第6話 こんにちは異境
祖父に連れられてきた場所は、小さな祠が鎮座していた。祠の後ろの斜面には、人が一人二人通れそうな洞穴が穿たれていた。奥が深くて中が見えない。洞穴の入口には注連縄が貼られている。
まずは、祖父とともに迅はその祠にお参りをした。それから、祖父が大声で洞窟の中に呼びかけた。
「酒吞、酒を持ってきた。ここまで来ないと渡せないぞ」
「面倒くせえ」
洞窟の奥から、
祖父に言われて、迅は自分が背負ってきたザックから一升瓶を出す。祖父は、自分の背負子から大きな杯と台を取り出して設置する。
杯は一升が軽々入るような大きなもので、TVとかでしか見たいことがない奴だ。
台を設置して布を引き、その上に杯を置く。そこになみなみと酒を注ぐ。それから、小型のナイフを取り出すと、
「迅、手を出せ」
と言ってくる。深く考えずに右手を出すと、むんずと手を捕まれ、人差し指の先をナイフで浅く切られた。
「え、なにすんだ」
血液が一滴、その杯の中の酒にこぼれる。
「男が、これくらいでわめくな」
小型ナイフをしまって、絆創膏を取り出し迅の指へと巻いた。
「なんと、鈴花の香りがする」
洞窟の奥から声が響いてくると、何者かが奥からこちらへ向かって出てくる気配がする。
「やはり、な」
祖父が小声で思わず独りごちたが、何がやはりなのか迅にはさっぱりと判らない。ただ、奥から出てくる気配が色濃くなるにつれて、怖気が立った。
その巨漢が、よくあんな小さな洞窟から出てきたものだと感心するほどの体躯だ。優に2メートルは超えるだろうというがっしりした体つき。洞窟の奥から、不承不承という風に出てきた大柄の男の姿に迅は見覚えがある。
「え、お手伝いさん ? 」
男はじろっと迅を睨めつけると
「ああ、あの坊主か」
とこぼした。
「コイツが次の番人か。幾太郎よ。儂が誰かを気に入る必要もあるまい。もう、この奥で収まっているのだから、良いだろう」
「いいのか、酒呑。この酒を飲みたくないなら、俺は構わんがな。まあ、今日は顔見せという事もあるがの。血はコイツのだ」
二人の会話の意味がよく分からない。シュテンって、このお手伝いさんの名前か。なぜ、こんな山奥の洞窟の奥にいるのだろう。それに、この人の気配は人のものには思えない。
(いやいやいや、ここは現代日本だよな。俺、ちゃんと帰ってきたんだよな。パラレルワールドに送られてないよな。じいちゃんは、じいちゃんだったはずだ。大学でも変な話は無かったよな。なんだよ、なんでだよ。
この気配、駄目だよ、こんなところにあっちゃ。
ジジイ、俺を何に巻き込んだ。いや、なんだここは。いやなんだコイツは)
迅の心中は警報器が鳴り響いているかのようだ。軽いパニックだ。この気配は、平凡に生活するには決してあってはいけないモノだ。
あの世界で魔獣として恐れられていた連中と同質、いやそれ以上ののヤバさを発している存在。魔王ほどでは無いとはいえ、自分の世界で、再びお目に掛かるなんて想像もしていなかったものだ。
子供の頃に会った時は、こんな気配を纏っていなかった。お手伝いさんはもっと穏やかな雰囲気だったはずだ。あれは抑えていたからなのだろうか。それとも偽装 ?
今、この場所に立つ男からは、感知能力なんて無くったってヤバさを感じる事が出来るのではなかろうか。
自分達と同じ存在なんかではないと。
迅が混乱している横で、まったく動じない祖父がいる。あんな迫力のある存在を目の前にして全く変わらないのは、その力が理解できないせいなのか。
それとも、かの存在が何なのか判っていて泰然自若に構えているんなら、祖父もおかしい存在だということになるのか。
じろりとこちらを睨めつけて、祖父に向かって酒呑は言う。
「この坊主の兄という奴は、駄目だった。まったくもって、残念ながら駄目だった。だが、あの時点ではこの小僧よりもあの兄の方が、まだましだったではないか。
だからこそ、あの日、見聞してがっかりしたのだ。二代続けて継がれなかったとを。
だから、鈴花が遺言で儂を縛ったではないか。洞窟の奥にて、守り過ごす事を」
「だが、この杯に注がれた血はこいつのものだ」
祖父は、ニヤリと笑って返す。
「おお、確かに。この芳しい香りは鈴花の血統のものだ。ここまで力の強い香りは久々ぞ。あの匂いも何も無かった小僧。お前、何があった」
大男が酒がなみなみと注がれた杯に顔を寄せる。その杯を手に取ると、注がれた酒をあっと言う間に飲み干しだ。
「小僧、血一滴でこの味か。良かろう。お主をこの洞窟の番人として認めて契約してやろうぞ。そうだな、一日、血1合でどうだ」
大男はドスのきいた笑みを浮かべる。
迅が呆気にとられていると、それに応えたのは祖父だった。
「何を馬鹿なことを。そんな事をしては命が途絶える。
一年で血一滴だ」
「それでは、力は出ない。なれば1月で血1勺でどうだ」
「馬鹿を言うな。お前にそんなに与えられるか、半年で血1滴だ」
「仕方が無い。1月で血一滴だ」
「それでよかろう。古からの契約を」
「おう、継続いたそう」
本人を差し置いて、話が付いたらしい。毎月1日にこの杯に1升の酒を注いでそこに血を一滴垂らし、酒呑に与えることがここに決まった。祖父は後からそう言った。
酒呑は一升の酒が入った盃を軽々と持ち上げ、一気にあおった。そうして満足そうにカラカラと笑い、
「では、日を改めてそちらへ参る。しばらく留守にしても良いように、少し片付けねばなるまいて」
そういって洞窟の奥へと戻っていった。
付け加えるならば、弁当2人前を持って。
残されたのは呆気にとられた迅と、その迅を構うことなく杯などを片付けている祖父。
祖父は荷物を入れ終わると
「ほれ、いつまでも呆けているでない。弁当食ったら、家へ帰るぞ」
「ジジイ、あれはなんだ」
「家に帰ったら、説明してやるよ。これで無事にお前は家を継ぐことになった」
嬉しそうに祖父は笑った。
「ジイちゃん、説明をしてくれ」
家に戻り迅が半眼で祖父を睨み付けると
「ああ。だがな、その前にお前に聞きたいことがある」
祖父は気にせず涼しい顔で応えた。
「お前、何があった。お前に異能は無かったはずだ。だが、今のお前には普通の人がもたない力をもっているだろう。お前にその力は顕在化していなかったはずだ」
「何言ってんだ、俺の話よりもあの化け物の説明をしてくれるんじゃないのかよ」
「お前とお前の兄、それからお前の母親はこの村の血を引いてはいたが、異能を持たなかった。この村はな、日本に幾つかある妖物と相対する場所なんだよ。だから、異能が無い者はここでは生きていくのはできないことはないが、難しい」
「へっ」
「それが、二十歳を過ぎて異能を開眼させるなんて、お前に何かがあった事以外に考えられんのだ」
祖父は、真っ直ぐに迅を見た。
「まあ、この村の事からまずは話すか。お前も自分の事は話せよ」
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