第5話 今も記憶に残ること、残っていないこと

 豪渓の滝に行ったときのことは、どこで何をしたか、どこで何を食べたかといったことはまったくと言っていいほど覚えていないし思い出せもしないけど、2年前に見た光景が豪渓駅でまた見られたのはよかったね。

 このときは、今も走っているキハ40・47がまだ投入されていなくてね、キハ17とかキハ20、元準急用のキハ26なんかがまだ走っていた頃だな。伯備線電化前夜だ。最近の岡山地区が国鉄型の巣窟のように言われていたが、当時の伯備線も、15年ほど前の遺物の巣窟のような状況になっていたわけよ。

 特急の181系気動車が、強いて言えばまだ新しい部類と言えるかな。食堂車も営業して、最大11両で山陰に向っていました。


 何で私がこうも鉄道のことを述べたか。

 つまるところ、鉄道というものに対しての記憶が如何に残っているかということなのだが、そこにこそ、自分の生きていく道があるのだということをいかに肌身で当時から感じていたかを述べたかったのよ。


 この日は豪渓から明るいうちに帰ってきて、まあ、ぼちぼち。

 その時同行してくれたお姉さんと、この前日か翌日に、おじいさんが住職をしている善明寺の下の広場のような場所でキャッチボールをした記憶がある。

 それから数年にわたって裏の子らとか下のお兄さんあたりと一緒に遊んだ記憶はたくさんある。でも、その境内のような場所で遊んだのは、中2の頃までだったかな。中3から先のあの地の記憶は、まったくと言っていいほどないのよ。


 その最後の記憶は、おじいさんが亡くなられた1984年、昭和で59年の1月に葬式があって、学校を忌引してその葬式に参列したのね。家族として参列というわけにはいかないよ。

 厳密には親族でもないからね。気持ちとしては、参加したかった。そのくらいには、家族の絆のようなものが育っていたことは確かです。

 あのときはすでに某園は郊外の丘の上に移転していたからね、当時私のいたC寮を統括していた男性の児童指導員さんにクルマに乗せてもらって、駐車場になっている善明寺の境内にその車を駐車して焼香してね、住職姿のおじいさんにお別れの挨拶をして、職員さんのクルマでその境内を去って某園に戻った。

 その後、私はその境内に足を踏み入れた記憶がまったくないのよ。


 中3ともなれば、行動範囲も小学生の頃のようにはいかなくなるでしょ。それに加えて中3の年の冬は受験期でもあったから、その人たちの御家庭には伺っていない。増本の母親から、受験勉強をがんばるようにとのお手紙を、確かに頂いた記憶はある。愛情あふれる方だからね、そりゃあ、悪い気はしなかったとだけ言っておこうかな。もっともこの頃になると、どこか、気持ちが離れつつあったのも確かです。それは、一種の「親離れ」みたいなものでしょう。

 その旨は、夏に泊まりに行ったときにすでに言われていました。あの静かで穏やかな親父さんから、とにかく、高校受験の結果が出たら合否に関わらず連絡して挨拶に来るよう、言われていました。

 結果が出て、伺ったよ。

 なんせ不合格となったわけだ。その過程にいろいろあってね、それが後々、私がどうこうで済まず、某園を取巻く状況に影響を与えるようなことが背後にあった。

 その時とその後のあの人たちの対応については、追って述べていきましょう。


 ともあれ、おじいさんの葬式で焼香して境内を去ってこの方、善明寺に行った記憶はないのよ。裏の子らと遊ぶこともほとんどなくなった。

 それはもちろん、私の年齢が上がっていったこともあるよ。

 無論、相手もそれに応じて年齢は上がっているけどね。

 だけど、それだけが問題ではないはずだ。

 やはり、あのおじいさんがあのタイミングで亡くなられたことと私の成長とが、絶妙のタイミングでシンクロしたことが最大の原因なのではないかな、と。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


「成長、なのね」

「そのとおり。祖父、それも寺の住職をされているような方がデンといらっしゃるうちはいいのよ。それに加えて祖母もいて。母親からすれば両親、子どもらからすれば祖父母でしょ。そりゃ、おじいさんにしてみれば孫はかわいいよ。その孫とやらが隣に3人、手もとにも3人。順次子宝に恵まれて、慶賀に堪えんでしょ。しかも、その孫の父にあたる義父という方も、しっかりされた方だからね。

 そういう大家族は得てして賑やかになって騒がしい場にもなろうものだが、そういう空気をピシャッと抑えるだけの力を、その義父がお持ちであるときたものだ。

 おじいさんにしてみれば頼もしい方だったと思うよ。冷静さも保てるし、ね。

 なんせ、御自身の娘がいささかならず賑やかしくなる傾向を持った方だったから、余計にそうだったのではないかな」


 作家氏はここで、もう1本、ビールを出してグラスに注いで飲んだ。

「今、せーくん、ビールを飲みだしたね。なんで今この場で飲みだしたか、私、なんとなくわかった」

「何で?」

「あまり思い出したくないことも多々あって、それが頭をよぎったからでしょ?」

 どうやら、メルさんの指摘は図星だったようである。

「確かに、メル姉の御指摘は当たっている。正直なぁ、わし、賑やかし気(げ)な生活の場は、単なる好き嫌いの嫌いの次元ではなく、心底虫酸が走るほどでな」


 そう言って、さらにビールを飲んだ作家氏。ここでチェイサーの水を飲む。窓の外には、国鉄色でこそないものの国鉄時代から走っている振子式電車が岡山に出入りするところも見える。高架の上の新幹線のほうは、昭和期のましてや国鉄型の車両はとっくに廃車となって久しい。だが、高架の下の在来線には今なお、かの作家氏が少年期の頃も走っていた車両が多数出入りしている。


 メルさんは、彼の思うところにいささか物悲しげな思いを返したい気持ちをこらえつつ、平静を装って冷静に対応しようと努めている。

「とりあえず、先、お願い」

 彼女の言葉に、作家氏は一言答えた。彼も、何かの覚悟を決めたようである。

「わかった、じゃあメル姉、よろしく」


・・・・・・・ ・・・・・ ・

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