船出
鈴音
船出
人間というものは、死んだ後の世界を気にする文化が強く残るものだ。
神の治める魂の行く果てや、鬼の闊歩する己の罪を償う場所。もしくは、魂はゆるりと巡り巡って帰ってくるなんてことも。
しかし、そのどれも正しくない。彼らの魂は、川を下り、最後にはすっかりと消えてしまう。
私は、気づけばここで人と同じ姿となり、下る人々を見送り、時に愚痴を聞く船頭の仕事をしていた。いつ頃生まれ、どうしてこの仕事をしているのか。何度か考えたが、結局答えは出てこなかった。
神様なんてものは知らない。天国と地獄も、それに似たものも知らない。私にあるのは、全てが無に帰る川だけ。
なんて、自分でも飽きたと思えるくらいに、思考したこの問題を一旦横に置くことにした。
「あの……ここ、どこですか?」
やってきたのは、くたびれた顔の中年のおじさんだった。
――ここは、貴方達の言う所の、あの世です。これから、貴方をお送りしますので、どうぞこちらへ。
「あの世……そうか、私は死んだのか。……そっかぁ」
ぽりぽりと、薄く光る頭を掻きながら、大人しく船に乗ってくる。大体の人は、ここで死んだことを受け入れられず、暴れたり川に飛び込んでしまうから、少し厄介なのだ。
「それで、私はこれからどうなるのです?」
癖なのか、眼鏡を拭きながら、微笑みかけてくる。私は、いつも通りに答えた。
ここから先には何もありません。貴方という人間は、綺麗さっぱり無くなります。
「綺麗さっぱり、ね。そうなったとして、今生きている人達は、私の事を忘れるのかい?」
いえ、そんなことは。よく、死んだとしても、誰かが覚えている限りは生きている。なんて言いますが。そんなこともありません。
貴方は誰かの記憶に残ります。それでも、貴方だったものは、さっぱり消えます。それだけです。
「ふふっ、それは何とも、酷い話だ。私の仕事がまるっと否定されてしまったようだ」
お仕事、ですか。ご職業は?
「小児科医だよ。何度も、担当した子を救えず、ここへ送り出してしまったこともあったさ。
そういう子達は、いつも言うんだ。死んだら、どうなるの。苦しいの? 今よりも、ずっと痛いの? って。だから、私はこう答えてきた。
そんなことは無い。苦しいことも、痛いことも、辛いこともない。神様が、君たちを優しく出迎えるんだって。
……実は、本を書いたこともあってね。とても怒られたが、私はそれくらい夢を見た方がいいと思って書いたんだ。
死というものは、全く怖いものでは無い。気ままで自由な神様が、可愛い子、美しい子、優しい子。素敵で、魅力的な子を欲しがって、勝手に持って行ってしまう。そんな運命を定められている人もいる。だから、気にすることも、怖がることもないんだ。って」
……それはまた、優しいけれど、恐ろしい話ですね。
「私もそう思うよ。でも、良かった。自分自身、本当にあんな話を誰かに話し続けて良かったのかと、後悔もあったから。
私の言葉で、僅かに苦しみから逃れることが出来た人もいた。全てを諦めて、目を閉じた人もいた。私の言葉が、救いになってしまったんだ。何よりも、簡単に楽になれる方法として」
でも、その言葉が無ければ、訳の分からない恐怖と苦しみに囚われて、死んでしまう子もいた。それは、確かだと思います。だから、胸を張ってください。貴方の言葉は、見方一つで、救いにも、呪いにもなる。それでも、少なくとも嫌な最後を迎える子はいなかったはずですから。
「……そうだね、ありがとう。まさか、死んでからこうして誰かに赦されるなんて。それも、自分の娘そっくりな人に」
……おや、貴方には、そう見えるのですね。
「うん。本当なら、今頃振袖を着て、成人式に出ていたはずの、私の娘。助けられず、苦しむ自分の言い訳に、神なんて言葉を持ち出す理由になった。してしまった、あの子にそっくりだ。……本当に、君に会えてよかった」
私も、素敵なお話を聞くことができて、貴方の最後の船出のお手伝いができて、光栄です。
……それでは、おやすみなさい。
「おやすみなさい、素敵な船頭さん」
――目的地に着くと、船は勝手に泊まる。吐き出したいことを言い終えた客は、最初から無かったかのように、空間に溶けて消える。
そうして見送った後、私はまた船出の場所に戻る。そして、次のお客を待つ。
死して迎える素敵な船出を。次なんて無くとも、祈らざるを得ない、最後の時を、送り届けるために。
船出 鈴音 @mesolem
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