第7話 春のサプライズ 1979


 小学校の3年目を終えた1979年の3月の末頃でしたか。

 このときも、増本さん宅に伺うことになりました。ただし今度は、2泊3日。いつからいつまでだったかは、正確には覚えていません。

 そのときも、前年の夏や冬のような感じで、3日間過ごさせていただきました。

 確か、買い物をするために2日目にバスに乗って出かけたことを覚えています。


 だけどこのときは、善明寺の境内に行って遊んだ覚えはないねぇ。

 遊んでいたのは、このあと4年生から6年生、それから中1の冬くらいまでだったような気がする。中2の夏にも行っているけど、あまりその記憶がない。遊びに行ったかもしれないし、何だかんだで、行っていないかもしれない。

 ただし、中2の冬は確実に行っていないね。隣のおじいさんが危篤状態になっていて、それどころじゃなかったからさ。結局おじいさんは、1月2日に亡くなられたはずだ。私が中2の年、1984年。昭和59年の年明けのことね。


 それから中2以降、隣の家の子らと遊んだ記憶がほとんどなくなっているのはなぜか、ちょっといろいろ考察してみたけど、ひとつ、明らかなことがあった。

 この頃にもなると私は一人であちこち出回っていたし、毎週土曜の昼から、空いていれば水曜日の昼にも、岡山大学の鉄道研究会の例会に出向いていたし、年に何度か、列車に乗って一人で旅行に出かけるようにもなっていたからな。


 そんなこんなで、自分で身に着けたものはよく覚えているものだけど、そうでなくてどこかで何となく与えられたようなもの、それこそどこか恩着せがましさのようなものがあったあかつきには、やはり、記憶が薄くなってしまうものなのだろうか。なんか寂しい話に聞こえるかもしれんが、それだけぼく自身が、人が思って考える以上に、それこそ先方の人たちの予測の範囲をはるかに超えて力をつけていたからではないかと、今は思うね。

 これは自画自賛でも買い被りでもない。

 ぶっちゃけて言うとね、これ、子どもだましを見破っていく成長段階ではなかったかと、そんなことさえ思うほどよ。


 とにもかくにも、春の楽しい3日間が終ったら、またも養護施設の有象無象集団の中での生活ときたものよ。何か物がなくなっていたことが発覚したのか、帰って早々小言を頂いたことも思い出したよ。夕食の前に、ね。

 この年の部屋替えでは、小学1年から4年までの男子のいる部屋に放り込まれましたわ。この年は正直、あまりいい思い出がないのよね、その部屋での生活には。

 なんか、子どもらしさを押し付けるような環境でしたわ。

 今思っても、子どもらしさに騙されていろと言われたような感じでね、とにもかくにも不快な1年でした。


 そうそう、この年の春には、それを象徴する出来事があったのよ。これは、去年から詩を作っていて思い出したことです。

 小学校の制服の半ズボンだけど、もう、ピチピチになっていたのよ。とてもじゃないが履けないくらいに、ね。

 それで、新しく担当になった保母に「抗議」までして、何とか大きいものに変えてもらったよ。それはいいけど、悔しさのあまり、3年間履き続けてきた小さな半ズボンを、何度も床にたたきつけてやったのよ。

 なぜそんなことをしたのかは、自分でもわかりませんでしたね。当時は。

 今ならわからんこともない。見るべき人がきちんと見ていなかったことへの怒りではないか。親ではないのはこの際仕方ない。3年生の時の担当保母は、短大を出た新卒の保母だった。彼女ではまだ無理だったのかな。次の保母は新卒で就職して3年目だったが、彼女とは、なんか後味の悪い別れになったのを覚えている。

 よほど私の子どもらしくなさが気に入らなかったのでしょうよ。

 テメエの能力のなさを棚に上げて相手の問題にすり替える職員が多かったね、特に女性には。あ、男性にも約1名そんな人がおられたわ。男性のほうはまだましなところもあったが、女性のほうは、やめてしまえばおしまいや。

 後は野となれ山となれ、ってか?


 ま、いいや。施設での生活はともあれ、楽しみというか、気持ちの面でのシェルターができたのは、実にありがたいことでした。それが、増本さん宅です。ええ。

 大体この頃から中2の夏くらいまでが、蜜月期間でしたわ。

 それから後は少しずつしかし大きく、この家の人たちとの距離感ができてしまったからね。

 そのことはまた、追って述べます。


・・・・・・・ ・・・・・ ・


「気持ちが離れていったことばかり述べたら、せーくんの単なる恨み節にしかならないでしょうけど、その前の蜜月期間、しっかりお話しなさいよ。そこをきちんと検証できるかどうかで、あなたの作家としての力量が上にも下にもなるのではないかしら。それだけじゃない。あなたのルサンチマンの原因とその対処法を見つけることは、世の中の人々にとっての財産ともなるはずよ」

 紅茶を飲み終えたメルさん、もう1本のペットボトルを開ける。


「それは自分でもよくわかっている。あの蜜月期間、その後のいろいろ面白くもない経験の前のあの貴重な時間を、こうして思い出しているわけよ。後者は確かに、あの家の人たちと袂を分かって疎遠になる原因にもなったわけだが、その前提として前者の期間があったからこそ、今の私の人生が良くも悪くも、いや、ここではいい意味で形作られているってことが、肌身で感じられてならない」


 作家氏、さらに少し珈琲を飲み、その後チェイサーの水を体内に流し込む。外はまだ明るい。高架の上も下も、列車は頻繁に東へ西へと往来している。


「じゃあ、続けて」

「わかった」

 今度は青い目の女性が、パソコンの動画撮影ボタンを押した。


・・・・・・・ ・・・・・ ・

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