第8話 エシャニと失われた文字
ダミアンは、私の咎落ちを、解呪師の仲間だけで共有させて欲しいと許可を求めた。
あの犯人が私を襲った理由を明確にする必要があるからだと言った。
「あの二人は、絶対に口外しない。例え殺されようともだ。これは俺が保証する」
その言葉を聞き、私は許可を出した。私自身、マルコ君とジャンさんに信頼がある。
今回の骨折は、場所が歓楽街だったので、酔ってうっかり転んだ、という事になった。
医療記録の咎落ちの記載は、重大な守秘義務扱いなので、治療後は削除され、誰もそれを知ることはない。とのことだった。
―――何処かから咎落ちのリストが持ち出されない限りは。
襲撃した人物は、なぜ私の“咎落ち“を知っていたのだろうか―――
胸の奥に刺さったままの、不安という棘は、抜けそうに無かった。
* * *
次の日の午前。
セナのベッドは、大部屋に移動された。
大柄な女性の治癒師の方に、ベッドを押されて移動する。
大部屋は明るく、4人が滞在できる部屋だった。
しかし、病室には、窓際のベッドに子供が一人いるだけだった。
彼女は、左手を包帯で固定されている。
女の子は、おおよそ10歳前後に見えた。
ゆるくウェーブのかかった栗色の髪が肩までかかり、浅黒い肌、ブラウンの瞳の女の子だった。
「こんにちは。よろしく」
セナが子供に挨拶すると、子供のブラウンの瞳が一瞬こちらを見た。
そして―――
―――セナにあっかんべーをして、すぐにそっぽを向いた。
セナは、多少面食らっていた。
それを見ていた治癒師の方が、ため息をつく。
「……その子は難民の子でね。エシャニって言うんだ。親以外、誰も見舞いにも来ないし、さびしそうなんだよ。よかったら仲良くしてやってくれ」
なるほど、だからこの態度か。とセナは頭の片隅で思った。
今はただでさえ難民に対しての風当たりは冷たい。
こんな子供にまで世論は容赦がない。
難民というのは
国を追われ、あるいは国を失ってしまった人々のことだ。
人の社会にとって、本当は存在してはならない問題の一つだ。
話に聞いたことがある。
小さい子供が、ほとんど荷物も持てないまま、何百キロも親につれられて歩く。
お気に入りのおもちゃや、服も置いていくしかない。
一緒にいた犬や猫も連れてはこられない。
何もわからないまま、大人に手を引かれて、ただ逃げ続けるしかない。
―――そして、やっと着いた先で、難民という理由だけで差別される。
子供なら、心を閉ざしてしまっても無理はない。
だが、手を差し伸べることも、並大抵の事では出来ない。
それほどまでに深い、社会問題だった。
セナの心に、小さく無力感が過った。
大柄な治癒師さんにベッドを固定されて、彼女は笑顔で去っていった。
すると、突然、エシャニが騒ぎ出した。
「アタシ、あの女きらい!」
「……さっきの治癒師さんのこと?」
「そう!」
エシャニは鼻息を荒くしている。怒りで興奮しているらしい。
「あの女、おこるからきらい!大きな声で気持ちよく歌ってただけなのに!」
「……それはエシャニが病院で静かにしないからでは……?」
エシャニは賛同が貰えなかった事に、怒りが頂点になったらしく、むっき―――!と手をブンブン振り回し始めた。
「うっせー!ばーか!おまえもきらい!ツリ目!」
「……エシャニ、外見の罵倒は良くないよ」
「ツリ目女のまねー!!!」
エシャニは目尻を上げて有名な東方人差別のポーズをした。
セナはそれを見て混乱で固まったが、すぐに気を持ち直し、静かに、囁くようにエシャニに向き直った。
「……すごく傷ついた。最悪。」
セナは、ため息を漏らし、持ってきていた書籍に目を向けた。
「ちょっと今、話したくない。私、すごく怒ってるから」
セナはエシャニを見ずにそういった。
声は、静かで、無関心だった。
エシャニはキャッキャと笑いながらしばらくそのポーズを取っていたが、セナが静かになってやめた。
そして、ふてくされて、窓の外を眺め始めた。
「……みんなきらい」
* * *
ある時、セナがトイレから戻ってくると、エシャニが本を読んでいた。
……よくみると、セナが、さっきまで読んでいた本だった。
「エシャニ、それ私の本だよね?」
「……セナのベッドにおいてあった」
「うん。そうだね」
セナは、少し考え込み、言葉を探すように、慎重に口を開いた。
「…… ねえエシャニ、それ昨日も勝手に読んでたよね?」
「だって、みえる所においてあったよ。」
「……なるほど。エシャニ、読みたかったら、私に一言言ってくれると嬉しい」
「なんで?みえるところにあるやつは、皆で使っていいんでしょ?」
エシャニが、無垢なブラウンの瞳でこちらを見返す。
透き通った大きな瞳が、陽の光を返していた。
