番外編 咎落ちも踊る夜

 ※このエピソードには、倒錯的な文化描写および軽度の身体接触に関する描写が含まれます。

 ※性的行為の直接描写はありません。

 ※作品世界の設定上必要な表現であり、過度な刺激を目的としたものではありません。



 外は、日がとっぷりと落ちていた。

 少し開いた窓から、冷たい北風が流れ込んでくる。

 通りには街頭が灯り、これから酒を飲みに行こうとしている、おそらく同僚たちの団体が見える。



 解呪師の詰め所には、マルコ、ジャン、ダミアンが待機していた。

 ダミアンは仕事をしていたが、マルコとジャンは仕事をしながら雑談をしているところだった。


 ジャン「このプロテイン良いぞ。純度高ぇから」

 マルコ「ジャンさん、体重いくつでしたっけ?」

 ジャン「98キロちょいぐらいだな」

 マルコ「うわ、すっご。俺そこまで行ける気しない」

 ジャン「もっと筋トレしてプロテイン飲めよ。基礎が足りてねぇんだよお前は」

 ダミアン「……」



 ダミアンがため息を付きながら書類を見ていると、突然、彼の胸の識別タグの通声石が淡く光り、連絡が入ってきた事が解った。

 服の上から、静かに識別タグに触れ、通話を受信する。


 ダミアン「どうした?」


 それを見て、ジャンとマルコはピタリと静かになり、ダミアンを見た。

 ダミアン「……そうか、わかった。すぐ向かう。見つけても、それに触らないよう伝えろ」


 ダミアンが短い言葉で通話を終了し、マルコとジャンに向き直る。


 ダミアン「呪詛と思われる魔工具があるかもしれない。とのことだ」

 ジャン「場所は?」

 ダミアン「場所は、解放特区だ。」

 マルコ「え!?解放特区?」



 マルコが、目を見開き、驚くような声を出す。


『解放特区』の名前だけは有名だ。音楽、アート、性的倒錯……アンダーグラウンドの聖地である。

 中では『人を傷つけない事と、ルールに従えば、なんでもアリ』なのだという。


 男なら、一度は入ってみたい場所の一つだ。


 ただし、入口でバウンサーと呼ばれる門番と対面して、入場許可を得る必要がある。

 かなり人を選んで入場させてるらしく、観光目的はNGだ。

 マルコは以前、友達と入ろうとしたが,バウンサーに拒否されて入れなかった。苦い思い出があった。



 ダミアン「マルコ、解放特区に入ったことは?」

 マルコ「うぇ!?……いえ…ないですね……」


 マルコが一瞬、目を泳がせたが、職務に係るので素直に白状した。

 ジャンがそれを見て一瞬ニヤリとしたが、マルコは目線を合わせなかった。


 ダミアン「……ジャン、今回は経験のためにマルコを連れていく。」

 ジャン「おう。俺は留守番だな。マルコ、大人の階段登ってこいよ!」

 マルコ「……」


 ジャンが、ニヤつきながらマルコの背中をバシッと叩く。

 マルコはそれが不服だったようで、横目でジャンを睨んだ。


 そしてダミアンとマルコは立ち上がり、解放特区へ向かう準備を始めた。



 * * *


 夜も深くなってきたというのに、解放特区の区画は、ネオンで空に淡い光を反射していた。

 落書きだらけの、背の高い黒い鉄と石の塀が、巨大な解放特区の区画全体を囲んでいる。

 まるで刑務所のような風貌だが、中の客のプライバシーを守るために、このような塀になっているのだという。


 表門の入口の前は、黒い服を来た客たちが、中に入ろうと、長い行列を作っていた。

 様々な人種、化粧、性別、人数の人間たちが並び、門番の前に立つと、顎で入れと言われたり、入場を拒否されてたりしている。

 外から見ていても、何が基準で選ばれているのか全くわからなかった。


 マルコがよそ見をしている間に、ダミアンが、入口付近のスタッフにズカズカと歩み寄っていく。


 ダミアン「呪詛と思われる魔工具があるかもしれないと連絡を受け、調べに来た。」

 スタッフ「解呪師の方ですか?お待ちしてました。こちらからお入りください。」


 関係者の男性が、裏口に二人を案内する。

 その塀に埋め込まれている、黒い金庫のような鉄製の扉のドアを開けてくれた。


 重苦しく扉がゆっくりと開く。

 マルコは、緊張で口を真横に閉じていた。


(ついにあの伝説の場所に入れる……俺も大人の仲間入り……?)

