10.暴力の効果

 ライジング公は自室の窓から夜の街並みを眺め、先日のアクセルとの会見を思い出してため息をついた。


(甥と妹には悪いが、カーケンを敵に回すわけにはいかぬ)


 諸侯にとってもっとも重要なのは、家を守ることだ。

 カーケンを怒らせればライジング家は取り潰されるだろう。いや、それだけでは済まず、命まで取られるかもしれない。それほどにカーケンは危険な人間なのだ。


(それに比べればアクセルは優しい青年だ。幼い頃からかわいがってやった間柄でもあるし、きっと私の立場を理解してくれるだろう――ん?)


 部屋の外から、廊下をドタドタと走る複数人の足音が聞こえてきた。


(まったく、こんな時間に何をやっているんだ?)


 おそらく使用人たちが酔って騒いでいるのだろう。許しがたいことだ。

 ライジング公は無作法な使用人たちを叱責するため、部屋の扉を開けた。


(は!?)


 見知らぬ顔の男たちが廊下を埋め尽くし、敵意をこめた目付きでこちらをにらんでいた。誰もが剣や棍棒など、物騒な武器を持っている。

 得物も服装もバラバラで統一感がなく、兵士には見えない。どう見てもゴロツキだ。


(だ、誰だこいつらは!? なぜこんな奴らが主塔キープに入ってこれたんだ? 警備の兵士は何をしていた?)


「おうおう! てめえがライジング公だな!」

「間違いねえぜ兄貴! 聞いてた通りのカエルみてえな面構えだ!」

「ヒャーッハッハッハ!」


(くっ、なんと下品な連中だ!)


 ライジング公は臆病とはいえ、諸侯としてのプライドがある。精一杯の虚勢を張って、ゴロツキどもを叱責した。


「なんだおまえらは! 私をライジング家の当主と知りながら、このような狼藉を――」

「やかましい!」


 バチーンと頬を張られた。

 これまでの人生で殴られたことは一度もない。それなのに下賤の者にビンタをされてしまった。屈辱で涙がこみあげてくる。


「おら! ボーっとしてんじゃねえぞ!」


 今度は棒で足を打たれた。激痛に耐えられず、その場にうずくまる。


「だ、誰か! 誰かおらんのか! 私を助けろ!」

「てめえのようなボンクラを助けにくる人間なんて、いるわけねえだろうが!」

「な、何を言うか! ここは私の城だぞ!」


 ゴロツキどもは盛大な笑い声を上げた。


「ガハハハッ、まだ現実が見えてねえようだな!」

「もういいから、やっちまおうぜ!」

「ウヒャーッ!」


 バキ! ドカ! ボコッ!


 暴力が始まった。

 男たちはライジング公を囲んで、殴る、蹴る。

 気を失ったら水をぶっかけて正気付かせ、また殴る、蹴る。


(ここは地獄か)


 ライジング公にとって、果てしなく長い時間が始まった。




―――




 俺は部屋の外から、ライジング公がボコボコにされる様をながめていた。

 殴られる痛みは、殴られたことのある者にしかわからない。ライジング公も暴力の怖ろしさを体で理解しただろう。


 もうそろそろいいかな?

 俺は部屋に入ろうとしたが、


「もうしばらく、やらせておきましょうよ」


 ティコが止めた。「二度とアクセル様に歯向かうことがないよう、体と心に恐怖を刻みつけておくんです」


「そうだな、そうするか」


 カースレイド商会の戦闘員たちは大けがをしない程度には手加減をしている。もうしばらく見守っていてもいいだろう。


「ヒィ……ヒィ……」


 それから10分ほど経過し、ライジング公のうめき声が弱々しくなった。もういいだろう。


「そこまででいい」


 声をかけると、男たちはピタッと暴力をやめた。

 俺はぐったりとしているライジング公の前に立った。


「起きろ」

「た、助けて……。もう、やめ……」


 どうやら、俺が誰かわからないようだ。

 ライジング公の薄くなりかけた髪をつかんで引っ張り上げる。


「アイタタタタッ!」

「ちゃんと俺の顔を見ろ」

「あ、アクセル殿下!?」


 俺が手を離すとライジング公は尻もちをつき、恐怖の表情を浮かべて後ずさった。状況を理解できずに口をパクパクさせている。


「そうだ。ここに配下を送り込み、あんたに暴行を加えさせたのは俺だ」

「ど、どうして?」


「どうしてだと?」


 俺はボロボロになった男の顔面を、靴の裏で蹴とばした。「どうしてか、わからないとでも言うのか!」


「わかりますわかります! 殿下に逆らった私が悪いのです!」


 ライジング公は鼻を手で押さえながら謝った。「だからこれ以上の暴力はやめてください!」


 うん、充分に心が折れているようだ。


「なあ、なぜ俺たちがここまで侵入できたかわかるか?」


 俺はライジング公の手を取って起き上がらせ、少しだけ優しい声をつくって問いかけた。


「いえ……それがまったく見当がつきません。主塔キープの守りは完璧だったはずなのに……」

「敵軍に攻められた場合に備えて、主塔ここには公都の外へ脱出するための抜け穴があるだろ? 俺たちはその抜け穴を通って中に入ってきたんだ」

「な、なんですって!? ど、どうしてそれを!?」


 脱出用の抜け穴の存在は絶対に外部に漏らしてはならないものだ。俺がそれを知っていたことはショックだろう。


「それは俺がアクセル殿下にお教えしたからです、父上」


 そう言って姿を現したのは、赤い髪をツンツンに立てた精悍な顔つきの青年だ。


「ルース!? お、おまえ、父親を裏切ったのか!」


 ルースはライジング公の次男であり、俺にとっては幼なじみだ。今でも俺を実の兄のように慕ってくれている。

 ライジング公を襲撃したいと話すと、進んで協力してくれたのだ。抜け穴の鍵を中から開けてくれたのも彼だ。


「裏切り者は父上でしょう。なぜ家族同然であるアクセル殿下を裏切ろうとなさったのですか?」

「ライジング家の当主は私だ! おまえにとやかく言われる筋合いはない!」

「当主ならば務めを果たしてください。ライジング家の標語モットーは『名誉、忠誠、勇気』です。カーケンごときを怖れて名誉も忠誠も捨てようとする者に当主の資格はありません」

「なんだと!? おまえ父親に向かって――!」

「落ち着け」

「ひぃっ!」


 俺が注意するとライジング公は悲鳴を上げた。


「ルースはあんたを父親として尊敬している。だからこそ、あんたが道を踏み外すのを許せなかったんだ」


 俺の言葉に、ルースはうなずいた。


「父上の目を覚ますには荒療治が必要だと殿下がおっしゃるので、俺は協力することにしたんです」

「だ、だからといって私をこんな目に遭わせるのか!? おまえは父親に対する愛情がないのか!」


 そんなことはない。ルースは俺とは違い、家族を愛している。

 だがそれは私的な感情であり、公的な義務はそれに優先する。


 と、俺は幼い頃からルースに言い聞かせてきた。子育てを妻や使用人に任せっきりにしていたライジング公よりも、俺の方がルースに対する影響力は強いのだ。


「荒療治の甲斐があって、伯父上は考えを改めてくれたと思う。これからはカーケンではなく、俺に味方をしてくれるだろう」


 俺はライジング公をギロリとにらみつけた。「そうだよな?」


 ライジング公はガタガタと震えながら、首を縦に振った。

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