々は普段通りに天を見上げ、青空を喰らう黒点のそばを飛行し、さもせわしげに目的地へ向かい、変わらぬ日常を過ごしている。


 気づいていないのか、気づかないふりをしているのか、それとも気づかせないようにしているのか。魔術大学の担当魔術士にも、お役所の熱心な下っ端にも、どれだけ〝世界を終わらせる闇〟に関する説明をしても、理解してはもらえなかったのに。


「まーね! あれだけ目立ってるし!」


「そう……。でも、私は諦めないよ。たとえ世界が終わるのを止められなくても、私だけでも生き抜いてみせる」


 なぜだろう。ここへ来る前までは、私も諦めていたはずなのに。なぜか友人と話したたん、自然と台詞せりふが口かられた。


 冷たい両手に力がもり、私の全身に生き生きとした熱がめぐる。まるで春の訪れと共に消えてしまった、あの大好きな世界の人々のように。


「あはは、ぼくだって諦めてないもんね! ささっ! それじゃとりあえず、とっておきの映画でも観て――それから二人で、作戦会議でもしよっか!」


「ああ、このつまんなさそうなやつね。ふふっ、こんなのが最期の思い出になってしまわないように、最後の悪あがきといきましょうか」

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冷たい決意は春風に乗せて 幸崎 亮 @ZakiTheLucky

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