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2024年4月21日 16:02
ライトノベルは(私は読んだことがありませんが)読本とか黄表紙とか講談本とかの系譜でしょうから文芸批評の対象とはされてこなかったと想像しますが、セカイ系が2000年代の想像力、なろう系が2010年代の想像力と考えることも可能でしょうか。娯楽小説の枠組みの中でも先鋭的な取り組みをする作家も出てきたというところでしょうか。
作者からの返信
ありがとうございます!丁寧に読んで頂けて、大変、嬉しいです。そうですね。娯楽小説の枠組みの中でも先鋭的な取り組みが可能であり、出てきている、と考えています。ただ、まさにご指摘の通りで、ラノベは黄表紙本や講談本のようなものという位置づけでもあります。そして、そのことにとても大切な価値があると思ってもいます(それは純文学と呼ばれているものとは違う価値なのではないかと思っています)。その意味で、先鋭的な取り組みを正当に評価しようと思ったら、従来の文芸批評とはちょっと違う読み方が必要になるのだろうと思っていまして。まさに、このことが、本論を書いた動機なのです。
ライトノベルは(私は読んだことがありませんが)読本とか黄表紙とか講談本とかの系譜でしょうから文芸批評の対象とはされてこなかったと想像しますが、セカイ系が2000年代の想像力、なろう系が2010年代の想像力と考えることも可能でしょうか。娯楽小説の枠組みの中でも先鋭的な取り組みをする作家も出てきたというところでしょうか。
作者からの返信
ありがとうございます!丁寧に読んで頂けて、大変、嬉しいです。
そうですね。娯楽小説の枠組みの中でも先鋭的な取り組みが可能であり、出てきている、と考えています。
ただ、まさにご指摘の通りで、ラノベは黄表紙本や講談本のようなものという位置づけでもあります。そして、そのことにとても大切な価値があると思ってもいます(それは純文学と呼ばれているものとは違う価値なのではないかと思っています)。
その意味で、先鋭的な取り組みを正当に評価しようと思ったら、従来の文芸批評とはちょっと違う読み方が必要になるのだろうと思っていまして。
まさに、このことが、本論を書いた動機なのです。