「……それは、あなたの家でそうだってこと?」
「うん。隣のおじさんとかはそう言ってる」
なるほど。私は他の文化圏の生活はわからないが、少しルールが違うらしい。
「そっか……ここではそんなことないよ。だから、先に私に一言言ってほしいな」
「やだ!めんどくさい!」
セナは、非常に慎重に言葉を選んでいた。
しかし、エシャニが、何かを注意されてる事を感じとり、癇癪を起こしはじめた。
「めんどくさくても、言ってほしいよ。自分の物が突然なくなると、盗まれたと思っちゃって驚くんだ」
そう言ったとき、エシャニは、一瞬だけ目が怯えたようにひきつった。
「アタシ、盗んでなんかない!!!!!!!」
エシャニの声は、非常に大きかった。殆ど叫び声だった。
「わかってるよ。エシャニは見てるだけだもの。でも、文化が違う中で、疑われないようにするのも、大事なんだよ」
「やだ!言わない!!!!」
そう言ってエシャニは癇癪を起こし、キ――――っと金切り声を上げ、頭を掻きむしった。
そしてエシャニはセナに本を投げつけて、また叫んだかと思うと、最後には息が上がり、ふてくされてベッドに力なく潜り込んでしまった。
投げつけられた本は、痛くは痛く無かった。
だが、セナの胸の辺りに染みるような痛みが走った。
セナはどうしたら伝えられるか困り果てていた。
* * *
更に次の日。
病室に戻ると、エシャニがセナの本を読んでいた。
エシャニがそれを見つけられると、一瞬気まずそうに顔を本でサッと隠した。
そして、ゆっくりと本の影から顔を出し、もじもじとしだした。
「あっ……ねえ、これ読んでも良い?」
事後報告になっているが、まあ、一歩前進だ。
「うん。もちろん、良いよ。」
そう言うと、エシャニの顔がぱっと明るくなった。
「……怒らないの?」
「怒らないよ。ちゃんと言えて偉いからね」
「……ふぅん」
エシャニは、静かに本に目を落とした。
しかし、彼女の頬は緩んでいた。
初めて、彼女は人に許可をとるということを学んだのかもしれない。
そうこうしていると、病室のドアがノックされた。
返事をする前に、病室のドアがガラッと開いた。
「よぉ。セナ。いるか?」
「お見舞いに来たわよ」
「ビョルン!アネッタ!」
やってきたのは、ビョルンとアネッタだった。
アネッタにはセナの着替えを持ってきてもらい、ビョルンはついでに来たようだった。
解析の仕事はビビアナに一時的に頼んだとのことだった。
「転んで足を折るなんて、災難だったわね」
アネッタが、セナの両足の包帯を見てため息を漏らした。
この二人には、セナが襲われたことは伝えておらず、ただ転んで骨折しただけだと思っている。
「まあ……暗くて段差がわかんなかったんだよね」
「あとどれくらいで治るんだ?」
そう言い、ビョルンもセナの包帯だらけの足に目をやる。
「治癒師はあと1週間くらいって言ってた」
「そうか。まあ、最近休めてなかったから。休暇だと思ってゆっくりしろよ」
そう言ってビョルンが、セナのベッド横の丸椅子に座り、手に持っていた袋の中身をサイドテーブルに出し始めた。
美味しそうな真っ赤なりんごたちだった。
鼻に、蜜の香りがふわりと漂う。
「りんご買ってきたからたべようぜ」
「いい香りだね。ナイフある?」
「もちろん。俺が剥いてやるよ」
そう言い、ビョルンが携帯用の果物ナイフを取り出すと、丁寧に皮を剥き始めた。
りんごはしゅるしゅると、まるで服を脱がされていくように、どんどん皮が剥けていく。
りんごは素早く中身が現れ、8等分に切られた。
剥かれた皮は、一枚のリボンの様にすべてが繋がっていた。
「ビョルンあなた……皮剥くの上手いわね?」
「だろ?」
ビョルンが、自信満々にりんごを配る。
「もしかして、これをやりたくてりんご買ってきたの?」
「いや、美味そうなりんごをたまたま見つけて、これやるなら今しかないなと思って……」
「なるほどね。一発芸をしてくれてありがとう」
セナが軽口を叩くと、ビョルンが笑いながらりんごをシャリシャリと頬張る。
それに続き、セナもふっと笑いながらりんごを頬張った。
甘い蜜の香りと味が、ふわりと口の中に広がる。
「おい、お前も食うか?」
ビョルンが振り向いて、隣のベッドの少女――エシャニに話しかけた。
「エシャニ、よければ食べる?」
セナも、ビョルンに続いて声をかける。
エシャニは緊張して静かにしてたが、セナたちがりんごを食べ始めてから、ちらちらとりんごを見ていたのを、セナは気づいていた。
「……」
エシャニはビョルンに話しかけられても、静かで、顔は無関心を印象懸命装っていたが、手がもじもじと動いていた。
それを見て、ビョルンが何か察した。
「うし、じゃあちょっと待ってろ」
