第28話 苦肉の策のその顛末

 それから数年後、1990年代半ばのことです。

 これまでさんざん母性などもはや必要ない段階云々と申し上げてきたところであるが、なんだかんだで、やはり幼少期からお世話になった人には違いない。

 そこで、ふとある時思い立って、電話をかけてみたのよ。

 どんな季節、それからどんな時間帯だったかもほとんど覚えていません。多分夕方以降だったはずです。塾の仕事は基本的に夕方からですから、ちょうど仕事が休みの日だったかなと。


 まず、覚えていた電話番号にかけてみました。

 結構呼出音が鳴った挙句に出てきたのは、かなり年配の女性と思しき方で、なんとなんと、これは公衆電話ですと言われました。

 それではということで、おばあさんの訃報を伝えられた時の葉書を確認したら、確かに、番号が一つ違っていました。

 最後の4桁のうちの2桁目が違っていたことは覚えています。

 9364のはずが、9064で架電していたことが判明したわけね。

 そこで、その番号にかけてみました。


 おかけになった電話番号は、現在、使われておりません。番号をお確かめになって、もう一度おかけ直しください。(以上、音声ママ)


 転居していても、新しい電話番号を教えてもらえるパターンもあるわけですが、そうじゃないパターンの音声だったわけよ。

 これはしかしただならん話だなと思ってね、どうしようかと考えた。


 そこでまず、隣の「辻田の家」に電話をかけました。

 こちらは、世帯主のあの母親の弟さん名義で電話帳に掲載されていたからね。無論通じました。おばさんが出られて、わからないとのことだ。この方はあの母親の血のつながった親族ではないけど、弟の妻という立場の方だからね。

 そこがちょっとしたキーポイントとなった気もしないではないね。おばさんからは、旧姓増本のお姉さんの現在の連絡先を教えていただけました。

 そこで、増本さん夫妻の娘にあたるお姉さんに電話かけました。幸い、お姉さんご本人が出られました。しばらく話して、連絡先を教えてもらえました。


 そこまではいいけど、どうもただならぬ状況になっている予感が、というより、それしかしませんでしたね。そこのところは注意して、お姉さんから教えられた電話番号にかけてみることにしました。

 住所はその段階で教えてもらったかその後だったかは覚えていませんが、とりあえず電話番号をメモで控えました。

 市内局番の前3桁のうちの真ん中をみたところ、どうやら岡山市内の西の方にある地域に移転されたことが確認できました。


 早速、電話をかけました。ここは、一番上のお兄さんがまず出られました。

 すでに結婚して子どもさんもいて、なおかつ、親と同居されている。

 そこは、以前のあの家の最後の頃と同じ。あちこちと言ってもざっと2軒だけですけど、何とか電話をかけて聞き出したことを説明しました。

 それが「苦肉の策」だったことを、お兄さんはすぐ察してくれました。

 その上で、こんなことを言われました。


「諸般の事情があって、こういう形で転居した。新番号の通知もしていない」

とね。その後、母親とも久々に話しました。彼女もまた明言しました。


「いろいろあって、辻田の家とは、口も利きたくもないから」


 それからしばらく話して、電話を切りました。

 その時は間違いなく、酒を飲んでいませんでした。気持ちのいい話でもないが、まずは冷静にこれまで起きたことを分析してみました。


「辻田の家とは口も利きたくない」


 その言葉、上のお兄さんもおっしゃっていました。もっとも彼のほうはこちらの家庭の事情でやむなくと、感情を交えず事務的な報告のような感じでした。

 しかし母親のほうの弁は、やはり、そうじゃなかった。この後母親から話を聞く段になるまでに予見できていた「期待」は、決して裏切られませんでした。

 これまさに、骨肉の争いと言わずして何と申せましょうか。

 やれ「人間としてよければ」だの「思いやりをもって」だの、ぼくが子どもの頃にはそんな御大層なことをことある毎に述べていた女性の裏の顔と言いますか、そういうものを垣間見た気がしましたね。


 さっき私がオフレコの間に、あなたにブラザーのビーアールを取ったら他人だと述べましたけど、まさにそれを地で行く話がこの親族間で起きていたわけですよ。

 この事実関係を分析するに、確かに「家」同士の争い=増本家と辻田家の争いであることは間違いではないが、ただそれだけの話とばかりも思えなかった。

 これはもう長年の兄弟姉妹間、ここでは姉と弟ということになるけど、その間の争いに両家の関係者が巻き込まれている構図ではなかろうか。

 そのように私は解釈しましたね。


 では、なぜこのような形になってしまったのか。

 辻田家のおじさんのほうとも私は接触ありましたけど、あのおじさんの性格ならずともどうだろうなぁ。姉であるあの母親の日頃の言動においてカチンとくるところも、少なからずあったに違いない。

