2.「柔らかい」と「硬い」(1)

 ライトノベルの文章で「柔らかい」、「硬い」と言われることがあります。そして、相対的に文章が「硬い」と批判されることが多いように思われます。「硬い」と「読みにくい」、「わかりにくい」といったように。

 果たしてそれは本当なのでしょうか。この批判は、「一般文芸」では書きたいことを表現する際に硬くするか柔らかくするかという選択の幅があるが、ライトノベルは柔らかくなければならない、というように響きます。

 おそらく、ここでいう「柔らかい」ということはライトノベルにとってはとても重要なことなのかもしれません。それは、商業的にもそうですが、表現上の意義にも関わってくるのではないでしょうか。


 一旦、「一般文芸」と呼ばれるジャンルについてライトノベルと比較してみたいと思います。近年の作家でも平野啓一郎『日蝕』はライトノベルでも扱われる単語が混じっているにも関わらず「硬い」かもしれません。例えば、以下のような段落があります。



 ※※※※※(以下、引用)※※※※※


 古代の異教哲学に対して、私は甚だ関心を有していた。不遜(ふそん)を懼(おそ)れずに云うならば、それは、十三世紀に聖トマスの抱いていたであろう或る種の切迫した危機感と同様の意識に由来するものであった。それは云わば憂慮であった。聖トマスがアリストテレスの哲学を我々の神学を以て克服したように、私は再度(ふたた)び興(おこ)ったこれらの異教哲学を、主の御名の下に秩序付ける必要を痛切に感じていたのである。私の不安は、啻(ただ)にプラトン及びそれに続く亜歴撒的里亜(アレキサンドリア)学派の受容の問題にのみ帰せられるべきではなかった。迫劫(はくきょう)する巨大な海嘯(かいしょう)は、前述のヘルメス・トリスメギストスの著作は云うに及ばず、その他の有相無相(うぞうむぞう)の魔術や哲学をも呑食(どんしょく)して、将(まさ)に我々の許へと到らむとしていた。私が虞(おそ)れていたのは、その無秩序な氾濫(はんらん)である。河を上り来(き)たる水は、煌(きらめ)く魚鱗(ぎょりん)を伴って、慥かに我々に多くの潤(うるお)いを与えるかも知れない。しかし、一度(ひとたび)地に溢(あふ)れ出せば、必ずやそれは数多(あまた)の麦を腐敗せしめる筈(はず)である。異教徒達の思想も亦(また)、これに違(たが)う所が無い。我々はその氾濫の為に、信仰が危機に瀕(ひん)するを防がねばならなかった。その洪水が、我々の秩序を呑(の)み尽くし底に鎮(しず)めむとするを防がねばならなかった。径(ただ)ちに、迅速に。そしてそれが故に、私が為には、神学と哲学との総合と云う、既にして古色を帯びつつあった嘗(かつ)ての理想は、本復して再度その意義を新あらたにし、加之(しかのみならず)、それを実現することこそが、この現世で与えられた己の唯一つの使命であるとさえも信ぜられていたのである。
(平野啓一郎, 1998, 『日蝕』, 新潮社 ※振り仮名は括弧にて表記)

 ※※※※※(引用終わり)※※※※※


 ライトノベルと比較すれば、難読語が入っていますし、段落内の文も非常に多いといえます。この小説は1482年を舞台としているため、舞台設定から判断するだけでは擬古文調の言い回しにする必然性もありません。

 その一方で、アニメやゲーム的な想像力と同じ方向を向いているものだ、と評した論者や、更に一歩進めて同じような想像力を持ちつつも、該博な知識と取材によって良質な文学になっていったと評した論者もいました。

 引用した段落に出てくる「ヘルメス・トリスメギストス」は、確かにライトノベルにも現れる人物名です。ただ、全編通してこのような書き方をしている作品をライトノベルと認める人は少数であると思われます。


 そこで、この文に書いてあることをライトノベルのように「柔らかく」することを試みてみたいと思います。

 ある登場人物が別の人物に自己弁護している場面、「『ヘルメス選書』をキリスト教神学をもとにアレゴリー的に読み替えると何かあまり良くない問題が起こる」という設定も加えてみます。例えば、背景として、読み替えたせいで重要な何かが失われてしまって、救われる人が救われなくなってしまう、といった設定でリライトしてみたいと思います。


 ※※※※※(以下、改変1)※※※※※

 私は、古代の異教哲学が無秩序に世間に広がってしまうことが怖かったのだ。

 もしかしたら、お前は単に昔の哲学者たちの著作が読まれるということにすぎないと思うかもしれない。

 いや、あるいは、お前なら、その中には私たちの暮らしを豊かにする知識も含まれると言うかもしれない。確かにそういう面もあるだろう。

 だが、それだけにとどまらないのだ。これらの知識は、一冊でも受容されることを許せば大量に似たような本が出てくる。そうして大洪水のように私たちの社会に流布してしまう。

 その考え方の中には、キリスト教が連綿と作り上げてきた人々を守るための社会秩序を壊してしまうものもあるのだ。秩序の破壊のせいで、社会に致命的な腐敗を生むかもしれない。そのせいで苦しむ人が出てくるかもしれない。

 だから、私はこの哲学が社会秩序を揺るがしてしまわないように、神学の観点からこの『ヘルメス選集』を位置付け直す必要があったのだ。

 ━━聖トマスもアリストテレス哲学について同じようなことをしているではないか。

 古代の異教哲学の整理は神から与えられた唯一の使命だと信じている

 ※※※※※(改変1、終わり)※※※※※


 私はライトノベルの書き手ではないので、こなれていないかと思います。しかし、原文を踏まえて

・自分の動機の説明

・告白を受けた人が考えそうなことの予期

・自分の予期する内容

・自分の正当性の主張

 を書き直し、平易な単語に置き換え、短い文章に省略できると言えそうです。


 原文にあった危機感のようなものは残せたものの、どこか大幅に情緒が失われたように思われます。ただ、ライトノベルには「柔らかい」文章にするための手法がいくつもあり、今回採用した言葉の言い換えや省略という手法が向いていなかった可能性もあります。別の技法でも確認する必要があるかもしれません。


【参考文献】

平野啓一郎, 1998, 『日蝕』, 新潮社

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