4.王太子妃メリアーヌ
熊に襲わせてローレンを殺すというやり方を考えたのは、俺だ。
俺は暴力が得意だが、こういう手の込んだ謀略も嫌いではないのだ。
ティコとユリーナは、俺には暗殺者の適性があるなどと褒めたたえたが、とんでもない言いがかりだ。俺は目的のためなら手段を選ばないというだけなのだ。
具体的な手順はこうだ。
まずユリーナの配下の戦闘員たちが御料林で熊を捕らえる。
ユリーナが会長を務めるカースレイド商会は表向きは真っ当な会社だが、裏の顔は反社会組織であり、平気で人を殺せるような荒くれ者を100人以上抱えていた。
次に罠をつかって狼を捕らえ、捕獲した熊と同じ
餌を取り上げられた熊の暴れっぷりは、俺でも恐怖を覚えるほどだった。
熊は自分の所有物に対する執着心が異常に強いことは知っていた。そんな熊の習性がこの作戦の肝だ。
俺はローレンを狩りに誘い、熊の檻の近くに連れて行った。呼子笛を吹いたのは、檻の扉を開けろという合図だ。
熊がローレンを見て激高したのは、自分の所有物である狼の毛皮を身に着けていたからだ。毛皮の
ローレンの死は事故として片づけられた。そりゃそうだろう。野生の熊を人間の思い通りに行動させるなど、常識的に考えて不可能なのだから。
ローレンの凄惨な死体は棺に入れられ、玉座の間に運び込まれた。王がいないので、もちろん玉座は空席だ。
知らせを聞いて集まった家臣たちは誰もが沈痛な面持ちでいる。王の意識が戻らない状態で、さらに王太子まで死んでしまったのだから当然だ。
「ああぁぁっ! ローレン! ローレン! どうしてこんなことに!」
遺体に取りすがって泣きわめいているのは、ローレンの母親のベアトリス王妃だ。その悲痛な叫びを聞けば、誰もが涙を誘われずにはいられないだろう。
俺も顔を伏せて悲しむふりをしていたが、ベアトリスの怒りはそんな俺に向けられた。
「アクセル! あなたはローレンと一緒にいたのでしょう! なぜ守らなかった! なぜ身代わりになって死ななかった!」
ベアトリスの目は血走り、顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。完全に冷静さを失ってるな。こんな相手に反論しても、火に油をそそぐだけだ。
「申し訳ありません」
俺は殊勝な態度で謝った。「突然のことで、兄上を助けることができなかったのです。お許しください」
「許すものか! 死ね! 死んで償え!」
ひどい暴言だ。いくら息子が死んで悲しいからといって、俺に責任を負わせるのは筋違いだ。
いや、そうでもないか。どう考えても俺が悪いな。だが真相を知る者はこの場にいない。
「王妃陛下、お気持ちは重々お察ししますが、言ってよい言葉ではありませんぞ。アクセル殿下とて兄君の死に悲しんでいるのですから」
宰相のモイゲンがベアトリスを
「宰相殿のおっしゃる通りですわ、お義母さま」
続いてベアトリスを
「メリアーヌ、あんたは夫が死んで悲しくないのか!」
「もちろん悲しいですとも。ですがこんな時こそ冷静にならなくては。陛下が倒れられ、ローレンまでが亡くなったのです。この王家の危機に対して、私たちは力を合わせるべき時ではないでしょうか?」
メリアーヌの態度は普段と変わらず悠揚としていた。
城の者たちから聡明剛毅と称えられるだけのことはあって、すいぶんと気丈だな。ただ取り乱しているだけのベアトリスとは役者が違う。
「アクセル殿、あなたが熊を仕留めてくれたそうですね」
メリアーヌは俺に声をかけてきた。「夫の仇を討っていただき、感謝申し上げます。巨大な熊を一矢で倒すとは、さすがは武勇の誉れ高い殿下ですね」
「お褒めいただき、光栄です」
「ですが腑に落ちないところもあるのです」
メリアーヌは同じ調子で続けた。「従者の報告によれば、アクセル殿は矢をつがえてから放つまでにずいぶんと時間をかけたそうですね」
何を言いたいんだ、この女は?
「それは……万が一兄上に矢が当たることのないよう、狙いを定めていましたので。恥ずかしながら、あまりの熊の迫力に手が震えていたのです」
「あなたのような豪胆な方が、ですか? 従者の報告では、実に落ち着いているように見えたそうですが」
くっ、あの従者どもの口を封じておくべきだったか。
「それに、なぜ熊がローレンだけを襲ったのかも不思議です。その場には何人もの人間がいたのに、わき目もふらずにローレンに向かっていったそうですね」
「それは……熊の考えることなど、俺にはわかりません」
「そうでしょうか? そういえば熊が現れる前、あなたは呼子笛を吹いたそうですね。いきなりだったので驚いたと、従者たちは言っていました」
「
「気分を害したのなら、お許しください。突然の不幸に私も混乱しているのです。ああこんなことになるなら、夫が狩りに行くのを止めていれば……」
メリアーヌは大げさにも見える態度で嘆いた。「そういえば、狩りに行こうと誘ったのもアクセル殿下だったそうですね」
なるほど、この女は俺を疑っているのか。さすがに鋭いな。
「メリアーヌ様、まさかアクセルに何か非があるとでもおっしゃるのですか? 今回のことは不幸な事故なのです。大切な夫を亡くした悲しみはお察ししますが、アクセルを責めるのはお門違いでしょう」
毅然とした口調で言い返してくれたのは、王の第3夫人のエメリアだ。つまり俺の母親である。
おとなしい性格で、本来はこのような場で発言するような人ではないのだが、俺の窮地を察して声をあげてくれたのだろう。
母は俺が信頼する数少ない人間だが、俺がローレンを殺したことは話していない。この善良な女性を、血みどろの王位争いに巻き込みたくはないからだ。
「まさか。そんなつもりで言ったのではありませんわ」
さすがのメリアーヌも、普段は気弱な母に厳しいことを言われたので、多少気を呑まれた様子だ。
「ですがエメリア様も母親ならば、私の気持ちをおわかりいただけるでしょう。まだ2歳なのに父を失ったこの子が不憫なのです」
それでも彼女は気丈な態度を崩さず、腕の中の我が子を見つめた。「私はアクセル殿下が無事だったことを、せめてもの幸いと思っているのです。マクシムは幼児なので、王としての務めを果たすには周囲の助けが必要ですから。殿下ならば叔父として、マクシムの治世を支えてくださるでしょう」
彼女の言葉に玉座の間が静まり返った。俺も意表を突かれていた。
マクシムが王になるだと? 王太子の息子とはいえ、まだ2歳だぞ?
他に王位継承候補がいないならともかく、俺や他の兄弟たちがいるのに2歳の幼児が即位する道理はない。
メリアーヌは周囲の反応を気にする様子もなく、身をひるがえして広間の奥へと歩いていった。
そして2歳の息子を抱きかかえたまま、なんと玉座に腰を下ろした。
王以外は座ることが許されない玉座に。
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