全力徒競走

米飯田小町

全力徒競走

『お願い!この通り!』


 無理だって、嫌だって。


『・・・うん。別にいいよ』


 いつもこうだ。僕は断り下手で、こうやって他人の頼みに押し切られる。そしていつも損な役回りを背負わされるんだ。


『じゃあ俺と〇〇が100メートル走交代で!』


 はぁ。今年の運動会も大恥をかいてしまうんだ。と僕はそう思った。


『え?!〇〇が100メートル走るの?』


 そんな時、クラスメイトの女子が僕に話しかけてきた。彼女はクラスの中でも可愛い子で、僕が密かに想いを寄せている子だ。最近彼女とはよく話すし、関係は僕的にはいい感じだと思っている。


『うん。そうだよ』

『えー!応援するよ!頑張ってね!』


 明瞭快活な彼女の性格にはいつもドギマギさせられる。そんな彼女が僕を応援してくれると言った。


 それに気づいた瞬間。僕はとんでもない過ちをした事に気づいた。


 100メートル走?僕が?この運動音痴で小さい時からかけっこではいつもビリケツだったこの僕が?


 どうしよう。彼女に幻滅されちゃう。それは嫌だ。彼女にだけはかっこ悪いところを見せたくない!


 僕は人生で初めて努力しようと思った。


 その日から僕は学校から帰ってすぐに運動着に着替えて、毎日家の近くの公園で走り続けた。運動着に着替えてとは言ったけど、日頃運動しない僕がそんなもの持っているはずもなく、適当な服屋でお小遣いをはたいて買った。


 とりあえずだだっ広い公園の広場を全力で走ってみると、ものの数秒で息が切れた。呼吸が荒く、息が苦しい。

 それどころか、久しぶりに全力で走ったせいで、足がびっくりしているのを感じる。僕の足は簡単に悲鳴を上げてしまった。

 そんな調子で練習を始めて、早速もうやめようかなって思ってしまった。けれどそんな情けない自分に腹が立ち、僕はその怒りをぶつけるように走ってやった。

 やってやるぞ!全てはあの子にかっこいいところを見せる為だ!


 数日間。そうやって走り続け、ある日から僕は記録を取るようになった。距離は適当だ。公園の広場に目印を二つ付けて、全力で走るだけ。そしてタイマーで時間を測り、毎回の記録をノートにつけている。

 最初は全く成果を感じなかった。ただ疲れるし、足が痛くなるだけ。酷い時には足の筋肉が離れそうになったし、日頃の運動不足のせいか足を挫きそうにもなった。

 それでも毎日走っていると、少しずつ、ほんの少しずつだけど、記録が徐々に伸びていき、成長を感じられるようになった。目に見えて記録が伸びてくるとなかなか楽しいもんだな。と僕はそう思った。


 ある日のこと。体育祭が近づいてきたので、学校でもリハーサルとして、何度か体育の時間に種目の練習をする事があった。僕は何となく自信が付いていた。あくまで体育祭。学校行事である。学校行事にそこまで本気になる生徒は少ない物で、ましてや毎日走り込みをしている生徒なんて僕だけだと思っていたからだ。

 僕の足が速くなっているのは間違いなく記録ノートが証明しているし、ひょっとして他のみんなよりも速くなってるんじゃないかと思ったりした。


 待ちに待った体育の時間が来た。こんなにも体育の時間が待ち遠しいと思ったことは多分生まれて初だろう。

 今日はどうやら種目とか関係無しに、全員が50メートル走を走るらしい。僕は速く走りたくて仕方がなかった。


『お、なんだ〇〇かー』


 すると、隣にいた友人が僕に話しかけてきた。彼とは中学に入ったばかりの頃からの友人で、少しお調子者だが、憎めない良いやつだ。


『〇〇なら余裕だなー』


 前言撤回。嫌なやつかもしれない。僕の気持ちは更にヒートアップしてこいつを負かしくて仕方がなかった。そんな情動を抑えつつ、僕は走る順番が来るのをじっくりと待った。


 そしてついに僕の出番がやってきた。


 僕と友人がスタートラインに立ち、クラウチングスタートで準備をする。この体勢になると鼓動が早くなるのは僕だけじゃないはずだ。でも今はこのドキドキが期待に満ち溢れている物なのだと僕は感じた。

 体育の先生が『位置について!』と声をあげ、笛を咥えると、僕の呼吸が止まった。


 甲高い笛の音が鳴ると、僕は勢いよくスタートを切った。





 その日の夜僕はいつもの時間よりも遅くまで走った。ただひたすらに走っていた。


『〇〇は相変わらず運動音痴だな!』


 今日の僕の情けない荒い息遣いと、あいつのこの言葉が脳から離れない。

 悔しい!悔しい!あいつよりも練習したはずなのに!