 いくら親代わりのような方で、母親代わりまでしていただいていた時期もあるとは言えども、実態はまったくの第三者である私でさえそう感じることが成長するにつれ多くなったわけですからね。

 まして姉と弟という立場ですよ。両親とも一緒ですわ。しかも弟であるおじさんのほうが家を継いだという認識もおありだったでしょう。お二人の母親であるあのおばあさんの死がきっかけで何かが壊れたというよりも、それまでの姉弟間の様々な確執の積み重ねがあったとしか思えなかったね、私には。


 これは私のいささか偏った味方かもしれないが、あの母親があのような性格でなければ、この争いは回避できたかもしれない。そんなことも考えました。

 しかしいずれにせよ、津島町で隣同士居住していた姉の家と弟の家の間は、もはや裏口を行き来して通いあえる場所同士ではなくなった。姉の家のほうが出ていくこととなった。この期に及んで両社間には、物理的な隔たりだけでなく、心の隔たりさえも出来てしまったというわけですな。


 増本家の上のお兄さんは薬剤師をされていました。

 勤務先は倉敷市内の病院の薬局でした。倉敷市のどのあたりの病院かは伏せておきます。その職場に極力近い場所に移転しようということになった結果が、岡山市西部への転出だったということではないかな。すでにこの家の主はあの親父さんではなく、このお兄さんになっていたからね。

 これはあくまでも、旧家制度の考えで言えばそうなりますよという指摘です。

 そのことの賛否や価値判断については、ここでは述べません。


 以前は増本家が核家族で辻田家が大家族でしたが、今度はこちらが両親同居の大家族となったわけですな。辻田の家のほうがその後どうなったのかは、連絡をその後とっていないので現段階では不明です。


 増本家の下のお兄さんは、その後結婚されたのかどうかはわかりません。

 ただ、私が大学生のときにひょんなことから母親が「釣書」と称する文書を作成されていたのを目にしたことがありました。

 それは、下のお兄さんの縁談に関するものであったことは覚えています。特に隠されるでもなく、結婚に関わる縁談ではそのような文書をお互い交わす慣習があることを、その時知った次第ですってことですわ。

 もっとも、その縁談がどうなったかはもとより、そのお兄さんが後に結婚されたのか否か、他の家に移ったのかどうかは一切わかりません。少なくとも私があのとき電話をかけたときは、まだ独身で同居されていたようです。


 せめて一度でもその移転先に行ってみればよかったのかもしれませんが、私も忙しかったからね。そんなことで時間を割いてなどいられる御身分じゃないから。そんなこともあって、結局、岡山市の西方面に転居されてから先、増本さん宅を訪れたことはありません。

 今時のことですから、住所がわかればせめてグーグルで検索してみてもいいとは思えましょうけど、それすらしていませんね、今のところ。

 今私が述べている段階で、かの家の母親がご存命かどうかは、わかりまん。 

 親父さんについては2007年の春先に、亡くなられた旨の葉書が来ました。

 香典を送ろうにもそんな時間もないままで終わってしまいました。母親もすでにかなりの高齢になっていることは間違いありませんが、その後亡くなられたという話は聞いておりません。もっとも、私自身が増本さん宅とはその後連絡を取っていませんから、実態はわかりません。

 大体、今の私が今年で55歳。干支一回り年上の長男さんはそれなら67歳で、すでに定年を迎えられている頃ですからね。下のお兄さんも、私より8歳上ですから63歳か。こちらも、定年後になっている可能性は十二分にありますね。再就職してぼちぼち、ってところでしょうか。


 いずれにしても、昭和は遠くなりにけり。

 月並みだけど、その言葉がぴったりだ。それは、時がこれこれこれだけ経ちましたね、それに応じて世の中代わりましたね、ってことだけではない。

 当時あったもの、当時あるべきものと思われていたもの。

 いろいろあったけど、それらの多くが形を変えてしまったってことですよ。

 増本家の人たちも、辻田家の人たちも、またしかり。


・・・・・・・ ・・・・・ ・

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