(どうなってんだろ。中……やっぱ光とかヤバいのかな……匂いとかあるのかな……)


 中庭に入ると、休憩のためのベンチや芝生、公園のようなものがあった。




 そこのベンチに、なにか肌色の塊のようなものがある……


「!?」


 ―――よくみると、半裸の人間が、積み重なって横たわっている。


(な、なんだ!?これどういう状況なんだ!?)


 視界の端だか、本当に寝ているだけのように見えた。


(あ……寝てる…だけっぽいな?…集まって寝るとか猫かよ……!?)




 マルコは、動揺しながら、寝ている人たちの眼の前に差し掛かった。

 しかし―――しっかりと確認する勇気も持てず、通り過ぎて行った。



 あれはなんだったのか……そんな不安をよそに、ダミアンが建物の中に突き進んでゆく。

 マルコはそれを追いかけて行った。



 赤と青い照明とスモークに滲んだ空間を抜けると、心臓に触接届くような重低音と音楽に混じって、煙と熱気の層がマルコを包んだ。



 * * *



 建物の中は、半裸の人々が通路を埋めていた。


 人々は、普通の格好から倒錯的な格好まで様々だった。

 もはやその服の面積に意味があるのか?という人や、おおよそ全裸に近いのでは。という人も大勢いる。


 また、逆に全身をラテックスのようなテラテラと反射する生地のスーツで身を包んでいる人もいる。

 暑くないのか…?と思ったが、マルコは考えるのをやめた。


 煙、酒、魔工具、怪しい匂い、人の汗と熱気……。


 そして、咎落ちの刻印を持つ者たちすら、それを隠さず音楽に合わせて踊っている。

 欲望を隠すことすら無粋である。という空気だった。


 バウンサーが認めれば、どんな人でも受け入れられる……

 ここは、解放特区と呼ばれているが、社会から外れた存在が、唯一息ができる空間だった。

 外観とは違い、とても安全な場所なとは聞いていたが、どうやら本当らしい。



「主任、ここ……マジで現場なんですか…?」

「ああ、客が数人、精神感応系の呪詛の兆候があったとの事だ。場所を特定しなくては」

「……呪詛の気配、どこから湧いてます?俺、いろんな匂いが混ざりすぎてちょっと分からないっす」

「……そうだな……少し歩き回るしか無いな」


 ダミアンがそう言い、音楽が鳴り響く薄暗いホールの奥に、足を踏み出す。

 マルコもそれに続こうとしたその時―――



 ―――ふいに、マルコの腕が掴まれた。


 女性客「君、かっこいいね!めっちゃ筋肉あるじゃん!その制服、解呪師でしょ?ヤバ〜〜〜エリートじゃん!」

 女性客「貴方、顔かわいい~!今日はプライベート?」


 若い女性二人がマルコの腕を掴んできた。25-30前後くらいだろうか。

 妖艶な化粧で、暗闇でも目立つ、真っ赤なリップを塗っている。


 二人の格好は、メッシュのレオタードとタンクトップに身を包んでいた―――

 ―――その下はほとんど肌だった。おおよそ、服を着ている意味は無いように見えた。


 体には、全体に刺青が彫られており、素晴らしい芸術が体中を覆っていた。

 その体に、キラリと光るボディピアスがいくつも付けられていて、暗闇で妖しく煌めいている。


(……変なとこ見たら、マジで追い出されるな……気をつけないと)

