3.狩り
「兄上、狩りに行きませんか?」
そう声をかけると、ローレンは意外そうな顔をした。俺が狩りに誘うなど、めったにあることではない。
「こんな時にか?」
父親の意識が戻らないという大変な時に、狩りを楽しむのは不謹慎ではないか。普通はそう考える。
しかしローレンの表情は明らかに興味を示していた。こいつが大の狩り好きなのは誰でも知っている。
「こんな時だからです。父上が倒れたことで家臣たちは不安に思っているでしょう。次期国王である兄上が元気な姿を示すことには意義があります」
次期国王という言葉を聞いたローレンは満足そうにうなずいた。こいつは単純で扱いやすいな。
「実は先ほど、御料林長官から連絡がありました」
俺は続けた。「御料林で真っ白な猪が目撃されたというのです。これは吉兆に違いありません。兄上自らがこれを仕留めて神に捧げれば、この後の兄上の治世が神に祝福されたものになることは疑いありません」
もちろん嘘だ。
「なるほど、そりゃあおもしろそうだな」
ローレンは子どものように嬉しそうな顔をした。まさに子どもなのだ。口実を用意してやれば、喜んで外へ遊びに行くのだから。
御料林は王家が所有する森林で、一般人が許可なく立ち入ることはできない。
樹木や猟場を守るため、官僚たちは毎日監視を行っている。だが一部の官僚が賄賂を受け取って伐採や密猟を見逃しているという噂もある。俺が王になればそのような不正な役人は一掃しよう。
本来は王族だけが、ここで狩りを行うことができる。今回の狩りの参加者は俺とティコ、そしてローレンとその従者が3人だ。それ以外には
「勢子の人数は俺が用意しました。ざっと30人ほどはいるでしょうか。彼らが獣を追い立ててくるのを、しばらくはこの辺りで待っていましょう」
やや開けた場所に出たところで、俺は声をかけた。
「ほう、おまえに30人もの人間を動かす人脈があったのか」
「懇意にしているカースレイド商会に協力してもらっています」
「ふん、商人か。金にしか興味がない連中だな」
明らかに蔑んだ口調だ。王族として何不自由なく育ったこいつには、金の大切さがわからないのだろう。
「ローレン殿下、これをどうぞ!」
ティコがローレンに狼の毛皮の帽子を差し出した。狼の頭部がそのままの形で残っているものだ。
「ほう、悪くないな」
「先日アクセル様が狩った狼です」
「それを俺にくれると?」
「はい、精悍でたくましい兄上に似合っていると思います」
俺はお世辞を言った。
「ふむ、殊勝な心掛けだ」
ローレンは満足そうに毛皮の帽子を受け取った。しかし手に取って感触を確かめると眉をひそめた。
「どうも生地がごわごわしているな。それに獣臭さが残ってるぞ。ちゃんと
「煙でいぶして乾燥させましたが」
「まったく、貴様は毛皮の扱い方も知らんのか。いいか? 皮を
「まあまあ、屈強な殿下にはこういうワイルドな毛皮がお似合いですよ!」
取りなすようにティコが褒めたたえた。「身につければきっと王者の風格を漂わせるでしょうね!」
「ほう、そうか?」
「はい! 殿下のかっこいい姿を見られるなら僕は幸せです! 後でちゃんと加工しておきますから、今はその帽子をかぶっていてもらえませんか?」
「まあ、そこまで言うなら……」
「やったぁ! ありがとうございます!」
ティコが無邪気に喜ぶ姿を見て、ローレンはほくほく顔で帽子をかぶった。
俺はティコの人たらしの能力に改めて恐れ入った。こいつは相手が誰であろうと遠慮なくその懐に飛び込んでいき、いい気分にさせてしまうのである。
自分がかわいくて魅力的な生き物であることをよく自覚しており、計算づくでその魅力を使っているのだ。まさに子犬の皮をかぶった狐である。
まあいい。これで準備は整った。
ピュィィイイイッ!
俺は木製の呼子笛を吹き鳴らした。
「なんだなんだ?」
突然の俺の奇行に、ローレンが怪訝な顔をする。
「勢子たちにこの場所を知らせるために、笛を吹いたんです」
「ふーん? そんな鋭い音を出したら、獣が近づかなくなるんじゃないか?」
「大丈夫ですよ! 獲物は殿下のあふれ出るような魅力に誘われて、必ずやってきます!」
ティコがまたしても見え透いたことを言った。言ってる内容は無茶苦茶だが、ローレンはまんざらでもなさそうだ。
「そうかな?」
「そうですよ! 噂の真っ白な猪が現れるかもしれません!」
前方の茂みがガサゴソと動いた。
「シッ、何か来るぞ」
俺はティコを黙らせた。
「まさか、本当に白い猪が来たのか?」
ローレンは目を輝かせている。のん気なものだ。
茂みをかき分けて現れたのは、山のように巨大な熊だった。その大きさに一同は息をのむ。
「ガアアァァーッ!」
熊は雷鳴のような雄叫びを上げ、一直線にローレンに向かっていった。
「うわあっ! ま、待てっ!!」
ローレンは間抜けなことに弓を従者に預けたままだ。お膳立てされた狩りに慣れ過ぎて、発見即発射の原則を忘れているのだ。
まあ弓を手に持っていたとしても、この距離ではどうしようもなかっただろう。野生動物の瞬発力は人間など比べ物にならない。
鋭い爪が振り下ろされ、ローレンの顔はえぐり取られた。
熊はそのままローレンにのしかかり、さらなる攻撃を加えている。
ローレンの従者たちは一歩も動けずにいた。熊の迫力に怖れをなしているのだろう。命を張って主人を助けようとするほどの忠誠心もなさそうだ。
俺なら素早く剣を抜いて熊を突き殺すことが可能だが、そうするつもりはなかった。
熊には
俺は弓を手に取り、悠然とした動作で矢をつがえた。相当に張りが強い弓だ。普通の人間では引くことができない強弓だが、俺にはちょうどいい。
俺の矢は鉄の鎧も貫き通す。この距離ならいくら熊がデカかろうと、仕留めるのはたやすい。
「アクセル殿下……早く射てください!」
弓を引き絞ったまま射ようとしない俺を見て、ローレンの従者が焦った様子で催促をしてきた。
「狙いを定めているんだ。万が一にも兄上に当たっては大変だからな」
もちろん嘘だ。ローレンが死んだと確信できるまで熊を殺すわけにはいかないのだ。
熊は俺たちには目もくれず、執拗にローレンだけを攻撃している。ローレンはピクリとも動かない。
えぐり取られた頭部から脳漿がとびだしているのが見えた。もういいだろう。
俺は矢を放った。
熊のこめかみに突き刺さった矢は、頭の反対側まで貫通した。熊はうめき声を発することもなく倒れ、しばらくピクピクと痙攣していたが、やがて動かなくなった。
「お見事です!」
ティコが笑顔でパチパチと拍手をした。
おい、もっと悲愴感を出せ。この国の王太子が死んでるんだぞ。
「兄上ーーっ!!」
俺はティコの相手をせず、弓を放り出してローレンに駆け寄った。
爪でズタズタに引き裂かれた死体は、あまりにも凄惨だ。ローレンの従者たちは真っ青な顔で震えている。
これは野生の熊による獣害、どう見ても事故だ。まさか俺の謀略だとは誰も思わないだろう。
「そ、そんな……兄上……うおおおおっ!!」
我ながら下手な芝居だなと思いながら、大げさに泣いて見せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます