合否前夜

押田桧凪

第1話

 また、間違えた。答え合わせする手をとめて、国語の先生だったおじいちゃんの顔を思い出す。「いい加減に覚えなさい。漢字ができんやつに先生はつとまらん」と書き順、とめはねはらいを指摘されるたびに嫌気が差した。二分の一成人式で先生になりたいと発表してから、おじいちゃんが家族に大きな期待を背負わせたせいか、わたしは中学受験をすることになった。勉強はとくべつ好きなわけではなかった。


 二月七日。第一志望校である私立の試験日、残す科目は「作文試験」のみとなった。はじめ、という声と同時に問題用紙を裏返すとそこには『ぺんぎんとは何か説明しなさい』という一文があった。文字を何度追ってもわたしは理解ができず、思わず声が出そうになる。過去問を分析すると、近年の傾向としては『教室のゴミ箱を倒した友達を見かけた時、あなたはどのような声をかけますか』『いじめの現場を目撃した時、あなたはどのような行動を取りますか』といった模範的な生徒たりうるかを問う問題だったのに、よりによってなぜ……。今年は、ついてない。そう思った。


 何かヒントは無いかと、助けを求めるように受験会場であるわたしの居る教室に視線をさまよわせる。黒板には『 (月) (日)』のマグネットのところに「如月(月)」と書いてあって、ああ、このクラスの担任は国語の先生なのかなと予想する。和風月名。今では使われない言い方、言葉。そして、わたしは「ぺんぎん」を図鑑でしか知らなかった。ぺんぎん、ペンギン、企鹅、penguin、pingüino……。


 ふっくらとしたお腹をもつ水上(?)で暮らす生物。寒い地域に棲息していて、それは「季語」ではない。季節をもたない鳥。たしか、絶滅したのも海面上昇や気候変動による影響だったと聞いたことがある。だけどあいにく、わたしは本質的にぺんぎんについて知っていることはほとんど無く、鉛筆を一向に動かせずにいた。『もし、ここにぺんぎんがいたら、』。迷った末に、この書き出しでわたしは書くことにした。もうわたしに残す道はほかに無かった。仮定法で始める作文は小学生らしさがあっていいでしょ? なんていう採点者受けを狙っているわけではなかったし、そんなことを考える余裕もなかった。


『もし、ここにぺんぎんがいたら、わたしは大いに助かると思う。なぜなら、わたしは今、入試という状況において困難に直面しているからだ。ぺんぎんを見ることさえできたら、そこから知識を得て、ぺんぎんについて知れば、説明できる。わたしはそう確信している。』


 ここまで書いて、途端にわたしは不安になってきた。「知ることは説明できることとイコールじゃねえよ!」とかつての塾の先生の怖い顔が脳裏をかすめる。一文字下げて、新しい段落に入る。


『ぺんぎんは絶滅した、とわたしは聞いた。たしかに観察にも限界があって、なぜ絶滅したのかまでは調査できないかもしれない。ぺんぎんは季語でもない、ともわたしは聞いた。では、ぺんぎんがいた頃の当時の人たちはぺんぎんをどのように扱っていたのかについて、わたしは興味がわいてきた。ぺんぎんは日本にはそもそもいなくて、例えば本当にとても寒いところでしか暮らせないのならどこかから連れてくるしかなくて、そうすると逆に年中見ることができる生物になる。水族館と動物園、どちらに行けばぺんぎんを見ることができるのか。何を食べるのか。どんな鳴き声なのか。あるいは人間の言葉を理解することができるかもしれないし、独自の周波数で仲間どうしにしか分からない声を発していて、高度なやり取りをしているのかもしれない。何時間寝て、何時間活動して、どんな歩き方なのか。わたしはぺんぎんについて知りたい、と願う。それはおそらく、この試験はぺんぎんについて説明できれば合格になる条件でわたしは他の受験生と競っているからで、もしそうでなかったなら、その機会が与えられなかったなら、わたしは一生ぺんぎんに興味を持つことのない人生だったかもしれないと思うと、とてもわがままな願いであるということもわたしは知っている。そうした態度が、人間がぺんぎんを絶滅に追いやってしまったのかもしれない。わたしはぺんぎんについて知らないことが多い。救うことができた過去がないのは事実だけれど、先生になりたいと決めたのも、おじいちゃんの言う通りに従っているのも、今試験を受けているのも、ぺんぎんを説明することにつながっていると思う。いなかったことにするのだけは嫌だから、わたしはぺんぎんについて書いているのかもしれない。いや、そうしたい。点数が欲しくて説明する人生だったと言いたくない。わたしは、ぺんぎんについて知りたい。』


 また、間違えた。話が逸れていくのが、書いていて分かった。でも、止められなかった。止めたくなくて、最後まで書き終えると終了の合図が聞こえた。間違えていたとしてもこれで良いんだとわたしは思った。 

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