 それは性的な誘いではなく、彼女たちにとっては“自然”な姿だった。



 この空間内では、相手がどんな格好であろうが、人の体をジロジロ見ることはご法度だ。

 相手に恐怖を与えれば、周囲が助けに入るか、バウンサーに排除される。


『視線の暴力』は明確に禁止されている。

 彼女らは誘われたいからそういう格好をしているのではなく、『この格好がしたいから、自然だから』しているのだ。


 この空間で、セクシャリティの表明は、個人の自由な権利であり、数千人単位でいる客達は皆、それを守っていた。



 マルコ「す、すみません。仕事で来てるので……」


 マルコは目線を体に向けないように、女性の手を振り払おうと、体をよじる。

 二人からは、酒と妖しい煙の匂いがした。酔っ払っているらしい。


 しかし、それとは裏腹に、女性の手がベタッと肩に触れてきた。


 マルコ「え、えっと、あの、任務中でして……ちょ……!?」


 半裸の女性の手が、勝手にマルコの肩をさすり始め、背筋がゾワッとあわだった。



(……いやいやいやいや、それセクハラだから!

 男だからって、全然触っていいとかじゃないから!!

 あの、手、ちょっと、そこはホントにやめて……!!)



 マルコ「いえ、あの、任務中でして!……わーもうダメだこれ主任助けて……!!!」

 マルコは笑ってるようで、目が引きつっている。


 自分でもびっくりするくらいの怒りと困惑で、声が上ずっていた。

 引きつった声が女性たちに向けられたが、彼女たちはそれに気づいていないようだった。


 しかし、周りの男性が、マルコの声を聞き、こちらの様子を伺っている。


 女性客「やだ〜かわいいのに真面目〜!残念だけど、じゃあね~!」


 女性たちが諦めて手を離し、マルコにウインクをして人混みの中に去っていった。


 マルコは、やっと離れてくれた女性たちに心底ホッとした。

 触られた部分のぞわぞわとした感覚を消すように、肌をさする。


(本当にまいった……あれ?主任どこいった!?)


 そしてあたりを見回し、消えた上司を探した。


 * * *


 少し先、ダミアンは無表情で人混みの中を進んでいた。


 だが、横から回り込んだ男に肩をつかまれ、思わず一瞬顔を見る。

 背の高い、整った顔の若い男性が、汗ばんだ顔でこちらに微笑んでいた。



 男性客「君、マジでタイプ。ツリ目に長い黒髪、細身な体とか、完璧すぎ……ねえ、名前は?」

 ダミアン「任務中だ。どけ、邪魔だ」

 男性客「筋肉もすごいし、声も低くて綺麗で……」


 男性客がダミアンの肩から背中を、すっと触れる。

 ダミアンの肩がビクリと揺れた。声を出そうとしたが、出ない。

 ほんの数秒、ダミアンの動きが止まる。



 男性客「ねえ、君さ、絶対に自覚ないでしょ……?見惚れたよ、ほんと……」

 ダミアン「……やめろ、俺に触るな……不快だ」


 ようやく出た声は、低く、押し殺した声だった。

 ダミアンは男を手でふりはらう。ようやくダミアンの体から男の手が離れた。


 男性客「ねえ、連絡先だけでも――」

 男性はさらに接近してくる。


 ダミアン「どけ、次は殴るぞ……」


 ダミアンが腕で相手を押しのけた。男性客は、両手をあげ『まいった』という顔をする。


 そしてダミアンは不機嫌なまま、人混みの中を突っ切って行った。



 マルコは物陰から、そのダミアンの一部始終を見ていた。

「……主任が恐怖で固まってるの初めて見た…………」


 マルコは内心、俺ひとりじゃ、この現場無理かも。と一瞬頭を悩ませた。


 * * *


 マルコ(……ちゃんと音楽楽しんでるフロアもあったのにな……仕事だから仕方ないけど……)