 この雑音と雑念を誤魔化すように僕は深夜になっても走り続けた。


 次の日も同じだ。僕は毎日夜遅くまで走り続けてやった。足の筋肉が離れようと、足を挫こうと、雨が降ろうと、強風が吹こうと、関係ない。僕は毎日死に物狂いで走り続けた。

 日を跨ぐに連れて、ノートの記録は速くなっている。でもまだ足りない。100メートル走の他のクラスの選手は、ラグビー部やサッカー部、野球部など日頃から運動している奴らばかりなんだ。あいつよりもずっと速いはずだ。まだまだ足りない!もっともっと速く!


 僕は狂気に取り憑かれたように走ってやった。


 そして、体育祭の日が訪れた。


 正直僕には自信がなかった。あれからずっと走り続けてきたけど、今日まで1週間ほど、記録が延びることはなかった。同じ帰宅部のあいつにも勝てなかったのに、毎日激しい運動をしている運動部の人達になんかに勝てるわけがないと、今では気持ちがかなり後ろ向きになってしまっていた。


 そんな僕の気持ちとは関係なく、体育祭のプログラムはあっという間に進み、いつの間にか僕は既に入場ゲートに参列していた。既に鼓動は激しくなっている。

 入場を終えて、選手は定位置に付き、順番に6列に並ぶ。大体学年に6クラスだから1クラスに一列といった感じだ。つまり僕はクラスの代表としてここに並んでいるわけである。そう考えると、僕の心臓は鳴り止むどころかどんどん激しく波打ち、動機で息苦しかった。


 僕が戸惑っている間に第一走者のスターターピストルの音がグラウンドに鳴り響いた。グラウンドには各クラスの男子や女子達が騒がしい声援を送っている。緊張と焦燥感で僕は吐きそうだった。


 吐き気に惑わされていると、またピストルの音が鳴った。いつのまにか第一走者が走りきって居たらしい。もうすぐ僕の番だ。鼓動がうるさすぎて隣に聞こえているんじゃないかと思った。


 気がつくと、僕は既にクラウチングスタートの準備をしていた。ふと横をみると、同じ年頃の生徒だとは思えないほど屈強な男子達が並んでいた。僕は彼等の姿を見てますます自信が無くなってきた。やっぱり僕なんかには無理なんだ。


 そう思った時だった。


『頑張れー!〇〇』


 飛び交う声援の中、その声だけはっきりと聞こえた。彼女の声だ。


 その瞬間。僕の呼吸は止まり、世界がゆっくりに見えた。


 ピストルの音が明確に聞こえて、僕は今までにないほどに完璧なスタートを切る事が出来た。


 今まで蓄積した渾身の力を全て使い、僕は100メートルをただひたすらに走った。





 走り終わると、番号が書いてある旗の後ろに並ぶ。番号はもちろんその人の順位である。


 僕は6番と書かれた旗の後ろに並んだ。


 僕は酷く落ち込んだ。結局こんな物だ。世の中生まれ持った才能がほとんどだ。努力しようが何をしようが、どうせ苦手なものは苦手なままなんだ。

 僕はどうしようもなくめんどくさい奴になっていた。


 僕は自分のクラスの席には戻りたくなかった。彼女の顔は見たくなかったからだ。どうせ酷く落胆したような、幻滅したような顔を見せることは分かっていたから。


 僕は力のない足取りでトイレに向かった。手洗い場の蛇口を思いっきり捻り、薄汚れた手で汗まみれの顔を洗った。


 ・・・僕は努力した。


 ふとそう思った。


 最初の頃より足の筋肉がついた。体も少し頑丈になった気がする。それに毎日健康な汗を流しているからか、肌も綺麗になった。


 家にある記録ノートを見ても分かる。僕は最初の頃と比べて間違いなく速くなっている。ここ1週間は記録が留まっているが、これは要するに、ゲームと一緒だ。レベル1から10は成長が速いけど、10から20は成長が遅くなる。


 みんなはもう既にレベル20なんだろう。いや、レベル30かもしれないし、もっと高いかもしれない。

 それは才能なのか?多分それもあるかもしれない。でも努力でレベルを上げた人ももちろんいるはずだ。

 僕は今までレベル1のまま、つい最近まで何もしてこなかったのだ。それならば周りと比べて僕が劣っているのは当たり前だ。努力をした事が無かった自分が、才能だとかそんな事抜かす資格なんて僕にはそもそも無かったのだ。


 でも、これだけは言える。


 僕は間違いなく、レベル1では無くなった。


 あんなに嫌いだった運動を僕はこの2ヶ月ほど毎日続ける事が出来た。雨が降ろうと風が吹こうと足を怪我しようと、僕は走り続けたんだ。それだけでも僕の中では大きな成長のはずだ。


 他人がどうこうじゃない。僕の目標はいつも過去の自分を超える事だった。


 そう思えると、僕はとても心地よかった。


 ・・・今日も走ろう。


 明日も明後日も、1ヶ月後だろうと1年後だろうとも、僕は走り続けるだろう。



 




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