第25話 共同生活の問題点
養護施設のほうは、先ほど申し上げた通りで横割から縦割に戻されて、また別の意味で有象無象感が増していましたね。
ただもう、私自身は勉強あるのみ。そこは担当の児童指導員さんも観念したみたいで、適切な措置を淡々と取ってくれるようになりました。
大検のほうは、2回かかりましたが1回目でほとんどの科目を取得して、2回目で残りの1科目をさらえて、さっさと合格しました。当時の問題は、公立の進学校に合格できるレベルの学力があれば、高校入学時に勉強を始めればその年もしくは翌年までには確実に合格できるレベルのテストでしたからね。しかも、一定時間が経過したら提出して退出して良くなっていました。そりゃあもう、定時制高校の入試ほどではないにしても、かなり早く解いてとっとと退出していましたよ。
ただ、当時はまだマークシート方式になっていなかったから、記述式での解答用紙でしたね。この頃から受検者・最終合格者ともに大検はその数を大いに増やし始めていましたからね。
あと、私が大検を受験した昭和61年から共通一次が5教科7科目から5教科5科目になって負担が減ったのに連動して、大検も科目数が減らされ、体育の実技もなくなりました。聞けばその体育の実技というのは、バスケットボールをかごに入れるとか何とか、そういうのをやらされていたようです。どんな合格基準だったのかはわかりませんけど、恐らく受ければそれなりに合格という形にされていたのではなかろうか。当時の大検の合格基準を鑑みれば、そんなところかな、と。
もっともその実技がある年に受検していないので、どんな形だったかとか合格基準がどうというのは、わかりません。
とにかく、大検もさっさと合格し、あとは大学受験に向けて進むのみ。
もっとも、この期に及んで当時担当の児童指導員は、情緒的なことをことある毎に述べておりましたな。高3段階にもなればそうでもなくなりましたが、というか観念したということでしょうよ、だけど、高2段階までは、いささかしつこかった印象があります。
あれはねえ、正直、気分のいいものではなかった。
どうせ高校に行くなら、4年間行ってみんなと一緒に卒業したらどうかとか。
そんな程度では反発されるとなれば、今度は泣き落としごかした言動までしてくれましたよ。大検を取って大学に行くというのは、その間、同級生、言うならほぼ同世代の人たちとの触れ合いがなくなって寂しいとか何とか。
この期に及んで、そんな素人考えのないものねだりのようなことを述べてどうするのかと思ったし、くだらん情緒論で足を引っ張る真似しやがって、いい加減にしろと思っていたよ。そのように反論して置いたこともあった。
くだらん郷愁論を述べないでいただきたい、とね。そうそう、この職員さんの私の行動に対する口癖にも近い言葉で、忘れもしないものがありますよ。
寂しい話だ、って言葉。
私の言動、行動があまりに突出していたところにケチをつけて、テメエの思う情緒的な理想論の成立し得る余地がないことに辛さや寂しさを感じたのか知らんが、ナニユエこっちはテメエの人生観を押し付けられる筋合いがあるのか。
もう一つ、この人物の言動にはこんなのがあった。彼は後に自立援助ホームというものを立上げて運営にも関与されているようだが、そのための構想をこの時期から温めておられた。それ自体は悪いことだとは言わない。
だが、当時の私にはそれは必要ないものだった。
この時期、私の事例で味を占めたのか、学力のいささか低い子らを定時制高校に送り込むことをし始めたのよ、某園は。それでこの御仁、私より1学年下と2学年下の少年を自分の寮の担当にしていたけど、何を思ってかとんだふざけたことをホザいてくれた。それも事あるごとに、ね。
「某園を出たら、アパートを借りておまえら3人で共同生活をして、云々」
要は、某園の影響力を退所後も形を変えて維持しようというわけか。
御自身にとってもカネヅルと言ったら語弊があるが、施設の収入にも資せられ、公益にもかなうことに持って行けそうだという魂胆か。
ただでさえろくなプライヴァシーもない場所に放り込まれている上に出来損いの仲間ごっこを強いられて、御丁寧にも恩着せがましくも生活を保護されているような状況に加え、その状態をさらに維持して援助してくれてヤラアというわけか。
これはさすがに、増本さん宅の母親、私はかなり批判的に述べているところもあるけど、さすがの彼女さえもびっくりしていたよ。
彼女が指摘した問題点は、この一点に尽きる。
そういう共同生活は、トラブルのもとになるのではないか。
この指摘は、実に的確だ。
もっともかの児童指導員さんにしてみれば、そういうものも含めて家庭生活というものを経験することが大事ではないかという意識でもを持っておられたのか知らないけどねぇ、無論そんな仲間ごっこの延長など私には通用しなかったし、1学年下の仮にG氏としておくが、彼に至っては某園と完全に縁を切る形で退所、つまり卒園していったからね。彼に時々街中で会うけど、この児童指導員さんのことを良く言ったためしがないよ。ま、仕方ないだろうね。
御自身が結婚して子どもも生まれて幸せなのは結構で慶賀に堪えんが、それが目の前の養護施設という場所にいる子どもらにも通用させられると思っていた尾沢氏なる児童指導員の世にもおめでたいとしか言いようのない目論見は、こうして歯牙にもかけられませんでした、とさ。
メデタシメデタシ?