 マルコとダミアン音楽が鳴り響くフロアや廊下を歩いていると、大きめのトイレの区画を見つけた。


 マルコ「……トイレも一応確認しますか?」

 ダミアン「……そうだな」


 ダミアンとマルコがトイレの区画に入った。


 トイレは広く数があり、男女共用だった。

 大量のトイレの個室が並び、秒単位で人が入れ代わり立ち代わりしている。


 また、いくつかのトイレの個室では、数人の足が見える。

 ……何をしているのか、考えたくもない。


 ざっと区画内を確認するために、マルコとダミアンが二手に分かれて歩き出す。


 調査中マルコがふと、視線を感じ、あるトイレに目をやる。

 トイレの奥の個室で、視界の隅に、カップを持った紳士的な白髪の初老男性が、足を組んで優雅に便座に座っていた。


 男性とマルコと目が合うと、ニッコリとこちらを見て、胸の高さに紙カップをあげている。


「!?」

(……あれって……何の儀式……?)


 その光景に理解が追いつかず、思わず目を背けた。

 マルコは、自分の見たものが、幻であってほしいと思い、もう一度、薄目で確認した。


 しかし、紳士的な白髪の男性はまだしっかりカップを持ちそこにいた。マルコの方をニッコリと見ている。


(……やめてくれ、今だけはこっち見ないでくれ……)


 そして初老の男性は、なにか口を動かして、礼儀正しくお辞儀をしてきた。


(え? 何? 今の、“精霊に感謝”って言った? ……ええ~~~~~~!?)


