2.王太子と隠者
王城へ戻った俺はいったんティコと別れ、王の私室へ駆けつけた。
「父上!」
バーンと勢いよくドアを開けると、ベッドの上で死んだように眠っている親父の姿が目に入った。すかさず鋭い叱責の声が飛んでくる。
「騒々しいぞアクセル! ここは病人の部屋だ!」
ベッドのそばの椅子の上で偉そうに足を組んで座っているのは、第1王子ヴァランサード・ローレンだ。俺の腹違いの兄である。王族というよりも山賊の頭領と言われた方が納得しそうな、下品な面構えだ。
「失礼しました」
騒々しいのはおまえもだろと思ったが、素直に謝った。
「フン、また城下をうろついていたのか?」
「はい。俺たちの町の様子をこの目で見ておきたいと思いまして」
「俺たちの町だと?」
ローレンはギロリとにらみつけてきた。「生意気なことをぬかすな。貴様の母親は第3夫人だろうが。王都を治める資格があるのは、王妃の子である俺とカーケンだけだ」
エルドール王の5人の子どものうち、正妃であるベアトリス王妃の子は、第1子のローレンと第2子のカーケンの2人だけだ。
第3子のレイスの母親は第2夫人、第4子である俺の母親は第3夫人で、共に側妃だ。
側妃の子も王位継承権は持っているが、正妃の子が優先されることは間違いない。実際、王太子に指名されているのはローレンだ。だから親父が死ねばローレンが即位することになる。
ちなみに第5子のメアは娼婦の娘なので王位継承権はない。メアはヴァランサードを名乗ることも、王城に住むことも許されていない。
「では王妃の子である兄上こそが、もっと民の暮らしぶりに気を配るべきではないですか? 貧民街に住む者たちがどんなひどい生活をしているか、ご存じないのでしょう」
「貧民街だと? あんな穢れた区画のことなど知る必要はない。俺が王になったら貧民街はつぶし、その跡地には壮大な離宮を建てるつもりだ。俺の家族が移り住めるようにな」
「なんですって!? では貧民街に住んでいる者たちはどこに行けというのですか?」
「草の生えているところにでも行けばいい」
こいつは人間をヒツジやヤギだとでも思っているのか?
俺が言い返そうとした時、
「ローレン殿。陛下の御前で、自分が王になったらどうするかなどと語るのは控えなさい」
ローレンを注意したのはこの部屋にいるもう1人の人物、元
隠者とは、社会とのつながりを断ち、人里離れた場所で隠遁生活を送る者のことだ。
隠者の地位はとても高く、長期間にわたって隠遁生活を送った者は、俗世に戻った後も偉大な存在として扱われる。王族といえども、隠者には敬意をもって応対せねばならない。
「はっ……申し訳ありません、エロイ殿」
ローレンは不承不承といった様子で謝った。
「そろそろ暗くなってきましたね」
エロイがそう言った瞬間、ランプに火がともった。
3年以上の隠遁生活を送った者は、神の啓示を受けて隠術という超自然的な力を使えるようになる。そうなれば隠者として一人前だ。
エロイは3年どころか、300年以上も隠者をやっていたらしい。
人間が300年も生きるなど常識的にはあり得ないが、それも隠術の力なのだろう。彼女は隠者の中でも別格の存在である。
その外見は若く、20代前半にしか見えない。
しかもとびきりの美人だ。頭がくらくらするような色気を常に周囲にまき散らしていて、たいていの男は彼女の姿を直視することができない。
だが俺は負けず嫌いなので、深いスリットからのぞく白い足を凝視しながら問いかけた。
「エロイ殿、父上の容体はどのような具合なのですか?」
「おそらくは脳の病でしょう。倒れた時から意識が戻らないのです。ですが命の危険が差し迫っているというわけではありません」
当面は死ぬことはないと聞き、俺はホッと胸をなで下ろした。父親に対する愛情のため、ではない。今親父が死ねばローレンが即位してしまうからだ。
「意識が戻る見込みはあるのですか?」
「正直、難しいと思います。私の持てる知識のすべてを使って治療を施すつもりですが」
なるほど、では親父が王を続けることは無理だな。急いで俺が王になるための準備を整えよう。
俺は再びティコを連れて城下に出た。
すっかり日は落ちており、ランタンの明かりだけでは足元がおぼつかないが、今日の内に用件を片付けておきたかった。
目的地はカースレイド商会の本社だ。
カースレイド商会はアルゴール王国でも有数の商業組織で、土木・建築を中心に手広く事業を行っている。
「カーケン王女とレイス王子がいない今のうちに、王太子であるローレンをなんとかしておきたいですね」
歩きながら、ティコが小声で話しかけてきた。
「そうだな。カーケンとレイスにも親父が倒れたという知らせは届くはずだから、じきに王都に戻ってくるだろう」
カーケンは軍を率いて王領内を巡検中で、レイスは2年前から聖都に留学している。
あいつらが親父の危篤という事態に対して、どう動くかはわからない。だが少なくとも、俺が王になることを黙って見ているはずがない。
「そろそろいらっしゃるだろうと思い、お待ち申し上げておりました、アクセル殿下」
カースレイド商会の会長、カースレイド・ユリーナは、こんな時間に訪れたことに迷惑がるそぶりも見せず、俺たちを応接室に案内した。
「人払いをしてあるので、この部屋で話したことが外に漏れることはございません。どうぞなんなりと、お申し付けくださいませ」
「俺たちしかいないなら、そんな改まった物言いはしなくていいぞ」
「そ? じゃ普通に話すね。待ってたよー、アクセル君」
急に態度が馴れ馴れしくなったな。だがこの方がやりやすい。身分と性別は違えど、ユリーナは俺の親友だ。
年齢は俺より1つ上の18歳。つり気味の目がクリっとしていて、猫のような愛嬌がある。体を動かすたびに金色のポニーテールの尻尾がぴょんぴょんはねるのが微笑ましい。
しかしこいつはこう見えてなかなかの外道である。まだ30代の父親を無理矢理隠居に追い込んで、会長職を奪ったような奴だ。俺が王になったら、カースレイド商会を御用商人にするという約束も交わしている。
「俺たちが来ると思っていたというのは、どういう意味だ?」
体が沈み込むようなソファに腰を下ろし、出された茶に口をつけたところで、ユリーナを問いただした。
「エルドール陛下が危篤なんだよね?」
「なぜそれを?」
王が倒れたことは、まだ一般には知らされていないはずだ。
「この王都で私が知らないことなんてないよー」
しれっとした顔で言い切った。こいつは王城にも密偵を送り込んでいやがるな。
「話が早くて助かりますね」
ティコが無邪気な笑みを浮かべて言った。「ではアクセル様が王になるため、協力してもらえますか?」
「もちろん!」
ユリーナはそう言って身を乗り出した。
「じゃあ話し合おっか。まずはどうやってローレンを始末するかだよね」
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