第13話 安心感
おじいちゃんとは、僕が高校生くらいから疎遠になってしまった気がする。しかし僕がどんなに無愛想で出来損ないでもおじいちゃんは僕を優しく出迎え、傍にいてくれた。少し痴呆も入り、言葉を交わす時間は減ったし、成長した僕のことを孫であると認識しているのかわからないけれど、僕はおじいちゃんに会いに行くと優しいおじいちゃんの温かな安心感に包まれることを身体が知っていて、心が落ち着くものだった。
それはまるでベートーヴェンの音楽を聴いているような心地だったと思う。
そんなおじいちゃんが事故にあって危篤状態である一報が母さんから来ていた。まだメッセージを受信して10分くらいしか経っていない。
直ぐにでも病院へ向かうべきなのかもしれないけれど、僕は今昼休憩も休むことなく、今日1日の生産ノルマをこなしている。
母さんから連絡が来て、僕は工場長に相談したんだ。しかし工場長は僕が病院へ向かうことを許さなかった。
「1日の生産ノルマは絶対だ!仕事なめてんじゃねぇぞ!」
確かに工場長の言う通りだ。危篤状態なのが母さんや父さんだったらもしかしたら譲歩してくれたのかもしれないけれど、それがおじいちゃんなら話は少しだけ違う。父さんが僕ぐらいの年齢の時は高度経済成長期と呼ばれており、仕事が忙しくて親の死に目に会えない人もたくさんいたらしいし、過労死といって自らも働きすぎにより命を落とすこともあったらしい。工場長も見た感じその世代だろう。
僕は母さんに、仕事が終わり次第直ぐに向かうとメッセージを送って、ただでさえ増えた1日の生産ノルマをこなすために急いだ。
バツン、バツン、バツン。
こんなに集中しながら仕事をしたのはいつぶりだろうか。お陰で終業時間の17時にはノルマも達成できた。
僕は母さんから追加のメッセージが来ていないか確認した。まだ訃報は来ていない為、僕は急いで持ち場を離れ、退勤しようとしたその時、工場長に声を掛けられた。
「おい、どこ行く!?」
僕は言った。
「えっと、もう終業時間なので帰ろうかと……」
「ノルマは終わったのか!?」
「終わりました」
工場長は僕の返答後、少し間を置いてから口を開く。
「いやいや、お前だけが達成しても意味ないだろ?」
「え?」
「お前の後輩達はまだ終わってないだろ?」
僕はまだ作業をしているデルマン君達、外国人労働者を見た。
「で、でも僕の分は終わっ──」
工場長は僕の言葉を遮って言った。
「お前、どんだけ自分勝手なんだよ?お前の教え方が悪いからまだ後輩達はノルマが達成できてないんだろ?手伝って後輩達のノルマも達成させろよ」
そもそもこの時間でノルマを達成するためには昼休憩を返上して仕事をしていないと無理だ。僕の教え方が悪いとかの次元ではない。それに仕事を早く終えたのは良いことなのに、新しい仕事が増えるなんておかしい。それをこなしたとしても給料は変わらない。そもそも僕の使っているプレス機は違法であるし、外国人技能実習制度もおかしな制度じゃないのか?
僕は工場長に対する苛立ちを覚えた。すると工場長は言った。
「なんだその反抗的な目は?」
僕は言った。
「ろ、労働基準監督署に訴えますよ」
すると工場長は僕の言葉に少しだけ沈黙した後、笑った。
「…ハハハハハハハ!どこでそんなこと覚えた?あのなぁ、17時に帰らせてくれないからっていう理由だけで労基が動くわけねぇんだよ!そんなのどこの工場も同じだ!中途半端な知識つけて反抗的な態度とってんじゃねぇ!ほら、そんな馬鹿なこと言ってねぇで、仲間を助けてやれ」
仲間を助ける。デルマン君達の助けができるのは確かに今、僕だけだ。困っている人を助ける。もしかしたらおじいちゃんも僕が人助けをしているのなら、遅れて病院へ行っても許してくれるかもしれない。僕にしかできないこと、それが何だか僕の不安を束の間埋める、何か、とても大切なことだと僕は思ったのだった。
僕はデルマン君達の生産ノルマ達成の為に手伝った。
「アリガトウゴザイマス」
片言の日本語が僕の胸に虚しく響いた。
退勤したのは本来よりも1時間半遅い18時30分。それ以降だと騒音問題で近隣から苦情が来るためだ。
僕は急いで病院へ向かった。
道中、電車の中で母さんからおじいちゃんが亡くなったとの訃報が届いた。18時45分だった。もし工場長に止められなったら、17時に退勤できていたら僕はおじいちゃんの死に目に会うことができたのだ。
僕の空っぽの胸に黒い粘性を帯びナニカが溜まり、僕を苦しめていく、そんな感じがした。
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