 マルコは混乱した頭で、必死に考えた。

 俺が解呪師だから、きっと仕事を応援してくれてはいるのだろう。


 もしかしたら、敬虔な信者なのかもしれない。

 というか……同業の医療関係者の可能性すらある……考えたくはないが……



 マルコが、頭の中で悶々としていると、曲がり角で、ダミアンと合流した。


 ダミアン「全体を確認した。……客は行動に“逸脱”はあるが、ここでは呪詛の兆候は見えなかった」

 マルコ「主任……ここ、逸脱って言葉で片付けていいやつですか?」

 ダミアン「呪詛じゃないからな」


 * * *


 マルコがダミアンが、さらに建物の奥へと進む。

 暗い空間に、赤と青のライト、スモークが充満し、視界は不明瞭だった。


 ダミアンが、一瞬だけ眉を寄せて、暗い通路の奥へ目線を向ける

「……あっちの方角に、呪詛の気配があるな」

「!本当だ。スタッフさんに連絡します」


 マルコが、自身の識別タグの通声石で、連絡をとる。この先で合流することになった。



 二人が廊下を歩いていると、急に右側のドアがバン!と開いた。

 そこから、20代前後の男性二人が、足がもつれながら飛び出して来る。

 手にはビール瓶が握られていた。だいぶ酔っているようだ。


 マルコとダミアンが驚いて一瞬足を止める。男性二人と目が合った。

 そして、男性が興奮を隠しきれないように、マルコに話しかけてきた。

 図々しく、マルコの肩に手を回し、大きな声で喋り始める。



 男性客「なあ!この部屋見たか?ここはヤベーよ!風呂があるんだ!お前も来いよ!」

 マルコ「うわっ!ちょ!ちょっと……!!主任!」


 男性客二人に腕を捕まれ、マルコはそのまま部屋に引き込まれてしまった―――




 ―――引き込まれた部屋は、ピンク色と青のライトで満たされていた。

 部屋の真ん中には、確かにおおきなジャグジー風呂があった。


 その周りでは、20人程度が音楽に合わせて踊ったり、酒を飲んだりしている。



 風呂の中では、6-8人くらいの男女が水着、または腰にタオルを巻いた状態で風呂に入っている。咎落ちの人物も数人いるが、誰も気にしていない。


 男性陣が女性の肉体を見ないように、しかし、ときおり気になるのか、ちらりと見ているのが見て取れた。


 可哀想に。彼は20前半でこんな経験をしたら、もう普通では満足しないだろう。



 ジャグジーの湯は魔力を少し感じるが、不浄を洗い流す、という感じではなかった。

 何が入ってるのかは考えたくもない。



 ―――しかし、不思議な事がある。

 この空間、異常なのに、誰もそんなそぶりは全く見せていなかった。


 マルコが部屋の中に入り、呆然と入口に立っていると、ダミアンが後ろから声をかけてきた。


 ダミアン「何をしている。……ほう。微量の呪詛か?人体に問題はないようだが」

 マルコ「?なんでこんな場所に呪詛の気配あるんすか……?」

 ダミアン「ここで呪詛が集まるのは当然だ。水は魔力を溜めやすいし、人の欲望が渦巻いてる……」



 そして、ダミアンが辺りを静かに見渡す。

 ダミアンが、ちらりと風呂に使っている数人の咎落ちの体の刻印を見た。


 ダミアン「咎落ちがこれだけ居れば、ほんの少しだが、磁場が狂う」


 そこに風呂に入っていた咎落ちの女性が、マルコとダミアンを見て声をかけてきた。


 女性「あら、解呪師さん。お仕事?」

 マルコ「え?ああ、まあ、そんなところです。」


 マルコは、女性の体の咎の刻印を見て、無意識に思わず視線逸らす。

 が、それを見て、女性は話を続けた。



 女性「ちょっと、解呪師さん。ここでは差別はやめてくれる?傷つくわ」

 マルコ「あ、すみません。そんなつもりじゃ……」


 女性「ここじゃ、名前も聞かれないし、何してたかも誰も興味ない。

 ……”咎落ち”には良い場所なのよ。いちおうね」



 同じく風呂に入っていた、別な咎落ちの女性が、話に入ってきた。

 脇腹のあたりに、咎の刻印がある。


「そうそう。ここにいたほうが安全。だれも社会的差別をしないし、嫌だったら誰か絶対に助けてくれる。絶対に。

 外のほうが誰も助けてくれない。咎落ちだから。」


 咎落ちの女性「ねえ、ここが狂ってるなら、きっと——世界のほうが、もっと狂ってるんだよ」



 マルコは何も言わないまま、部屋を出て、扉を締めた。

 最後に言っていた「ここが狂ってるなら、世界のほうが狂ってる」という言葉が、頭を離れなかった。


 ダミアンがマルコの表情を見て、独り言の様に呟いた。

 ダミアン「正しい場所ほど、人間が狂うこともある……ここでは圧力がない。それだけで、救われる人もいる。」



 * * *


 スタッフと無事に合流し、案内をしてもらう。

 マルコが歩く度に、呪詛の気配が少しずつだが、濃くなってゆくのが解った。



「あれ?なんか、アンモニア臭くないですか?」

 途中。マルコが、廊下の奥から、ツンとした臭いを感じた。


 トイレは先程あったが、あそこは常に掃除されていた。この辺に別のトイレがあるのか?


 それを聞き、案内役のスタッフの人が答える。


 スタッフ「ああ……それは、シークレットルームの方です」

 マルコ「シークレットルーム?」


 マルコは聞き返してハッとした。嫌な予感しかしない……聞きたくない……。


 スタッフ「……ああ、まあ、そういった趣味の合う方々が集まる部屋で―――」

 マルコ「もう言わなくて大丈夫です!!」


 マルコは心底聞かなければよかったと後悔した。


(俺もまあ、大人だし、変なもん見たことないわけじゃない……けど……これは……)


 スタッフ「ハハ……お若い解呪師さんにはまだ早かったですかね」

 ダミアン「……世の中には、色んな人がいる」


 スタッフさんは、すみません。と申し訳なさそうに笑った。

 ダミアンは嫌悪を表す訳では無いが、理解が難しい。という顔をしていた。


 マルコはそんな二人の顔を見て、まだそちらの領域にはたどり着けない。と内心考えていた。


 * * *


 相変わらずの暗く広い通路。コンクリートの壁と鉄の網で構成されている。

 部屋の向こうにはうっすら光る赤黒いライトと、スモークが立ち込めていた。


 通路にはいくつも壁に埋め込まれたボックス方の広めのソファが並んでいた。


 奥の方のいくつかのソファで、人の影が交差しているのが、ぼんやりと視界の端に見える。


 マルコが廊下を通り過ぎようとした時に、視界の端に影が動いた。


(いやいやいやいや、仕事中に見る絵面じゃねぇだろコレ!)

