その三十二 マチルドの動向

「マリー。デハンジェ様に何かされていないか?」

「されて大変だったわ。王城の廊下で衛兵に話しかけられたんだけどね、それを見たマチルド様がさぼっていると言い出したのよ」


 私の部屋でお茶を飲んでいたウィルは、身を乗り出して心配そうにこちらを見てくる。


「それ、大丈夫だったのか?」

「うん。実はその衛兵、私と同じくらいの年齢なのに当主だったの。マチルド様がさんざん偉そうに接してから当主だって判明したのよ。彼女、バツが悪そうに帰っていったわ」


 衛兵がアルノー様だとは言わない。

 アルノー様にプロポーズされたことも言わない。


 もうウィルに誤解されて気を揉むのは嫌だから。

 彼を嫉妬させると私の心が持たない。


「これで終わればいいんだが……」

「ふう。またヒールで威嚇されたから、まだ終わらないと思うわ」


 心配させまいと、両方の手の平を上に向けて大げさにため息をつくと、ウィルが楽しそうに歯を見せた。

 整った顔立ちにサラサラと輝く金の髪と白い歯がまぶしい。


(……本当に美しい人。この笑顔が私だけに向けられているなんて贅沢すぎる)


 笑っていた彼は、何かを思い出したようで表情を引き締めた。

 真剣な彼もカッコよくて思わず見惚れる。


「デハンジェ様の怪しい動きが報告されている。彼女と揉めているマリーが心配だ。気をつけて欲しい」

「怪しい動きってどういう風に怪しいの? それが分からないと気をつけにくいわ」


 少し考えたウィルは「機密情報だが、誰よりも大切なマリーに何かあっては困るから」と説明を始めた。


「彼女との婚約もありえるので、数ヶ月前から改めて身辺調査をしていた」

「婚約期限まで、あと一ヶ月だもんね」


 平気なふりをして普通に返事をする。

 でも、内心はちっとも平気じゃない。

 彼の婚約まであと一ヶ月しかないから。


「だが調査の結果、彼女が隠れて帝国の軍部関係者と会っていることが判明した」

「帝国の軍部関係者⁉ それってまずいんじゃ……」


 帝国とは和平協定を結び、国交を始めて二十年が経つ。

 貿易もしており人の行き来もある。


 マチルド様の母親は帝国の姫様である。

 皇族の血を引く彼女と帝国に接点があってもおかしくはない。

 しかし彼女が接触した相手は帝国の軍部関係者だ。

 何か企みがあるやもと、ウィルが警戒するのは当然といえる。


「さらに帝国に潜入した諜報員から、使役魔物の数が増えていると情報が入った」

「使役魔物って?」


「使役魔物は特殊な魔法で行き先を誘導できる魔物らしい。帝国が昔から戦争で使う常套手段と聞いた」

「まさか、その使役魔物をこの国にけしかけようとしているの⁉」


 この国にも魔物はいる。

 だけど、どの魔物も森や山を単独か数匹で行動していて、大きな群れにはならない。

 いくら魔物が強くても一体ずつ駆除すれば、それほど脅威ではないのだ。

 でも、もし魔物を大群にまとめて誘導できたら大変な脅威になる。


「魔法は血筋が強く影響する。使役魔物を誘導する魔法は、帝国の皇族のみが使えるらしい」

「まさか帝国の皇族が前線に立って、この国の内部へ魔物を連れてくるなんてしないわよね?」


「帝国の皇族は全員の顔や特徴を把握済みだ。それに国境では我が国の守備隊が目を光らせている。だから、帝国の皇族が魔物と一緒に国境を超えるのは考えにくい」

「よかった! いくらなんでも、皇族が魔物を連れて突撃してくる訳ないか」


「だが魔物だけで国境を突破させ、元から我が国にいる皇族の血筋が、魔物を引き受けて誘導するなら可能だろう」

「え? それってどういう……」


「我が国へ嫁いだ帝国の姫やその娘なら、国境を越えて突撃してきた魔物を、国内から誘導することが可能なんだ」

「娘ってまさかマチルド様⁉」


 もしマチルド様が使役魔物を誘導するつもりなら、帝国の軍部関係者と接触していたのは辻褄が合う。


(彼女は戦争をする気なの? 単に素敵なウィルと結婚したい訳じゃなくて? 結婚は王妃になって内政に干渉するため? 彼女は帝国のために動いているの⁉)


 帝国から嫁いだ姫様は病気で療養中だと聞いている。

 まさか、マチルド様はお母様の代わり王国を侵略しようとしているのだろうか。

 語られた内容があまりにショッキングで、考えがどんどん恐ろしい方向にいく。


 恐怖で体が震えだしたところで、ウィルが横へ立って両肩を支えてくれる。


「怖がらせてしまった。すまない」

「まさか、戦争になんてならないよね?」


「そうならないように、国境警備を強化した」

「マチルド様の行動って制限できないの? 帝国の使者に会えないようにするとか」


 彼女が我がグランデ王国内で暗躍しているのなら、先手を打ってしまえばいいように思える。


「彼女はまだ違法なことはしていないし、反逆計画の証拠もない。そもそも上位貴族の娘なので、監視は秘密裏にしかできないし、行動の制限自体が困難だ」

「マチルド様と帝国を監視するしかないのね」


 素敵なウィルを巡って、敵対視されているだけかと思っていた。

 でも話はそんなに単純じゃないみたい。

 彼に優しく肩を抱かれながら、それでも私は強い不安を覚えたのだった。

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