第14話 そして小6に。またもや、春のサプライズ!


 そうこうしているうちに5年生が終って、ついに6年生になりました。

 まあその、年が明けても懲りずに鉄道研究会の例会に入っていたからね。毎週土曜日の他に、水曜日も少し遅めの時間から例会が行われていることを知って、少しばかり寄ったこともありました。

 3月は春休みになるから大学には寄ることもなかったが、4月になったらまた寄ることになりました。当時、サークル内の伝言は学生会館の中にあった黒板の掲示板で行われていました。そこを見ると、次回例会はいいつの何時から、場所はどこでと、書かれてありました。1階の休憩室みたいなところだけじゃなくて、2階にある部屋を確保して行われることもありました。

 そのどの部屋になるかってことは、その黒板を見ればわかるってわけですよ。


 さてさて、某園の移転は新年度からとはいかず、5月下旬の土日ってことになりました。それまでは、今まで通り。今回は6年生に上がったので、前と同じクラスのまま。

 ただし、担任の先生は変わりました。この先生は音楽の先生でした。わずか2カ月弱でしたが、大変お世話になりました。

 後にこの先生、今私が住んでいる近所のお寺でも御縁のある方のようで、父の戒名も付けて頂いたり、しばらくの間遺骨も預かっていただいたりで、大変お世話になりました。その背景には、その先生の御縁も秘かにあったわけです。もっとも、その先生に何かしていただいたというわけではないですけどね。

 学年が上がっても、この年の4月は某園も特別に何かを変えることはしませんでした。直後に、全面移転があるからね。ただ、担当の保母は退職したため、短大を出た新卒の保母さんに代わりました。そのくらいです。

 私のほうは、相変わらず今まで通り。水曜日は早めに帰れることになったので、早く帰って来てから鉄研の例会に少しばかり顔を覗かせることも多くなりました。土曜日は言わずもがな。その前に、今映画監督になっているK君の住んでいる公務員官舎に遊びに行くこともありました。つかの間ですが、大いなる自由を満喫できた、私にとっては幸せな時間でした。


 今放映されているプリキュアシリーズですが、中学生くらいの女の子が特別な力を得て大活躍する構図ですよね。

 あれを「夢の前借」と評される方がいます。今の彼女にはそれだけの力がないが、いずれはその力を使えるようになる。その予行演習というのか、言うなら「前借」をさせてもらっているようなものであると。

 なるほどと思ってその方の文章を読みましたけど、当時の私もまた、今のプリキュアの子らと同じで、夢の前借をしていたのですよ。


 プリキュアの子らの場合は敵と戦って浄化していくという手法ですが、私の場合は大学の鉄道研究会という場所に行って、あるいは国鉄などの鉄道の現場に行くことで、夢の前借をさせていただいていたことになりましょう。

 このような夢の前借ができる土壌ができたら、それまでと全く違った人生を送っていくことになるのは間違いありません。それができれば、その後の人生にとっても大きな自信につながりますからね。

 甲子園に出場した選手が、そのことを単なる一生の思い出としてだけでなく、それを一生の糧としてその後の人生を生きていく上で良くも悪くも、まあ、悪い方に傾くとオオゴトですけど、それあるがゆえに人とは違う人生を送るための、言うなら「印籠」みたいなものとなるわけですわな。


 私の場合も、そこはまったく一緒ですよ。

 もっと言えば、甲子園に出場した選手は大正時代の旧制中学時代よりこれまで何万人とおられるでしょうけど、関係者の親族でも何でもないのに大学の鉄道研究会というサークルにスカウトされて通ったのは、恐らく、私くらいのものでしょう。

 このような場所ができたことは、その後の増本さん宅との間において微妙に、しかしやがて大きく、影響を与えていくことになりました。

 某園との関係に至るや、言わずもがな。


 そうこうしているうちに、ついにまたもサプライズが発生しました。

 忘れもしません。4月25日の土曜日でした。

 いつものように、学校から帰ってそれから食事をとって鉄研の例会に行って、夕方になったら帰ってきて、それでしばらく自分のいる部屋でぼちぼちしていたら、なんと20時を過ぎたころ、突如、事務室に呼び出されました。

 何でも、その増本さんのところにこれから行くからとのこと。

 前日までに言われていたのならともかく、それまで言われてもいませんでしたから、そりゃあびっくりよ。これから4泊5日。その間には学校に行く日もありますからね。そちらの準備もして、あたふたとね。それから、某園の公用車に乗せられて、夜分にはなりましたけど、増本さん宅に参りまして、お世話になることに。


 ええ、びっくりしました。

 で、それはええけど、なんか、自分の鉄道絡みのものは持ってきていても、肝心な何かを忘れていたような気がします。だけど、それが何だったかは覚えていないのよ。

 とにかく、慌てた。でも、ありがたくうれしいことでした。


 それから翌日は日曜日。これはいいとして、そのあと2日間、学校の近くにある増本さん宅から学校に通いました。

 5日目の4月29日、この日は当時の天皇誕生日でした。朝とか昼は、裏の子らと遊んだりもしたかもしれませんが、どんなことをしていたかは覚えていません。何を食べたかも、ね。

 それでもって、その日の夕食を終えて暗くなった午後7時過ぎに迎えが来て、8時頃には某園に戻っていました。


 これまた、夢のような時間でしたね。この頃は、まだ。

 だけど、この家に来ることが必ずしもそんな時間にならなくなる日がもう近くまで来ていることには、まったく、気付いていませんでした。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


「これまで、何だか物語が穏やかに進行しているような気がするけど」

 青い目の女性が作家に尋ねる。


「まあね。ホント、砂漠を移動中にオアシスに立寄れた喜びというか、そんな感じがものすごくするのよ。

 この頃の増本さん宅で過ごせた時間というのは、ね。

 そりゃあんた、そうでしょう。

 いつも、有象無象の子どもらと大人らの中で過ごすことを強いられていたあの時期だから、ね。まして、いくら優秀な子であったとしても、ま、ぼくが優秀な子であったという気はないが、小学生のうちはまだ自己が確立してないじゃないか。

 だからこそ、自己を確立するためにはあの場所が、確かに必要だったンや。

 でも、自己が確立してくれば、どうかな?」


 少し間を置いて、メルさんが尋ねた。


「どうなのよ?」


 ここでまた、少し間を置く。作家氏は目の前の水を飲み、静かに答える。それはあたかも、静かに駅のホームを離れていく列車のようである。


「自己が確立できてしまえば・・・、保護は、必要なくなる。そこを取込んでさらに保護してやろうとばかりの対応をすれば、行きつくところというのは、・・・」


「どこなの?」


「行きつくところまで行ってしまえば、言うなら「親殺し」に至ってしまう。

 たいていはそこまで行かずに終わるが、その危険性は自己が確立するほどに高まるというものなのよね。

 保護者が被保護者に対して憎くて物を言おうがためを思って言おうが、そんなことはどうでもいい。いずれ、悲惨なことになりかねんのだ。そこはわきまえておかなければならない。

 ま、わきまえられん大人が多かったな、わしの周りは」


 そういって、作家氏は静かに目の前の水をまた口に含んだ。


「今日はこのくらいにさせてよ、メル姉。また明日、朝からやろう」

「せーくんがそう言うなら、それでいい。じゃ、今日はここまでで、明日は9時くらいからやりましょう」

「うん、それでよろしく」

「どうせ同じホテルに泊まっているなら、どう、今晩は一緒に・・・」

「いや、今日は真剣にやることがあるから、やめとく」


 かくして、この日の作家氏の回想は終わった。


・・・・・・・ ・・・・・ ・

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