 ……見なかったことにした。


 マルコが不自然にドギマギしていると、ダミアンがピタリと立ち止まる。


 ダミアン「気づいたか?呪詛の流れ、変化したな。この辺りにある。」

 マルコ「えっ……あ、本当だ……」

 ダミアン「……集中しろ。そんなに他人が気になるのか?」

 マルコ「いやっ!!ちょっと!直接言わないでくださいよ!!こんなんじゃ集中するほうが難しいですよ……」

 ダミアン「……マルコ、顔が赤いぞ」

 マルコ「主任のせいです!!」


 マルコが顔を赤らめながら、渋々、呪詛感知用の間工具を腰の鞄の奥から引っ張りだした。

 スイッチを入れると、呪詛発生源の正確な方向がわかる。


 マルコ「えーと…ここか?…あ!見つけました!」


 部屋の端に、目立たないように塗装された、手のひらサイズの黒い箱がおいてあった。

 ここから魔力を感じる。


 ダミアンが魔防の手袋を身に着け、その小さな箱を手の上に乗せた。


 ダミアン「これか。なるほど。弱いが呪詛だな」

 マルコ「精神感応系ですね。」


 スタッフ「精神感応……?」


 ダミアン「精神に干渉して、感情を増幅する魔法だ。そうだな、この場所で言うと、媚薬的な効果がある」

 ダミアン「だれかが悪戯で仕組んだんだろうが、呪詛には違いない。」


 マルコ「これ、設置されてあまり時間がたってないみたいっすよ。よかったです。」


 スタッフ「な、なるほど、よかったです。この建物内には入口しか監視レンズはないので、助かります」

 マルコ「被害があまり出てないようでよかった。」


 * * *


 呪詛の魔工具を回収し、二人は解放特区の重厚なドアから出た

 ずっと音楽とスモークがただよう空間にいたので、冷たい夜の空気が清々しい。



 マルコ「ここ、目的が“快楽”じゃなくて、“逃避”なんですね……」


 精霊の加護があるのに、性も排泄も、咎落ちも共存してる異常空間。

 しかし、救いは間違いなくあった。

 それが、解放特区と呼ばれる所以なのだろう。


 マルコ「……ところで主任、俺、明日からもうちょっと普通な現場希望してもいいっすか……?」


 光り輝くネオンの間に通る夜風が、頬を撫でた。



 * * *



 ――翌日・解呪師の詰め所


 ジャン「で、マルコ~。どうだった、初・解放特区」


 ジャンが、笑いを堪えきれない顔でマルコに話かける。

 マルコは、コーヒーを啜って、目を伏せている。


 マルコ「……いや、その、あれは……」

 ジャン「何だよ、濁すなよ~。 やっぱ初心者にはヤバかったか?」


 ジャンは、顔からニヤニヤが止まらない。

 大人の階段を登った後輩を茶化したくて仕方がないのだ。

 そんなジャンを見て、マルコが静かに呟いた。


 マルコ「主任が……ナンパされてました……」

 ジャン「えっ!?マジ!?主任が!?……って、えっ、それ見たの?お前、見たの!?」

 マルコ「……見ちゃった……あと……」

 ジャン「ん?」

 マルコ「トイレの……カップ持った人が……ニコッて……」

 ジャン「は?何言ってんだお前?呪詛の影響で、変なもん見たんじゃねぇよな?」

 マルコ「俺もそう思いたい……」

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