そう言って、ビョルンがもう一つりんごを手に取り、器用にまたしゅるしゅると皮を剥き始めた。
そして、エシャニにうさぎの形をしたりんごをいくつか差し出しだした。
「うさぎだ!」
「へっへー。いいだろ?」
うさぎちゃんを出されたエシャニは、喜んで、思わずビョルンの方に身を乗り出す。
そして、思わず一つ手に取り、ひとくちだけりんごをシャリッと齧った。
「おいしい!」
エシャニは、思わずにっこり笑い、他のりんごにも手を伸ばす。
「おう。よかった。ここに置いておくから食っていいぞ」
ビョルンがエシャニのサイドサイドテーブルにお皿ごとりんごをおいた。
エシャニはゆっくりと、大切にそれを食べ始めた。
「ああ、そうそう。言われてた魔法陣の写し、持ってきたわよ」
アネッタはそう言いながら、カバンから一枚の紙を出した。
それは、事件現場にあった、2個分の魔法陣の写しだった。
「ありがとうアネッタ」
「でも……入院してるんだし、せっかくだし少し休んだら?」
アネッタが、呆れた顔でセナを見る。
「うーん。そうなんだけど……ほどほどに見直そうかと思って」
セナは、アネッタとビョルンに悟られないように、にこやかな表情を作った。
しかし、内心は、実際に襲われた被害者としての、焦りや恐怖があった。
何もしていないと、不安になりそうだった。
「そうか……無茶すんなよ。じゃあ、俺達は行くよ」
「そうね。行きましょうか」
ビョルンが椅子から立ち上がり、アネッタもセナに挨拶をして、部屋を立ち去った。
「じゃあな、エシャニ。セナのことよろしく」
ビョルンがエシャニに軽く手をふり、エシャニも機嫌よくそれに答えた。
アネッタも、エシャニに軽く手を振り、二人は病室から出ていった。
* * *
「あの大男、いい人だね」
しばらくすると、エシャニがセナの方を見て、こう言った。
「ああ、ビョルン?のこと」
「あたし、あの人すき」
エシャニは、皿にあるうさぎりんごを一つ手に取り、口に頬張った。
「そっか。ビョルンは面倒見がいいからね」
セナがくすくすと笑いながらエシャニを見た。
「……あの大男、かれし?」
「……どこで覚えたのそんな言葉……ちがうよ。ただの同僚」
「ふーん、そっか」
セナは苦笑し、話題を逸らそうと、手元の魔法陣の写しに目を落とす。
エシャニはセナの顔を見たが、それ以上反応は帰ってこなかった。
そしてふと、セナの手元の紙――魔法陣の写しに目が行った。
「ねぇ。これなに?」
「これ?うーん。ちょっとした宿題なんだ。難しくてね」
「……あたし、手伝ってあげる!」
そう言うとエシャニはベッドを降り、セナのベッド脇まで来て、魔法陣の写しを見た。
セナは、事件現場の魔法陣を見せていいのか?と頭をかすめたが――
(未だに誰も読めてないし、関係ないか。子供だし)
と思い直し、エシャニの行動を止めなかった。
「手伝ってくれるのは嬉しいけど、多分、わかんないと思うよ」
セナが乾いた笑いをしながら、書類をエシャニに見せた。
しかし、エシャニは――真剣に、食い入るように魔法陣の文字を見ている。
そして―――
「”⧉──⋮” みちなる…… ”⟁・∵” たましいの……」
エシャニは、文字を読み上げ始めた。
セナはその様子に、思わず息を飲んだ。
「ま、まって!エシャニ読めるの!?」
セナはあまりにも驚いて、途中で割り込む。
そのセナの驚いた表情を見て、エシャニは、自信満々に答える。
「読めるよ。ひいひいおばあちゃんに習ったんだ」
セナは、頭の中で、考えを高速で巡らせた。
(見落としていた。難民の言葉なら……探しても記録にないはずだ)
難民の国の本は、内戦で全て焚書されたと歴史書で読んだ。
彼らは国を持たない。だから、母国語で書かれた書籍がない。
口頭で引き継いだ言葉しかないのだ。
その亡国で書かれた、失われた文字だった。
「その、ひいひいおばあちゃんって、今も生きていらっしゃるんだよね?」
「うん!お家にいるよ!」
エシャニの言う”お家”とは、おそらく”難民キャンプ”の事だろう。
ひいひいおばあちゃんが、失われた文字が分かる最後の世代の可能性がある。
「その、ひいひいおばあちゃんに会いたいんだけど、会えるかな?」
「うーん……族長さんにお願いしないとだめかも」
「なるほど……怖い人かな?」
「どうだろ……でも、外の人のことはあんまり好きじゃないみたい」
「そっか…」
セナは、失われた文字を求めて、難民キャンプに出向くことになった。
セナはふと窓の外を見ると、どんよりと厚い雲が広がっていた。
……それを見て、今の自分の気持ちと妙に重なった。
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