こんな調子でぼくが日々怒りを抱いて生きていたことはもう、あの施設にいた当時の子らは、皆知っていた。でも、誰もそれに触れてこなかった。
その縦割となった寮の風呂の時間を表に書いた紙があってね。
それはいいのだけど、その時間枠の中に「定時制」と書いた時間帯があった。
要は、私なんかのための時間よ。はらわたが煮えてなかったわけではない。もう煮えくり返るのを通り越していたけどね。
その寮の子の誰かが、それに抗議したらどうかという趣旨のことを言ってきた。
だけど、私はその案には乗らなかった。
「ま、行っていることは事実やカラ」
そんなところでもめても仕方なかろう、ってことよ。
その代わり、こんな場所は大学受かればさっさとオサラバよ。
ともあれ、高3の冬休み、共通一次まであと少しという時期に及んで、かの増本さん宅へのお泊りもいよいよ終りになることと相成りました。
小学3年生のときから10年にわたって、小学生の時に11回、中学生の時に5回、高校生のうちに6回と、合計22回にわたってお泊りさせていただいたことになりますね。延べ宿泊日数は87日。宿泊日の端境日を入れると101日、このお泊りに関わった日があるということになりますね。
実はこれ、昨日のうちにメル姉が帰ってからふと思って数えていたの。
なんか、すごい数字になっているなと思わずにはいられません。ええ。
そうだね、最後のお泊りのときのやり取りを、親父さんの話より先にやってしまいたい。その前に、少し休ませて。
・・・・・・・ ・・・・・ ・
「ほら、せーくん、これ、お飲みよ」
「メル姉、おおきに」
時刻は9時を幾分回っている。
冷蔵庫に残っているペットボトルのお茶もあと1本だけ。珈琲は既に切らしている。改めて廊下に出て氷を取ってきた大学教員の女性が、2つのグラスに氷を入れてその上に残りのお茶を入れる。
そしてそのうちのひとつを、目の前の作家氏にすすめた。
「このところ恨み骨髄感があふれているようにも思えてならないけど、同時に、どこか追及の手が甘いというか優しすぎる気もするのは、気のせいかな?」
「そうか。メルちゃん御指摘の件だが、やっぱりどこかできつさが緩むようなところが出るのは、やはりあの家でのいい思い出がどこかで作用しているからかな?
あの母親の言動だが、いかがなものかと思うところも末期になればなるほど噴出したことは確かよ。そう言ったことを含めての家庭、家族、いや、そんな小さな枠だけでなく、人とのつながり全般という大きなくくりまで含めての在り方を考えるたたき台というかサンプルになったことは間違いない」
「ところで、その理想をひたすら追っているような感じの尾沢さんって職員さん、あなたは相当批判的だけど、その人への恨みは今もある?」
「今は、何の恨みもない。ただ、当時の私や他の子らへの個々の言動については批判的にならざるを得ない。ここは何も感謝のお手紙コンテストをやる場所じゃないからな。そんなものは・・・」
「そんなものはどこらの場所や集まりでやれとか、罵倒はもういい。だけど、これまでの話はせーくんの成長過程で避けて通れなかったことだってことだけは、第三者として聞いていて、嫌というほどわかるわ」
少し年上の女性はお茶をすすり、さらに一言述べて目の前の作家氏の話の続きを促した。
「じゃあ、もう少し、がんばって」
・・・・・・・ ・・・・・ ・
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