7.力こそが正義

 殺人が禁忌であることは、改めて言うまでもない。

 だから俺はローレンを殺すにあたって、自分が関与したと疑われないよう慎重に注意を払った。


 そんな俺の努力をあざ笑うかのように、カーケンは大勢の者が見ている前でメリアーヌの頭を射貫いぬいてしまった。

 どう見ても即死だ。2歳のマクシムは動かなくなった母親を見上げてキョトンとしている。状況に理解が追い付かないようだ。俺だって理解できない。


「カーケン殿下、あ、あなたはなんということを……!」


 宰相のモイゲンが青い顔で問い詰める。


「その玉座に座ることができるのは王だけだ。王でもないのにそこに座っている奴は王位簒奪さんだつ者だ。当然死刑だろ?」


 しかしカーケンは悪びれる様子もなかった。


「だからって子どもの前で母親を殺すとは、あなたは鬼畜ですか!」

「フン」


 ベアトリス王妃も娘の凶行を非難したが、カーケンは鼻で笑って返した。

 こいつに道徳を説いても無駄だろうが、俺も黙っているわけにはいかない。


「たとえ罪があったとしても、罰するならばしかるべき手順を踏むべきです。勝手に処刑するような権限が姉さんにありますか?」

「あるさ」

「まさか! 王でもないのにそんな無法な行為が許されるわけが――」


 その時、大扉がバーンと開け放たれ、武装した大量の兵士たちが入ってきた。玉座の間はどよめきと悲鳴に包まれる。


「な、なんだおまえたちは!」

「ここをどこだと思っている! どこの所属の軍だ!」

「ま、まさか謀反か!? に、逃げないと……」


 家臣たちは混乱するばかりだ。

 乱入した兵士の群れはそんな彼らを押しのけ、カーケンの後ろに整列した。


「不死鳥軍団2000人、カーケン殿下の警護のためにまかり越しました!」


 四十年配のひげ面の男が前に進み出て、挙手の礼を行った。


「いいタイミングだ、マティアス。褒めてやろう」

「はっ、光栄です!」


 なるほど、カーケンと共に領内を巡検していた軍団か。

 不死鳥軍団というのは正式名称ではなく、王から託された軍団をカーケンが勝手に名付けたものだ。マティアスというのはその軍団長だ。


「こういうことだ、アクセル」


 カーケンは俺の方を向き、勝ち誇るように言った。「人の世を支配するのは力だ! つまり軍隊を従える者こそが支配者だ! このアタシが誰を殺そうが、誰にも文句は言わせねえ!」


 なんてことだ……! こいつは軍事力を背景に我意を通すつもりだ……!

 たかが2000人とあなどることはできない。一般的な軍隊は傭兵や一時的な徴集兵を中心に構成されるが、不死鳥軍団は厳しい訓練を受けた職業兵士のみが所属する常備軍なのだ。その戦闘力は圧倒的だ。


「ふ、不死鳥軍団などと勝手に名乗っておられますが、その軍の最高司令官はエルドール陛下ですぞ! カーケン殿下は貸し与えられただけなのです! 私物化することは許されません!」


 よく言ったモイゲン! 声が震えていなければ、なおよかったが。


「意識がない親父には、最高司令官は務まらねえ」


 カーケンはそう言うと、再び俺に顔を向けた。「アクセル、おまえは自分が王になるつもりで国王選挙に備えていたんだろ?」


「いえ、そんなことは――」

「今さら隠さなくてもいい。だが、わざわざ選挙なんてする必要はねえ。このアタシこそが次の女王だ」


 カーケンの言葉に続き、兵士たちが一斉に剣を抜いて頭上に掲げた。


「カーケン! カーケン! カーケン!」


 カーケンの名前を叫ぶ兵士たちの声が、玉座の間にこだました。

 最悪だ。こいつは完全に兵士たちの心をつかんでしまっている。確かにこれでは誰も逆らえない。


「ウァーーッ! ママーーーッ!」


 兵士たちに負けないほどの甲高い声が響き渡った。玉座の上で、マクシムが母親の遺体に取りすがって泣き叫んでいた。


「ちっ、うるせえガキだ」


 カーケンは再び矢をつがえ、マクシムに向けようとする。

 俺は素早く動き、その腕をがっしりと押さえた。


「アクセル、なんのつもりだ?」


 腕をつかまれたカーケンは、燃えるような目つきでにらみつけてきた。


「あ、アクセル様……」


 ティコが何か言おうとするが、目で黙らせた。


「まさかマクシムまで殺すんですか?」

「当たり前だ。生きていれば、後で担ぎ上げようとする奴が出てくるかもしれねえだろ? それにそのガキが成長すれば、母親の仇であるアタシを殺そうとする」


 ふざけるな!

 平気で子どもを殺す人間を女王にするわけにはいかない。どうやら俺も覚悟を決める必要がありそうだ。


「自業自得だ。おとなしく殺されろ」


 そう言うと、カーケンは悪鬼のような形相になった。視線だけで俺を殺そうとするかのようだ。


「アクセル、姉に向かってその口の利き方はなんだ?」

「2歳の子どもを殺そうとする奴に、敬意を払う必要はない」

「何をいい子ぶってやがる! アタシがおまえの本性を知らないとでも思ってるのか! この偽善者が!」


 偽善者か。さっきティコにも言われたな。だが――、


「俺には俺の正義がある、とやかく言われる筋合いはない。おまえの存在こそが、この国にとって害悪だ」

「ほう? このアタシにそこまで言うとは、死ぬ覚悟はできてるんだろうな?」

「やれるもんなら、やってみろ」


 弓の腕前ではカーケンに及ばなくとも、近接戦ならおそらく俺が上だ。

 しかも今はカーケンの右腕をがっしりと押さえている。相手の体勢を崩してから斬り殺すことは可能だろう。

 もっとも、その後でカーケンの麾下きかの兵士たちに殺されることになるが。


 2000人の兵士たちは明らかに殺気立っていた。立ち並ぶ家臣たちはオロオロするだけで役に立ちそうにない。

 ティコはいつでも動けるように身構えている。こいつは口は悪いし生意気だが、いざとなれば俺のために死ぬことをためらわない。


 さて、どうしたものか。

 カーケンを殺して俺も死ぬ、というのは問題外だ。俺の命はそんなに安くはない。王になるという野望を捨てるわけにはいかない。


 現実的なのは、カーケンを人質にして不死鳥軍団の動きを封じることか。

 だがそれも簡単じゃないな。こうして触れ合っているだけで、カーケンの気迫がビンビンと伝わってくる。


「いい度胸だ。さすがはこのアタシの弟だ」

「おまえの弟に生まれたのが、俺の不運だ」

「じゃあ死ね」

「それはこっちの――」


 ザッバァァン!!


 頭上から大量の水が降ってきた。まるで滝に打たれたかのようだ。あまりの驚きで、一瞬心臓が止まった気がする。


 俺たちだけではなく、玉座の間にいるすべての者がずぶ濡れになっている。

 理解できない事態に誰もが呆気あっけに取られる中、不機嫌そうな女の声が降ってきた。


「あなたたち、頭は冷えましたか?」


 元隠者のエロイが、空中に立っていた。

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